第4話 決断
僕は思いも寄らない事実に頭の中が正常に働かない。湧き上がる怒りと悲しみ、彼女の話が本当なら被害者はマシロで彼女は何も悪くないはずなのに。
どこかでその話が本当なのかと疑う最低な自分も居て、どう見ても彼女の様子から嘘は感じられないのに……。
「どうして、その時に言ってくれなかったの?」
思わず冷たい言葉が口に出る。
頭では分かっている。簡単に言えるような事じゃないのは。好きだからこそ知られたくないこともある。恐怖や屈辱感、きっと傷つけられたましろにしか分からない感情が邪魔をして、本来取るべきだった行動を取れなかった事も……。
だけど、大事な時に相談もしてくれなかったなんて惨めすぎる。
なにより彼女が一番辛いときに何の力にもなれなかった僕自身があまりにも情けなさすぎる。
「ごめん、ごめんね。知られたら、シンタローがどっか行っちゃう気がして、アイツが私に飽きるまで我満すれば大丈夫かもって、私がバカだったから、ごめん、ごめんね」
もう何度目か分からない謝罪の言葉。
確かにマシロは僕に知られないようにするために、僕を裏切るような真似をした。
でも、その切っ掛けは卑劣な手段によるもの。なら、どうして本当なら被害者であるはずのマシロが謝らないといけない?
段々と状況を理解すると共に湧き上がる怒りが抑えきれなくなる。
「今からそいつを訴える事は?」
「ごめんなさい。最初にそれをすべきだったのに、多分今となっては難しいと思う」
「なんで、どうして?」
「その……撮られた動画には、同意の上での行為に見えるものもあったから」
その言葉にまたしても胃がヒリつき、吐き気が込み上げてくる。
脅されてやった事だろうと頭で分かっていても心がざわついて収まらない。
それに……どこかで本当は嘘なんじゃないかと、マシロに疑いをかける自分が居る。
そしてそんな愛する人を信じることの出来ない自分が嫌になる。
きっとマシロはこんな僕の本質を感覚的に分かっていたのかもしれない。
だから、話すことが出来なかった。
考えてみれば分かる事だ。
誰よりも信頼して愛している人に、一番傷付いて心身共に疲弊している時に疑われてしまえば、きっとそれは何よりも残酷で致命的な事だから。
「ごめんマシロ。僕がもっとしっかりしていれば」
思わず謝ってしまった言葉に、マシロはより一層ショックを受けまたむせび泣く。
「違う、悪いのは全部私だから」と。
本当なら抱きしめて傷を癒してあげたいのに、それが出来ない僕。
どこかで彼女の事を汚れてしまった思う醜い自分を追い出すことが出来ないまま、泣き続ける彼女を遠目で見守ることしか出来なくて。
なんで僕は無条件に彼女を許せないのか自問自答しても、結局答えは出なくて。
ただ膨れ上がる憤りだけは抑えきれそうになくて。
「マシロ。今日もそいつに会う予定だったのか?」
僕の問い掛けにマシロはゆっくりと、申し訳無さそうに頷く。
「なら、そいつの名前。住所とか分かるようなら全部僕に教えて」
マシロは僕に言われた通り、その男。
「ねえ、シンタロー何をするつもりなの?」
僕の異様な空気感を察したのかマシロが不安そうに尋ねてくる。
「僕が直接話をつけてくるよ」
もちろんただの話し合いで済ませるつもりなんてない。
「駄目。あんなヤツの為にシンタローが犠牲になる必要ないから。今日はずっと一緒にいてお願い」
僕の腕を強く掴み、諌めようとするマシロ。
どうやら勘の良いマシロは、僕が奴に何をするつもりなのか気づいたのかもしれない。
たぶん今の僕は感情のまま江古田と言う男を縊り殺す事だって出来る。
でも、そんな事をすればどうなるか小学生にだって分かる事だ。
そんな当たり前の事をマシロに諭され、ようやく少し落ち着いた僕はマシロの手を取る。
「わかったよ。今日はずっと一緒にいよう」
「うん。ありがとうシンタロー。私の為に怒ってくれて」
震えるマシロの手は、僕が離れていく事を怖れるように強く握り返してくる。
それから僕たちはただ黙って手を繋いだまま時間だけが過ぎて行く。
触れ合う温もりはお互いの手のひらだけ。マシロはしばらくすると、安心して泣きつかれたのか静かな寝息をたてはじめる。
僕はその横顔を見つめながら、これからどうすれば良いのか思い悩んでいた。
そして一日中掛けて出した僕の結論は……。
「ごめんマシロ。僕達は別れるべきだと思う」
心の重荷を下ろしたばかりのマシロに告げるのは酷だと分かっていた。でも僕の意思をハッキリと伝える必要があった。
「どうし、やっぱり私のことを許せないの……」
一日中泣き腫らした目にまた涙が浮かぶ。
「そうじゃ…………いや、嘘は付けないね。僕は心の何処かで君を許せないでいる。頭では君が悪くないとわかっているのにだ」
「うん。だからその分は私が償って……」
マシロの言った『償う』という言葉に僕は過剰に反応してしまう。
「違う、違うだろう。マシロが償う必要なんて無いんだよ。本来は僕がマシロに寄り添って癒してやるべきなんだよ傷ついてボロボロのマシロの心をさ。でも狭量な僕にはそれが出来ない。マシロが悪くないと分かっていても嫌なイメージが頭に浮かぶ、マシロを疑ってしまう嫌な自分がいなくならないんだよ」
そう、だからこんな僕がマシロの側にいるべきでは無い。
心が傷ついた恋人に寄り添えないような男が側に居たら、いつまで経ってもマシロの傷が癒えることなんてない。
きっと僕の隠しきれない忌諱する気持ちがマシロを苦しめ傷つけ続けるだろう。
本来なら必要の無い罪悪感をいつまでも抱かせ続け、忘れたいはずの嫌な記憶すら忘れさせてあげれない。
ならマシロの今後を考えれば、僕なんかより、もっと心の広い、本当にマシロの事を癒してあげることの出来る人と一緒に歩んで行くべきだと思う。
「ねえ、無理なの? どんなに私がシンタローの事を愛していても」
昨日とは比べ物にならない絶望した表情のマシロ。どうしようもない胸の痛みが僕を襲う。
でも言葉は決まっている。
「ああ。さっき言った通りだよ。僕にとって君は荷が重すぎる」
酷い言葉だ。
まるでマシロを物のように言い放つ最低の自分。
でも、間違いなく僕の中にある最低な部分。
結局マシロの目は間違っていなかった。
僕のこの本質を捉えていたからこそ、クズの言葉に落ちた。僕に知られれば別れる事になると感覚で分かっていたから。だから僕に知られないようにと自分を傷付けた。
そしてそんな必死に足掻いていた彼女を、僕は踏みにじって自分本位の行動をする。
本当にどうしょうもないクズだ。
でも、そんな最低なクズにも通すべき意地、果たすべき道はまだあるから……。
「サヨナラ
僕は泣きじゃくるマシロにそう言って別れを告げた。
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読んで頂きありがとうございます。
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