第8話 長屋探し

 次の日から久秀の住まい探しが始まった。

 裏長屋であれば手持ちの金で半年は暮らせるが、咲良と新之助の三人暮らしだ。

 最低でも二部屋、できれば三部屋は欲しい。

 近隣住人の質も肝心だ。

 溜息を吐きながら、数日の間探し歩いていると、また女に声を掛けられてしまった。


「あら、いつかのお武家様じゃございませんか」


 振り返ると茶屋で声を掛けてきた女がにこやかに立っていた。


「ああ、あんたか。縁があるな」


「ええ本当に。そろそろお気が向かれましたか?」


「いや、当分気が向きそうにない。すまんな」


「まあ正直なお方ですこと。それより何を悩んでおいでです?」


 そう言いながら女は慣れた手つきで久秀の手を取って歩き出した。

 連れて行かれたのは品の良い店構えの甘味処だった。


「お武家様、甘いものは平気ですか?」


「ああ、むしろ好きだ。団子を肴に酒が飲める」


 女は吹き出しながら、注文を済ませた。


「それで?」


 久秀は大きくため息を吐いて見せた。


「家を探しておるのだが、如何せん懐具合が秋模様でな」


「お一人で?」


「いや、つ……妻と子が一人ずつ」


「一人ずつって……おもしろい方ねぇ。一軒家をお探しで?」


「いやいや、それは無理だ。俺は浪人でな。懐にもに二両しかないのだ。江戸に出てきたばかりで、いろいろと買いそろえねばならんので、物入りだ。長屋を探している」


「お武家様の奥方様となれば、長屋じゃ辛ろうございましょう? ましてや裏長屋などもっての外。そうなると……ああ、そうだ。私に心当たりがございますよ」


 久秀がパッと顔を上げた。


「心当たりが? そこはどんなところだ?」


 運ばれてきた菓子を上品に切り分けながら、女が白い歯を見せる。


「行ってみます? 店賃も相談できますよ?」


「是非頼む」


 そそくさと菓子を頬張った久秀はもう腰を浮かしている。

 その様子を見ながら女はおかしそうに笑い声を立てた。


「ここから近くですよ。元は料理屋の妾が住んでいたのですが、最近旦那の奥さんが儚くおなりになって、後妻に入られたので空き家なんですよ」


「そういうことなら環境は悪くないな」


「ええ、こじんまりした平屋ですが、六畳が二つと四畳半が二つ、納戸はひとつですが一間半の大納戸ですし、厨も湯殿もございます。裏庭が広ろうございますので、少しなら野菜も作れるでしょうねぇ」


「凄いな……理想的な間取りだが……高いのだろう?」


「そうですねぇ、普通にお貸しするなら月に一両ってところでしょうか」


 久秀が浮かせた腰をドサッとおろした。


「無理だ。ひと月借りただけで俺は無一文になってしまう。残念だがこの話は無しだ」


「店賃も相談できると申し上げましたでしょう?」


「相談したとしても無理だよ。俺の懐には二両しかないんだ。大急ぎで仕事を見つけるといっても、ひと月では金になるまい。残念だが……」


 帰りかけようとする久秀の袖を女が掴んだ。


「わたしゃ江戸っ子ですが、その江戸っ子より気が短い田舎侍は初めて見たよ。よし分かった。乗り掛かった舟だ。三月で一両、これならどうだい? 表長屋の店賃より安いはずだ。仕事もこっちで世話しようじゃないか」


 久秀がジトっとした目で女を見た。


「あんたが決めて良いのかい?」


「いいさ。私の家だもの」


「あんたの? そういうことか……交換条件はなんだ? 俺は以前、そんな旨い話に乗って危うく年増の男妾にされそうになったことがあるんだが」


「ははは! そりゃいいねぇ。だけどそっちの方は飽き飽きするくらい足りてるんだ。あんたに紹介する仕事は料理人の見習いだよ。うちの店で働きなさいな。この先剣で生きていこうなんて甘いんだ。今のうちに剣を包丁に持ちかえた方が利口ってもんさ」


 普通の侍なら激高するようなセリフをさらっと言ってのけた女の顔をまじまじと見る久秀。


「あんた、豪気だなぁ。旦那がいなけりゃうっかり惚れるところだ」


「あら、うれしいねぇ。まあそっちの方は奥様に悪いから遠慮しておこうよ。早速だけれど行ってみるかい?」


「いや、行くまでもない。あんたは信用に足りる女だ。すぐに帰って支度をしよう。いつから入れる?」


「掃除やらあるから……」


「掃除などこちらでするさ」


「だったら明日でも大丈夫だよ。うちの店はわかるかい?」


「ああ、江戸に暮らす男なら使ったことは無くとも店の名だけは知っている」


「うれしいことを言ってくれる。では用意が出来たら勝手口にお越しくださいな。話は通しておくから」


 久秀が膝に両手をついて頭を下げる。


「かたじけない。世話になる」


 女はにっこりと微笑んで頷いた。


「見込んだとおりの誠実なお人のようだ。私の名はお嶋です。この辺りでは『柳屋のお嶋』と呼ばれております。どうぞよろしくお願い致します」


 甘味処を出た二人は、互いに目で挨拶を交わし別れた。

 久秀は小走りで柴田道場に戻り、事の次第を報告する。

 

「おいおい、柳屋の女将かい? 相変わらずモテる男だねぇ」


 柴田が揶揄うように言うと、久秀が苦笑いを浮かべた。


「今までこの顔で良かったと思ったことなど一度もないが、初めて親に感謝したよ」


「そのお店の場所はどこなのですか?」


 柳屋を知らない咲良が問うと、久秀の代わりに柴田が答えた。


「新吉原に続く日本堤の下にある大きな仕出し屋ですよ。店には客を入れず、大門の中に仕出しを届けるのを生業としているのです」


「新吉原……そこに新之助様を?」


 気色ばむ咲良に柴田の妻が言う。


「確かにその場所を聞くと良い気は致しませんが、周りは田んぼと寺ばかりなのですよ。場所柄お役人様も多くおられますので、かえって治安は良いと聞きますよ」


「そうなのですか……でも……吉原……」


 久秀が明るい声を出した。


「そのお嶋という女は姉御肌で竹を割ったような性格でした。きっと咲良殿とも気が合いますよ。ああ、彼女には妻と子が共に住むといってありますので、そのおつもりで」


「は、はい。承知いたしました」


 久秀が居住まいを正し、柴田夫婦に言った。


「詳しいことは言えんが、この先俺の事で迷惑が掛かることがあるやもしれん。俺はこの先町人と混じり料理人の真似事をすることになるが、修行は怠らないと約束する。新之助様は週に二度こちらに通わせていただくことになる。良しなに頼む」


「相分かった。お前と俺の仲だ。俺で役に立つことがあればいつ何時でも馳せ参じるということも忘れないでくれ」


「ありがたい……柴田、お前ってホントに良い奴だなぁ」


 二人は固い握手を交わす。

 咲良は部屋に戻り、少ない荷物を風呂敷に包み始めた。

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