第7話 信頼

 暫し自分の鼻先を半眼で見つめていた柴田が、ゆっくりと視線を上げた。


「かの方はとんでもない大罪を犯しており、これが露見すれば我が藩は露と消える。ご当主の隠居程度なら上々、下手をすれば足軽やお女中まで全てのものが路頭に迷うことになる」


 久秀がひゅっと息をのむ。


「我が藩は絶対に知らなかった事にせねばならん。まあ実際にこのことを掴んでいるのはわしと三沢の二人だけじゃ。わしが直接動くことが出来なかった故、三沢が陰で動いておったのじゃが、それを察知して消したのか、はたまたただの愚行か。わしは前者だと思っておる。だからこそ三沢も涙を飲んだのであろう」


「だからあの時奴を切り殺すことはしなかったと?」


「そうじゃ。奴はなかなか尻尾を出さん。悪知恵だけは働くようだ。一網打尽にせねば意味がない。頭を切り落としただけではダメなのだ。そもそも奴が頭とは限らんがな。そこで安藤、お主にその仕事を頼みたい。お前は女中と手に手を取って駆け落ちした脱藩浪人という立場であろう? 何の庇護もない反面、動きやすい」


 久秀がギュッと拳を握る。


「山名藩は元より、わし個人としてもお主と繋がりがあると悟られるわけにはいかん。幸いと申しては語弊があるが、新之助殿の顔を知っている者はこの江戸にはおらぬ。お主には苦労をかけるが、新之助殿のこともよろしく頼みたい」


 久秀は心の中で『ふざけるな!』と叫んでいたが、声にも表情にも出さなかった。

 金は出してくれるのかと聞きたかったが、武士の矜持が口を開けさせない。


「奴は山名藩の秘匿である黄金真珠を異国に売り渡している。協力者も人数も詳細はつかめていない。取引の場所も都度変えているようだ。相手は阿蘭陀国で、真珠と一緒におなごも売り渡していることまでは三沢が突き止めたのだが」


「なんと!」


 久秀はつい声を出してしまった。

 ギロッと師が鋭い視線を浴びせる。


「お前の腕なら剣で身を立てることもできようが、あまり目立つのは悪手というもの。できれば町民として市井に紛れた方が動きやすいだろう? 幸い思い人も同道していることだしな」


 たまらず久秀が口を開く。


「私ごときの思い人などと言われては、咲良殿のご両親が嘆かれましょう。吉田咲良殿はただ一心に新之助様を心配して同道を申し出てくれたのです。関所を抜ける際に、咲良殿を妻、新之助様を子として届けたは便宜上です」


 柴田が不思議そうな顔をしたが、久秀は無視を決め込んだ。


「まあ、それならそれで構わんが。どうだ? 受けてくれぬか? 直接的では無いが、三沢の本懐を遂げるにはこの方法しかない」


 開き直った久秀が、顔をあげて正面から家老の柴田に視線を合わせた。


「要するに、三沢様の仇を打ちたければお前が勝手にやれと仰っているのですね? しかも遺児である新之助様も匿うつもりは無いと」


 山本が久秀を制するように腰を上げかけたが、柴田がそれを止める。


「そう取ってもらって結構だ。しかしこの悪事を闇に葬らねば我が藩に先は無い。わしは藩の存続を第一に考える立場にある。しかし個人としては、お主と同じ憤怒を持っている事はぜひともわかってほしい。三沢はわしの剣弟だ」


「関わらぬとご家老は仰ったが、それはあくまでも公人としてのこと。連絡はこの山本を通じて継続してくれ。お主の剣の師である私との交流なら不自然ではあるまい?」


 柴田が腰を上げた。

 座敷を出る前に振り返り、まるで独り言のように言葉を発する。


「三沢とその妻、そして嫡子の三人は丁重に弔ったあと、三沢家の菩提寺に葬った。安心いたせ」


 柴田が座敷を出ると、襖が静かに閉じた。

 久秀が大きなため息を吐くと、山本がフンッと鼻息を漏らした。


「しかし見込まれたものよ。なあ、和みの久さん」


 山本が足を崩したのを見て、久秀もそれに倣う。


「また古い事を」


「イヤイヤ、これも才能だと思うぞ? なんでもお前の側にいるだけでおなごは心が和むというではないか」


「まさかそんな事はございますまい」


「お前が三沢様に仕えるようになって国元に戻った後、押し寄せるおなご達を宥めるのも大変だったのだ。まあ若い者たちには良い修行になったがな。お陰で色恋への耐性がついた」


「ご冗談を。それより柴田様は私の返事をお聞きになりませんでしたが」


「まさか断るなどとは考えてもいないのだろうぜ?」


「ははは……」


 まさか師に金をせびることなどできるはずもない。

 それから二人は連絡方法などを相談し、別々に屋敷を出た。


 途中、なけなしの金を叩いて新之助の着替えを購入した久秀は、茶屋の縁台に座って呆然と通りを眺めていた。

 ふと咲良の言葉を思い出す。


「身命を賭してか……」


 今からやっていかなくてはいけないことの多さに、久秀は頭を抱えそうになった。


「あら、良い男。どちらのお武家様かしら?」


 女の声に顔をあげると、大島を粋に着崩した女が微笑んでいる。

 三十路をいくつか超えているだろうか、その仕草や言葉遣いで素人ではないことが知れる。


「どちらかで会ったことが?」


「いえ、あまりにも素敵な殿方だったので、ついお声を掛けてしまいましたのよ」


 久秀は小さくため息を吐いた。

 城下でこそ落ち着いていたが、剣の修行のために江戸に住んでいた頃には良くある話だったからだ。

 自分ではわからないが、久秀はとにかく女にモテた。

 そして女たちは久秀に多くを求めず、ただ一緒にいることを強請るのだ。

 稽古帰りに川土手に並んで夕陽を見るだけで、女たちは満足する。

 中には深い仲になったものも少なくないのは、久秀の若さのせいだが。

 

「すまんが今はそんな気分じゃないんだ」


 女は妖艶に笑い、懐から小さく折りたたんだ懐紙を握らせた。


「そんな気分になったらいらしてくださいな」


 尻の形がくっきりわかる歩き方で、甘酸っぱい梅の香りを残して去って行く女。

 握らされた懐紙を広げると、新吉原の外郭にある大きな料亭の名が書かれていた。

 久秀は何も考えず、その紙片を懐に入れ、冷めきった茶を飲んで立ち上がる。


「さあ、柴田に何というかな」


 詳細は語れないし、いつまでも今のまま世話になるわけにもいかない。

 しかしとにかく先立つモノが無いことには動きようがないのも事実。


「さっきの財布、受け取っておけばよかったなぁ」


 吐いた言葉の浅ましさに、肩を竦めて歩き出す。


「ちょいと御免なさいよ」


 今度は男に声を掛けられた。


「何か用か?」


「へい、ちぃと頼まれたもので」


 詳しくは語らず、その中年男が懐から袱紗を出した。

 見ると見慣れた山本家の紋が染められている。

 開くと三両出てきた。

 三両といえば広めの長屋で約1年分の店賃だ。


「師匠……ありがとうございます」


 同封された走り書きを見ると『隠居の身で申し訳ない』と書かれていた。

 渡すとすぐに走り去った男は、もう何処に行ったのか分からない。

 久秀はじっと目を閉じて師の優しさを嚙みしめた。


 夕餉を終えた久秀は柴田に長屋を探すと伝え、世話になった礼を言う。

 これだけで申し訳ないと言いつつ一両を差し出すと、柴田は笑いながら受け取った。


「新之助殿の稽古料だな? 任せておけ。剣道着もあるし、竹刀もある」


「あ……いや、それは世話になった礼だ」


 柴田が眉間に皺を寄せる。

 久秀が折れた。


「すまん。新之助様の稽古、よろしく頼む」

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