第6話 山名藩江戸屋敷

 昨夜の言葉通り、安藤久秀は柴田の着物を借りて山名藩の江戸藩邸へと赴いた。

 しかし、すでに三沢家の騒動は伝わっているようで、門番に名を告げると見知った顔の侍が慌てたように走り寄って来る。


「こっちに来い!」


 袖を引かれるままに通りを隔てた蕎麦屋に連れ込まれると、数人の侍が門から走り出てくるのが見えた。


「おやじ、二階を借りるぞ。俺もこいつもここには来ていない。いいな?」


「へい、承知いたしました」


 人の良さそうな顔をした初老のおやじが頷いた。

 二階の座敷からは藩邸の門が見える。

 顔を近づけようとする久秀の肩を引いて、その男は障子を閉めた。


「なぜ来た! お前は逃げたことになっているぞ」


「はぁ?」


「数人のお女中方を手籠めにして、それを諫めた奥方に襲い掛かり、止めようとした嫡男哲成様を手に掛けたご家老様は、やっと正気に戻って腹を召されたという話だ。手を拱いてそれを見ていたお前はそのまま出奔だとさ。まあ誰も信じてないけどな」


「意味が解らん」


「だから誰も信じてないって。正晴様が追手を出せと騒いでいたが、ご当主様が事を大きくすることを嫌がってな。安藤久秀は吉田咲良と手に手を取って駆け落ちし、その数日前に新之助様は学問所の帰りに何者かに襲われ死亡しているということで納められた」


「話がめちゃくちゃだな……しかし、先ほど数人の奴らが追って来たじゃないか」


「あれは正晴様に取り入ろうとする愚か者と、咲良殿に思いを寄せていたアホ達だ」


「ははは……なんだそれ」


「なぜ来たのかを聞こうか。内容によっては力になる」


「うむ、柴田様に直接お伝えせよとの三沢様のご命令だ」


「直接か……ちと難題だなぁ。俺はご家老と直答できる身分じゃないから……ああ、そうだ。お主の元上司なら……なるほど、それでか」


「なんだ?」


「数日前に柴田様が山本様を呼び出されてな。今更隠居した元剣士を呼んでどうするのだろうと話題に上ったのだが、そういう意図だったか。そうとなれば、お主はこのまま柴田邸に向かった方が良かろう。山本様はそちらに逗留しておられる」


「さすが柴田様だ。読んでおられたか。わかった、それではこの足で柴田様のお屋敷に向かおう。世話になったな」


「いや、すまんが俺はこれ以上は何もできん。何があったのかも知らんし、知りたくもない。友達甲斐の無い奴だと笑ってくれ」


「何を言うか。あのままあそこでポケッと突っ立っていたら、俺はどうなっていたやらだ。助かった。礼を言う」


男が擦り切れそうなほど使い古した財布を差し出した。


「少ないがこれを持って行ってくれ」

 

「いや、これはだめだ。気持ちだけありがたく頂戴するよ」


 男はほんの少し安堵の色を浮かべて苦笑いする。


「すまん……子が生まれたばかりでな……」


「いや、貴殿の友情は忘れん。では俺は裏口から出るとしよう。お主こそ戻って何を言われるかわからんぞ。気をつけてくれ」


「俺は大丈夫だ。最近奥向きの係になってなあ、急な用件で駆け出すことなど日常茶飯事だから何とでも言い訳できるさ」


「恩に着るよ」


 久秀は男の肩に手をかけてから、立ち上がった。

 懐から銀粒をひとつおやじに渡して言う。


「すまなかったな。二階のやつがここに来たら、これで足りるまでは喰わせてやってくれ」


「へい、承知いたしやした」


 久秀は辺りの様子を伺って裏口から出た。


「柴田様は相変わらずの狸のようじゃ」


 腰に佩いた刀の柄をするっと撫でて歩き出す久秀。

 万が一に備え気を抜かず、ゆっくりと柴田邸に向かって歩を進めた。

 門前に着くとすでに話が通っていたのだろう、門番が頭を下げて邸内に案内してくれた。

 座敷に座り庭を眺めていると、カラッとふすまが開いて、久秀が剣の師と仰ぐ山本半兵衛の顔が見える。


「ご無沙汰しております」


 久秀がひれ伏すように頭を下げると、ドカッと座る音がした。


「最早隠居の身、そう畏まるな」


 顔をあげると如来のような、笑っているのか怒っているのかわからない師と目が合う。


「息災で何より。柴田様も直に戻られよう。それまでは道中の話などを聞かせてくれ」


 請われるまま出奔してからの行動を話し始める久秀。

 一切言葉を発しず聞き入っていた山本が口を開いた。


「なるほど、あの柴田か。その者も一刀流だったか? 確か……」


「柴田は北辰派でございます」


「ああ、なるほど」


 その時カラッと襖が開いた。

 山本と久秀がサッと頭を下げる。


「時間が無い。挨拶は聞いたことにしよう。安藤、何があった?」


 久秀が事の顛末を詳らかにしていく。

 途中何度も扇子で膝を打ち、苦虫を嚙み潰す表情を浮かべる柴田。


「なんと惨たらしい。それで? 新之助殿はご無事なのだな?」


「はい、今は我が剣友である柴田研吾の道場でお過ごしいただいております」


「そうか。今後はどうする算段か」


「柴田様のご厚意に縋り、新之助様を保護していただきたく存じます。私は新之助様になり替わり三沢様の無念を晴らすべく、奴を追う所存でございます」


 柴田が暫し無言のまま、視線を逸らした。


「うむ。なるほどの。しかしその願いは聞き届けるわけにはいかん。これより話すは一切他言無用じゃ」


 柴田が扇子の先をフッと動かすと、辺りから人の気配が消える。

 山本と久秀が金打音を立てた。

 息が詰まるほどの緊張が走り、久秀の背中に冷や汗が流れる。

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