第5話 厳格の理由
新之助を寝かしつけていた咲良が、柴田と久秀のいる居間の障子を開ける。
「お話を聞いていただけませんでしょうか」
柴田が腰を浮かそうとすると、それを手で制した咲良が言った。
「どうぞ柴田様もご同席賜りたく存じます」
どことなく咲良の声が緊張している。
「妻も呼びましょう」
年若い女性が剣客二人を前に思ったことを口にするのは難しいだろうと推察した柴田が気を利かせる。
「ありがとうございます」
妻が顔を出し、男達の前に女性が二人並んで座る形になった。
「おおよそ見当はつきますが、お話をお伺いしましょうか」
久秀が咲良の顔を見た。
ギュッと拳を握った後、大きく息を吐いた咲良が久秀の顔を正面から見返す。
「新之助様のことでございます。安藤様には安藤様のお考えがあることは重々承知しておりますが、新之助様はまだ幼子でございます。ましてやご両親と兄上様をあのような形で失われたばかりなのです。その心痛は計り知れないと存じます。もう少し優しく接していただくわけには参りませんか」
久秀が小さな溜息を吐いた。
助け舟を出そうとしたのか、柴田の妻が咲良の背に手を添えて口を開く。
「詳細は存じ上げませぬが、聞けば齢七つの幼子。ご家族を失われてもなお、あれほど気丈に振る舞っておられるのは、大変ご立派だと思います」
「お前は口を挟むな。我らのような者とは生きてゆかねばならぬ道が違うのだ」
「……申し訳ございません」
妻は頭を下げて口を噤む。
それを申し訳なく思いながらも、咲良の決心は揺るがなかった。
「差し出たことを申しておりますことは承知しております。しかし、あそこまで厳しくせねばならないのでしょうか」
「なりませんね」
久秀が感情を乗せない顔で咲良の目を見た。
「何の後ろ盾もなく、親が家老職だっただけのただの孤児。それが今の新之助様です。しかも仇を討ち、家名を復興させなばならないという大人の我らでも成しがたい使命を背負っておられるのです。新之助様が元服なされるまであと7年。それまでに悲願を成就させあのお屋敷に主として戻さねばならないのです」
「あのお屋敷へ?」
「そうですよ。あなたも帰りたいでしょう? そのためには生きていることが肝要です。どんなことがあってもです。生き恥を晒そうと泥水を啜ろうと、命が無いとダメなのです。それ以外のことは取るに足りぬことと心に刻んでもらわねばなりません」
「安藤様……」
咲良は久秀が涙を流していることに気付いた。
この人は自分を鬼にしているのだと咲良は思った。
「安藤様のご覚悟、この咲良も心に刻みました。私も今日より鬼となり、三沢家再興の悲願のため、身命を捧げる覚悟でございます」
「それは重畳。同志ができてうれしいですよ。道中いつ咲良殿に刺されるかとひやひやしておりましたのでね」
久秀がフッと笑った。
もともと城下でも評判の美男子で有名だった久秀だ。
咲良の頬に朱がさす。
「ただし、鬼ばかりに囲まれていては新之助様も生きた心地がしますまい。是は是、非は非としてお仕えいたしますので、それ以外の時は少し優しくして差し上げたいのですが、それも駄目でしょうか」
「いえ、是非そうして下さい。侍としての作法は私が教えます。咲良殿は人としての心を教えて下さい。それと私からもお願いがあります」
「何でしょうか」
「できれば私にも、もう少し優しく接していただけるとうれしいなぁ。咲良殿はずっと私にだけ厳しいのだもの」
久秀の砕けた口調に柴田夫婦が噴き出した。
咲良は啞然とした顔をしている。
「え……わたくし……そのような態度をとっておりましたか?」
「そうですよ。仮初とはいえ夫婦として寝起きしているのに、顔も見てくれない。目が合うのは文句を言われるときだけだ。もう少しで拗ねてしまうところでした。もとはといえば咲良殿が強引に一緒に行くと言われたのに……これでも悩んでいたのですよ?」
「あ……あの……それは……申し訳ございませんでした」
柴田が久秀に聞く。
「お主は江戸にいる頃からおなごとの噂には事欠かぬ男だったから、俺はてっきり咲良殿がこいつを慕って同道したのだと思っていた」
「いやいや、俺ではなく新之助様を追って来られたのだよ。そしてそのまま着の身着のままで出奔したのだ。意識の無い新之助様を俺が抱きかかえて、咲良殿は新之助様の肌着と褌だけを持ってね」
「着の身着のまま……」
柴田の妻が呆れた顔をする。
「ええ、ご家老から金子は預かりましたが、なんせ晴天の霹靂でしたからね。私は羽織袴に雪駄履き、咲良殿は屋敷女中のお仕着せだ。しかし懐剣だけは持っておられた。さすが吉田殿のご息女だと感服しましたが、怒るとすぐに抜こうとするんだもん」
子供のような顔をして唇を尖らせる久秀に、咲良の鼓動がまた跳ねる。
「申し訳ございませんでした」
久秀が真顔に戻った。
「明日は藩邸の様子を見てまいります。数日はここで厄介になるとご承知おきください」
「畏まりました。柴田様、奥方様。どうぞよろしくお願い申し上げます」
咲良は武家の娘らしく、居住まいを正し美しい姿勢で三つ指をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます