第36話 あなたは、タタルダンジョンへ足を踏み入れた
タタルダンジョンに入場する。
そこは、割れた天井から木漏れ日のように光が降り注ぐ、薄暗い洞窟だった。
僅かな腐臭と土の匂いが漂う地面は、柔らかさがない岩場に幾らかの土。踏み込む際には注意が必要だろう。
だが、人が三、四人は並んで歩ける広めの路地は、短い剣なら横に振っても引っかからなそうだ。
光源も薄暗いとは言え見えないほどじゃない。予備に持っているランタンを点けておけば、光源に困ることはないだろう。
中の構造はそこまで入り組んでいないので、探索は容易なはずだ。
さあ、行こうか。
入り口から百歩歩くか歩かないか、と言った程度のところで、分岐路があった。
左か前のどちらかに進む。
「待っていてください、先を見てきます」
ヴィクトリアはそう言って左の道へ入ろうとした。
「一人じゃ危険じゃないか?」
なんだったか……、そう、サミュエルとかいう戦士が、そう警告をしてくる。
まあ、言いたいことはわかる。
だが……。
「挟み撃ちにされるのが一番危険だよ。皆さんは退路を確保しておいてください」
そう、このような閉所では、挟み撃ちにされるのが一番危険だ。
挟み撃ちされ、隊列の後ろから迫ってきた敵に、肉弾戦ができない後衛のマジックユーザーに直接攻撃されるのが一番困る。
よって、野伏の能力を持つヴィクトリアが先行して、偵察する必要がある訳だな。
ヴィクトリアは、三分ほど左の道を探索して、戻ってきた。
「左の道はゴミ置き場だったようです。生き物の遺骨と、毛小鬼(バグベア)の排泄物の山がありました。それと……、これも」
彼女の手には、薄汚れた冒険者証が四枚あった。
「これは……」
殺されたタタルの冒険者の遺品か。
一応、持ち帰っておこう。
さて、それじゃあ、分岐路に敵がいないことを確認したので、先に進もうか。
しばらく歩くと……。
広間に出た。
広間には、実に十体ものバグベアが屯している。
バグベア……。
緑小鬼こと、ゴブリンの近似種。
汚れきった乱杭歯、肥大化した鼻、尖った耳、黄色い瞳。
極めて醜い、心身共に醜悪な矮躯の蛮族。
それがゴブリンだ。
その近似種であるバグベアと、毛熊鬼ことボダッハも、ゴブリンとほぼ同じ習性の種族である。
しかして、バグベアとボダッハは、比較的北方に生息する種族で、全身から獣のような毛が生えているのがゴブリンとの相違点だ。
また、ベルクマンの法則はこの世界でも有効なのか、バグベアとボダッハはゴブリンより少し大きい。
ああ、ベルクマンの法則ってのは、寒い所の生き物は大きくなるという話だ。
実際、本土のツキノワグマより、北海道にいるヒグマの方が大きいだろ?
シカも、奈良の鹿より、ノルウェーにいるようなヘラジカの方が大きい。
故に、バグベアとボダッハも大きい……。
更に言えば、バグベアやボダッハなどは、動物よりも賢く、人間に近い考え方をするので、故あれば寒冷な北方から南下してくる。
もちろん、モンスターには、寒冷地のみでしか生きられない種族も多くいる。
だが、バグベアやボダッハにとっては、寒冷地に適応しているというだけで、そこから離れられない訳ではないのだ。
もちろん、暑さには弱いだろうが、今はまだ肌寒い初春であるから、判定にペナルティはかからないだろう。
さて……、絶好の奇襲チャンスな訳だが?
「アデリーンさん、眠りの雲(スリープ・クラウド)を」
と、ヴィクトリアが指示。
「ええ。魔力の霧雲よ、膨れ上がり、触れる者を眠りへと誘いたまえ……、『眠りの雲(スリープ・クラウド)』」
輝く霧雲が、アデリーンの目の前からスプレー噴射のように出てくる。
それは、ふわりと漂い、洞窟の大部屋一つを包み込む……。
『グゲ?ゲ……、ァ……』
『ゴアァ?!ゴ、ゴ、ガー……』
『グゴー、グゴー……』
幾体かのバグベアは、いきなり部屋に満ちた霧雲に驚きの声を上げたが、すぐにスリープ・クラウドの効果で眠り状態へ移行した。
バグベアは魔力をあまり持たないので、魔術に対する抵抗力が低い。だから、このような魔法には滅法弱いのだ。
あっさりと無力化されたバグベアの首筋を、それぞれが持っているサブウェポンのダガーなどで斬り裂いていく。
刃物は、使い続ければ劣化していくからな。
こういう時は、できるだけメインウェポンを温存すべきだから、判断は正解だろう。
いやあ、にしても、スリープ・クラウドはこの世界でも強魔法か。
ライトノベルなどでは、景気良く攻撃魔法をぶっ放す光景がよく見られるが、この世界のような判定の渋いTRPG的世界観では、華やかな直接攻撃魔法よりも補助魔法の方が重宝される。
今回のように、眠らせてしまえば後はこうして何もできない敵にトドメを刺して回るだけになる訳だな。
他にも、麻痺や拘束、魅了なども強力だ。
基本的に、状態異常を無効化するスキルなどないし、軽減する程度のマジックアイテムでも目玉が飛び出るほど高価だそうだ。
某ローグライクゲームのように十三盾とか、某悪魔召喚RPGのような全門耐性とか、普通に無理。
相当に高価な貴重品でも、一つの状態異常にかかる確率を減らす程度が限界だ。
具体的に言えば2d6……、6面のサイコロを2個振って出た値が7以上なら、状態異常に抵抗できるとしよう。
その時に、最高級の耐性装備があれば、2d6の値にプラス5される……、って所だ。
それならつまり、1、1のファンブルでも助かるって寸法よ。
とは言え、これが強力な状態異常効果なら、2d6で8以上9以上とより高い数値を要求されるだろうってこともまた言える。
まあ、なんだ。
強い魔術を考えなしにバンバン撃ってれば勝てるって世界観じゃなくって、限られたリソースで頭を使って効率的に敵を無力化していく必要があるって訳だ。
……長々考えたが、俺の場合は力押しで勝てちゃうんだけどね!
さあさあ、そんなことをごちゃごちゃ考えているうちに、バグベアの群れが討伐されたみたいだ。
そうして、先に進もうとしたところで……。
『グゲッ?!ガォバガ?!』
ボダッハに見つかった……。
ファンブルだな。
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