13 黒猫の中身

「……殺す」




 殺意が熱波となって吹き付け夜宵の髪を揺らした。愛の額に生えた角を中心にビキビキと血管が青白く浮き上がる。夜宵の前、愛の背後では小柄な『鬼』が2人に群がっているところだった。だが、桜と銀は見事な連携で敵を薙ぎ払い、民間人への接近を阻止していた。




 愛が飛び掛かる。その影は獣そのもの。夜宵は猫のようなしなやかさな動きで横に跳んでやり過ごそうとした。が、愛の爪が、仕込み刀のように突然伸びた。血飛沫が飛び、夜宵は痛みに顔を歪めた。




 勢い余って爪が床に突き刺さり貫通した。あと一歩遅ければ、腕に丸ごと突き刺さっていただろう。三つの真っ赤な筋が腕に残った。夜宵はだらだらと流れる傷口を抑える。




「あぁ、もうちょっとだったのになぁ」




「……殺すとか言う割りに、随分と悠長だね」




 爪を力任せに抜き、血を舐めとる愛に対して、夜宵はあくまでも挑発的だが……、額には嫌な汗が出ている。それでも彼女の瞳には恐怖より怒りが宿っていた。


 


 愛が燃え滾るような憎悪ならば、夜宵は闇の中で静かに燃える怒り。それは抑制しなければ、あっという間に燃え広がり、制御が利かなくなる。




 そして夜宵はそれをこの場で解放するつもりは無かった。ただただ時間を稼ぎ、桜か銀に任せる。が、それを見過ごす程、愛も馬鹿ではない。何より夜宵の反応が気に喰わない。




 死の恐怖を味わせ、恨み言の1つでも吐かせて、それを笑いながら踏み潰してやろうと考えていたのにだ。想定していた反応を得られず、愛は苛立っていた。




 夜宵をただ殺すだけでは足りない。気が晴れないままだ。なんでもいい。彼女の心を壊し、その空かした顔を醜く歪めてからでないと。




「桜ちゃんは優しいよねぇ……分かってる? 哀れまれてるだけなんだよ、アンタ」




 言葉が持つ負の力を愛は理解している。心を刺して抉り取ることができることを。夜宵の額で青筋がぴくりと動く。いい調子だと、愛は思った。




「アンタも……アンタの父親もほんと可哀想」




「……父さんは関係ないだろ?」




 夜宵の父がおかしな噂を立ててことを愛は知っている。それがきっかけで家からいなくなり、行方不明になったのだと。不審、そして不快さで傷口を抑える夜宵の手が震える。愛は満足げな笑みを浮かべる。




「アンタ母親もいないんだっけ? そんなの知ってたら、憐れんじゃうのもわかるわぁ!」




 母の話を、夜宵は学校では避けていた。だから本当の所を知っている者は少ない。夜宵が12の時、病で亡くなった。




 いつも身に着けている三日月形の髪飾りは母が生きていた頃に誕生日に貰った物。




 それを反射的に夜宵は抑えた。




 完全に止血が出来ていない腕から再び血が垂れるのも、気に留めず。




 その一瞬生まれた隙。愛の姿が夜宵の視界から消えた刹那、彼女の膝が夜宵の鳩尾を突いた。横隔膜の動きが止まり、体から力が抜け、がくりと膝を突く。




「う、ごほっ……」




 肺に上手く空気が回らなくなり、咳き込む夜宵の目の前で、愛は勝ち誇ったように手に持った物を掲げた。




 これを壊せば、夜宵の心を壊せる。




「返せ」




 愛は言葉が持つ負の力を理解している。だが、それが引き起こす影響を正しく想像することが出来なかった。




 怒りの火は、静かに燃え広がる。気が付いた時には手が付けられなくなる。




「それを今すぐに返せ」




 夜宵の足元に伸びる影が蠢く。それは愛の心に潜む幼稚な憎悪よりも深い闇。




 夜宵の心の中に潜んでいた『鬼』が、足を踏み出す。夜宵から生まれたそれは、夜宵の身長を優に越す。古風な鎧と兜、仮面に身を包み、隙間からは黒い影が静かな火のように立ち上り、目元は血に濡れたような朱色。




「アハハ、何よ、コレ」




 愛が乾いた笑みを出す前で、夜宵は笑いもしない。小鬼と戦っていた桜と銀はただただ身を護るように武器を構えたまま、表情を凍り付かせた。




「……あーぁ、2人には絶対見られたくなかったのに」




 自嘲気味に夜宵は呟いて一瞬目を逸らす。




「夜宵ちゃん……」




 桜が力なく呼びかけて手を伸ばす。それを振り切るように夜宵は愛を見据えた。




「許さない……許されると思うな」

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