7 黒猫、不信

 不思議で不気味な世界を脱した桜と夜宵(正確にはもう一人いるのだが)の2人は、放課後、誰もいない教室の一室で席に座らされた。




 窓から夕陽が差し込む中、教室に入ってきたのは――桜の知る教師ではなかった。




「あぁ、そのままでいいよ」




 初老の男だ。銀色の長い髪と顎下の髭。その頭の天辺には烏帽子を被っている。服はとても現代的とは言えないし、機能美とは程遠い。平安時代の武家や貴族が着ていたとされる狩衣を身に纏っている。見るに相当年老いているようだが、体の芯がしっかりとした立ち方をしており、現代人が着れば浮きそうな狩衣が妙に様になっているのだ。




(歴史の教科書の30ページ目くらいにありそうな服だ!)




 と、その辺に疎い桜は単純に感動していた。対して夜宵は知識がある分、若干斜に構えた反応。




「陰陽師気取りかい?『現・陰陽寮』って言うくらいだもんね」




 関心とも皮肉ともとれる言葉に男は堪えた様子は無い。そして、挨拶も名乗りもせず、2人に今回起きた事件の事情を淡々と聞いていく。




 多少緊張したが、桜は今回何が起きたのか自分の眼で見える範囲の事を全部話す。




 夜宵も……あまり感情のこもってない声だが、起こった事を洗いざらい話した。




「……話を聞く限りではそちらのお嬢さん」




「沖だけど」と、夜宵が訂正する。




「……失礼、沖君は、『彼方の世界』について既に知っているかのような行動を取っていたようだね」




(やっぱり、なんか知っているんだよね。かたな?かなた?の世界がなんなのかまだ分かんないけど、お爺さんがちゃんと説明してくれるよね)と桜が思う横で、夜宵は――、




「どうかなぁ?」




 すかさず桜は夜宵の肩を掴んだ。顔を寄せて、ひそひそと(尚、全部男に聞こえている)お説教した。




「ちょっとちょっと夜宵ちゃん!年上のお爺さんにそんな態度の悪い溜口聞いちゃ行けません!」




「えぇ……だってあのジジ……お爺さん、名前すら言わないし、上から目線で色々話してくるし感じ悪いよー……」




 ジジイと言いかけたところで、桜は誰も見たことないような形相になり、夜宵は軽く動揺したようだった。桜は軽く溜息を吐く。




「構わんよ、お嬢さん。そんなことよりも」と、老人は音も無く、夜宵の席の目の前に立った。




「何故君は知っている。君にその知識を授けたのは一体何者か?」




 その視線は冷たく、思わず桜は怖気づいた。夜宵は何の感情も伺えない瞳で返した。




「……ボクはオカルトが大好きでして。噂話を色々聞くんですよ。もしかしたらー……元を辿ればあなたの組織の誰かが話していたことにつながってるのかも?」




「成程、確かに君たち以外にも怪異事件に巻き込まれた者達に我々『現陰陽寮』が今世界で何が起きているのかを説明する機会は増えてきている。噂話になっていても不思議ではない。いずれは世間にも浸透するだろう」




 すっと視線から冷たさが消えたように桜は思えた。だが、老人は夜宵の言葉をまるで信用していないようで、




「上手く出来た嘘だ」




と、断言した。夜宵は桜に詰め寄られた時が嘘のようなポーカーフェイスで肩をすくめた。




「まるで信用されてないみたいだ」




「夜宵ちゃんがちゃんと誠実に答えないからー!」




 全く気にしてない夜宵に対し、桜はぶんぶんと腕を振り「今からでもいいから態度を改めなさい」とぽかぽかと背中を叩く。




「尤も、儂にはキミの嘘を証明する手立ては今のところない。だから改めて話そう」




『彼方の世界』とは、この世に存在する生きとし生ける者が放つ力の波『霊気』が具現化する世界なのだという。




(???)




 頭が宇宙になっているのを察したのだろう。更にかみ砕いた説明によれば、人間の発する様々な感情が目に見えるような形になるのが『彼方の世界』なのだという。




 だが、感情というのは曖昧な物で、非常に強い感情でなければ形を保てないのだという。




 桜達が遭遇した化け物――『鬼』は、強い負の感情が形となり、命となった物なのだという。




「えっと……もしかして、今こうしている間にも『鬼』は生まれているんでしょうか?」




 頭がくらくらしてきた桜はふとそんなことを思って聞いてみる。老人は静かに頷いた。




「あぁ、そうであろう。だが、こちらの世界に出てこない限りは問題ない」




「え……放っておいていいんですか?」




 素朴な疑問をぶつけた桜に対して、何か察したように夜宵が口をはさんだ。




「『鬼』ってもしかして、時間経過で消えたりする?」




「おや、なんでも知っているのかと思ったがそうでもないようじゃな」




 肯定。『鬼』はその実体を保つ為により多くの負の感情を欲するのだという。しかし人間の負の感情というのは、長く強くは続かないものなのだという。




 だから『彼方の世界』の中で発生する分には「よほどのことが起きない限り」現実世界への影響は少ないのだという。




 問題は『鬼』が現実世界に出てきた時。『穴』と呼ばれる現実世界と繋がる道が発生してしまうと、人間の感情に惹かれて『鬼』はこちらに出てきてしまう。




 そして人間を自分達の世界に連れ去るのだという。




――そして、連れ去った人間と『鬼』は同化して、直接感情を吸い出し、自分の仲間『眷属』にするのだという。『眷属』となった人間は、正気を失い最終的に『鬼』になってしまうらしい。




「えっと……もしかして、私達間一髪だったってことですか?」




「下手をすれば3人仲良く『鬼』になってしまったやもしれ……」




 きゃぁああっという悲鳴に老人のか細い声がかき消されてしまう。夜宵はまたしてもポーカーフェイス。




(や、夜宵ちゃんだってほんとは怖いくせにー!)




 というかもっと危機感持ってほしいと桜は夜宵に視線を向ける。




「負の感情に抗うは正の感情じゃ。今回はそちらの――星見さんだったか? キミが作り出した光の旗が鬼を祓ったのだ」




 桜があの時、友達を護りたいと思ったその気持ちが彼女に力を与えた。『鬼』を作り出す程の負の感情に対抗できる力をと、髭をさすりながら感慨深く話された。




(力……ってお爺さんは言うけど、どちらかというと祈りなのです)




 自分に「力」なんて大層な物はないと桜は思った。そんな桜に夜宵がふと静かに優し気な笑みを向ける。きっと夜宵の方がもっとすごい力を持っているに違い無い。桜はそう信じてやまない。が、そう思っているのはどうやら彼女だけのようだった。




「『鬼』を祓う“武器”をワシらは『霊具』と呼ぶ。そしてそれを持つ者こそ『彼方の世界』の『適合者』なのだ。キミは人々を『鬼』から守る使命に目覚め――」




 話の途中で夜宵は立ち上がった。




「ごめん、用事思い出しちゃったからもう帰るね。貴重なお話をどうもありがとうございました」




 そして、誰かが何かを言う前に教室を無言のまま出て行ってしまった。




(も、もしかして私だけ褒められたから、拗ねちゃったかな・・・?)と、桜はやはりちょっとずれた受け取り方をした。話をしてくれたお爺さんの気持ちを損ねないよう、なるべく丁寧に夜宵を追いかけたい旨を伝える。




「友達は大事にすべきじゃ。追いかけてあげなさいな。話はまた今度――代理が話してくれるであろう」




 と、むしろ早く追いかけなさいと送り出され、桜は夜宵を追いかけて教室を出た。




 夜宵の歩みはとても早く、校門のところでようやく追いつくことができた。




「あ、あのー夜宵ちゃん? お話の途中で出ていったら失礼ですよー?」




「あんな宗教勧誘みたいな話聞いてられないよ……」と夜宵は苦虫を嚙み潰したような表情で言った。




「そんなこと言って――あのお爺さん多分嘘はひとつもついてないですよ?」




「そうだね、だから問題なんだ」と夜宵は吐き捨てる。そして、歩みを止めた。




「あいつは……『現陰陽寮』とかいう組織は桜の優しさ――力を利用しようとしてる。桜が『霊具』を使えるから自分達の仲間にしようとしてるんだよ」




「でも、おんみょりょーでしたっけ? あのお爺さんの話だと『鬼』?を倒す為の組織みたいな感じするし……」




 悪い事をしようとしている組織なら夜宵の言い分も分かる。或いは自分達を騙そうとしているとかなら。だけど、何故彼女がそうまでしてあの老人と彼のいる組織を毛嫌いするのかが分からない。




(まぁ、普通に聞いたら怪しい宗教勧誘っぽいかもですけど)




 むしろ、オカルト狂いの夜宵なら嬉々として組織に入れてくれとか言いそうなものだと桜は訝しんだ。




「桜は分かってない……『鬼』の恐ろしさが。今日の奴なんか生まれたての赤子みたいなもんで――」




「やっぱり、夜宵ちゃんは前に会ったことがあるんですね?」




 あの老人の前ではあれだけしらを切っていたというのに、桜の前だと形無しだ。




「……父さんは『鬼』のせいでいなくなった。桜にまで消えて欲しくないんだよ」




 桜は息を飲んだ。彼女の父の事はよく知っている。中学の頃は何度か話したこともある。夜宵との縁が途切れた時以降、話す機会が無かったが、まさかそんなことになっているとは知らなかった。




 自然と夜宵の手を取っていた。




「約束です、全部話してください。私、夜宵ちゃんの力になりますから」

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