14 黒猫の殺し方
咆哮で風が巻き起こり、夜宵の髪が乱れる。怒りのままに影が駆け抜け、愛へ突進する。それは不思議な光景だった。夜宵自身は無表情、感情が一切見えないのに、彼女から生まれた影は、本能のままに暴れまわる。
突き出した拳が愛の体を捉え、ピンボールのように吹き飛んで、反対側の壁まで激突する。めり込んだ壁に向かって影が追撃する。鎧を纏っているとは思えない俊敏さ。
瓦礫の中から愛を引きずり出して胸倉を掴んでは何度も何度も壁へと叩きつける。愛は反撃しようと、影の腕を掴むのだが、びくともしない。
「アハハっ、アンタはやっぱ普通じゃないんだ!! 化け物じゃん!!」
愛の額からパキパキという音が発する。角が急激に成長している。顔が歪み、人間離れし始めていた。腕が隆起して、突き出された拳を正面から受け止め、拮抗。吹き出す炎と影が交じり合い、うばたまの天に昇っていく。
2体の怪物の戦いに圧倒され、呆然としていた現陰陽寮の2人だったが、先に我に返ったのは銀だった。
「角だ、完全に鬼になる前に角を折れ!!」
夜宵に向かって叫び、小鬼の集団の合間から射線を通す。――一瞬、影に照準を定めるか迷って狙う手がブレる。
「銀さん……?」
「……今はコイツが先だ」
迷いを払うように愛の額に射線を向ける。愛の眼球が独立した生物のように銀を捉える。避けられる可能性を考え、僅かな動きも見逃さないよう目で追いながらの発砲。
腹の底に響く銃声と同時に、鈍い金属音。銃弾は愛に届くことは無く弾かれた。
視界一杯に広がる黄金色の髪だ。長く束になった髪が波打ち、それは愛の頭から伸びたものだ。愛の体は負の気……黒い炎を纏っており、彼女の本来の体の色は分からなかったが、恐らくは高校生になってから、染めたのだろう。
「ジャマしてんじゃねぇぞ、クソがぁっ!」
怒声と共に髪の束が振り降ろされる。大口径の銃弾を優に防ぐ硬質を持つそれは巨大なギロチンに等しい。
「くそぉっ!」
避ける暇もなく、必死に銃弾を放つが、嘲るように銃弾は弾かれ、振り降ろされる勢いは止まらない。
「やめてっ!」
悲痛な叫びと共に桜が『STARGAZER』を振るう。星々の輝きが障壁となり、金色に煌めくギロチンを受け止める。周りにいた小鬼は互いの攻撃と防御に巻き込まれてあっという間に肉を絶たれ骨ごと潰されていく。が、それも絶対の防御とはならない。髪の切っ先は鋭い刃へ変化し旗をビリビリに引き裂き始める。
2人が危機に瀕しているのを見て、夜宵はいつもの冷静さを保てず、感情を抑えられなくなりつつあった。
「おい、君の狙いはボクだろうが」
夜宵が具現化させた『影』が愛の髪を掴む。鋭い刃物と化したそれは指に喰い込み、赤黒い火が噴き出した。それに呼応するように、夜宵は苦悶の声と共に手を抑えて膝を突く。夜宵の体にはなんら外傷がないが『影』と彼女は痛みを共有しているのだろう――と、愛は性格の悪い察しから理解した。
「じゃあ、お望みの通り」
髪の刃が何本も持ち上がり、影の体をめった刺しにする。大袖、胸板を貫通し、中の『影』で出来た体へと突き刺さり、赤黒い火が血のように噴き出した。
夜宵の体が小さく跳ね上がり、瞳孔が大きく開く。
「この化け物を殺せばアンタも死ぬ?」
かくりと顔を傾けて『影』の体から覗き込むように、夜宵の顔を見つめる。立っている事も出来ないのか、夜宵はその場に座り込み自分で自分の体を抱きしめていた。直接付けた傷もまだ完全に止血は出来てないようだ。
「さぁ、どうだろうね? 試してみたことないからさ……」
夜宵の息は荒い。顔は青ざめている。軽口を叩くだけの余裕もある。だが、何より――。
「反抗的な目――気に入らない……みっともなく命乞いでもしなさいよ、許しを請いなさいよ!!」
見開いた眼……、夜空を映したような黒い瞳の奥で燃え滾る炎を見て、『鬼』になりかけている筈の愛は、背筋が凍るようなざわつきを覚えた。
「……なんで?」
『影』の背中から金色の刃が付き出した。
「……なんで?じゃないんだよ、クソが」
呆れたように返される笑みを見て愛は切れてしまった。もういい、こいつからは何も得られないと、あまりに短絡的に彼女にトドメを刺してしまった。夜宵は静かにその場に手を伸ばすように倒れて……動かなくなる。歓喜の声が洩れる。
「いやぁっ!」
桜の旗が輝いた。優しい星の色から、星が死ぬ直前の膨張の光のような紅へと変わり、触れていた金色の髪が一瞬にして焼き焦げて灰燼に帰する。桜の悲鳴と共に彼女の激情が霊気の熱となって伝播し、愛の歪んだ笑みを引き攣らせる。
「お前ぇっ!!」
銀は冷静さを保てず、喉の奥から絞り出すように叫んで銃を放つ。そのいくつかが愛の腹や肩を貫いたが、愛の笑いは止まらない。
「あははっ!! しーんじゃった死んじゃったぁ!! しんじゃえええ!」
残酷な子どものように笑う。もう二度とこいつの事を考えて心にしこりを残したまま生きる必要は無い。
(『鬼』になれば不必要な感情に振り回されることはない)
愛の頭の中で響く声が彼女の行いを肯定してくれる。もうこれで後戻りはできないが、それでも構わないと思った。
その時だった。
――水音を含んだ咀嚼、ブチブチと何かを引きちぎられるような痛み、そして全身に走る脱力感に、愛はその場にへたり込んだ。
夜宵が生み出した鎧武者の影――その腹に刺さった髪がじわじわと影の中に吸収され消えていく。全身に刺さった金色の刃を無理やり引き抜き、錣しころの中、仮面の合間から覗く鋭い牙が噛み千切っては口の中で砕いて嚥下する。
「ひっ、いぎゃあああ!!」
愛が恐怖のあまり絶叫するが『影』は意にも介さず、食事を続ける。
兜の中で黒い髪が伸び、鋭い刃と化す。
――喰らった鬼から力を奪っている。
髪が刃の形を保てなくなるのを見てどこか他人事のように愛は考えた。自分の体でありながら自分の物ではないような感覚。
『影』が自分に向かって手を伸ばしてくるのを、愛は呆然と眺めていた。角を掴まれ、凄まじい怪力で砕かれていくのをただただ無防備に受け入れる。
(鬼になれば――)
(煩わしいこの感情から解放される)
そう思っていたのに。またも彼女は人間に戻らなくてはならない。夜宵を殺し、後戻りできないところまで来たのに、鬼となって――感情を捨てた化け物となることすら許されない。
憎悪の炎は次第に萎えて、火の粉となって散り、愛は意識を手放していく。
「夜宵ちゃん夜宵ちゃん!!」
朧げになる視界の隅で桜は夜宵を抱き起していた。結局最後まで自分が見られることは無かった。
(……私が、……私なんか)
僅かに勢いを戻そうとした炎は静かに吹かれた風にさらわれて消えた。
その一方で、
「……うぐぅっ」
(……苦しい、死ぬっ、桜の腕の中で死ぬ)
意識を取り戻した夜宵は強く抱きしめ過ぎた桜の腕によって窒息しかけ、命の危機に瀕していた……。
好奇心が黒猫を殺す時 @shunshunfives
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