第42話 作戦開始

 翌々日の早朝、ついに作戦は決行されることとなった。

 天候はあいにくの雨。比較的目立ちづらいという点においては、晴天よりむしろ都合が良いのかもしれない。


 編成された部隊は大きく分けて三つ。

 一つは後衛部隊。王宮に誰も近づかないよう人々を誘導しつつ、王宮から逃げ出してきた敵の殲滅を行う。

 一つは中衛部隊。王宮へと侵入し、主に近衛騎士と交戦する。

 そして最後の一つが、俺の所属する前衛部隊。最前線で王宮へと侵入し、主要戦力を叩き、可能ならば無力化して捕らえる。

 だが実際問題として、無力化なんてものは不可能であると断言していい。魔法がある以上、死以外であれば、どのような状況からでも逆転の目は存在する。王宮の牢で俺を捕縛していた鎖が量産されていれば可能やもしれないが、あんな代物が簡単に量産される訳がない。

 つまり、選択肢は実質一択。


「緊張されていますか?」


「……おはよう。まぁ、少しな」


 少し走り回れば服の色が濃くなってしまうほど雨が降っているというのに、水滴一つ寄せ付けない姿で現れたのはミルだった。

 プリムは屋敷でお留守番し、シルヴィは本人の希望叶わず後衛部隊。だというのに、なぜだか最も重要人物であるミルは俺と一緒に最前線。どんなやり取りがあったのかわからないが、ミルが無理を言ったことは容易に想像できる。


「無理だけはしないようにしてください」


「それ、ミルが言うことか」


「えぇ。私は治癒魔法がありますから」


「そうか。まぁ、俺もやることやれば撤退するさ。だから大丈夫だ」


 「今からでも後衛に下げてもらえ」と手をひらひら振り、俺は歩みを早める。しかし俺の期待に反して、ミルも歩みを合わせてついてきていた。


「一番大事なの、自分だってわかってる?」


「いえ、一番大事なのはアルフレイ君ですよ」


「勇者を崇拝しすぎだ。勇者も所詮は雇われの身にすぎないんだから」


「いえ、そうではなく……」


 食い下がろうとするミルを軽くあしらい、少し前を歩いている知り合いの元へ駆け寄って声をかける。


「おはようございます、ミリスさん」


「あ……勇者様」


「先日はプリムが世話になったみたいで、本当にありがとうございました!」


「いえ……私の助けなど、本当は必要なかったと思います。彼女が優しすぎただけですから」


 遠慮がちに微笑するミリスからは、圧倒的な品性を感じる。

 今回の作戦を聞きつけ志願した数少ない冒険者の中でも、彼女ただ一人が最も危険な前衛部隊を希望したという。

 理由は定かではないが、凄まじい愛国心の持ち主なのだろう。


「それでも、感謝の気持ちは変わりません。ありがとうございました!」


「いえ、私の力なんて微々たるもので……」


 ……実は、自分の実力に自信がないのだろうか。ソロのヒーラーがSランクなんて前代未聞だし、胸張ったらいいのに。

 過剰に謙遜する姿に違和感を感じながらも、俺は自分の定位置へと戻った。


「彼女と、何の話をされていたんですか?」


「プリムが世話になってな。そのお礼」


「そうですか」


「そうだ。それより、ミルもそろそろ自分の場所に戻ったほうがいい」


「……わかりました」


 数名がかりの大魔法により、一行は世界から姿を隠している。それが俺たちが堂々と歩いていられる理由だ。

 しかし呑気な俺やミルと違い、等間隔に散らばって周囲を歩く聖騎士たちの姿は真剣そのもので、一切の私語がなかった。雨に濡れようとも一切気にする様子がない騎士たちは、不気味な雰囲気であると形容してもいいほどだ。

 前衛に選ばれるということはその実力はもちろん、意識の高さや覚悟の重さも考慮されているはず。その点、俺やミルはまだまだ未熟で、緊張感が足りていないだけなのかもしれない。


 王宮までの道のりはまだまだ長い。いっそ一人で走り出してしまおうか、なんて衝動が時折襲い掛かってくる。その衝動を抑えつつ、王宮へと一歩ずつ、ゆっくりだが着実に近づいていく――



 王宮へ到着した頃には、既に日が沈みかけていた。急な作戦とはいえ、移動手段ぐらい確保してほしいものだ。

 道中横目に捉えた王都には、やはり人影が一つも見当たらなかった。詳しい事情は掴めていないが、王宮から何かしらの命令が出されており、外出が許されていない可能性が高い。


「にしても、広いな……」


「そうでしょう? 小さい頃、よく迷子になって困ったものです」


 だだっ広い王宮の庭園を見渡す俺の左隣に、当たり前のようにミルの姿があった。移動中あまりに退屈していたせいで、周りに悪いと思いつつも彼女を受け入れたのが事の経緯であった。

 彼女と会話することで麻痺させていた感覚も、ここまでくれば嫌でも取り戻してしまう。


「今からほんとに、やるんだよな」


 後ろ向きな気持ちで心が満たされていく。人を殺すなんてことは長い戦闘経験の中で、たったの一度もないことだ。


「……えぇ」


「仕方、ないよな」


 既に、見張りの近衛騎士たちを全滅させる様子を遠目で確認している。戦いの火蓋は静かに切られたのだ。もう、引き返せない。


「勇者様、平気ですか? その、顔色が悪いように見えたので……」


「ミリスさん……俺は、平気です」


「それなら良いのですが……」


 俺の右隣へと収まったミリスは、俺を心配して色々言葉をかけてくれる。彼女自身は不安そうな仕草はなかったから、精神的に強い人なんだと思う。


「勇者様」


「は、はい?」


「私がついています。だから、安心してください」


 俺の右手へ指を絡め、瞳に強い光を宿してミリスは宣言する。


「アルフレイ君には私がついていますので、あなたに頼らなくても大丈夫です。お気持ちだけ受け取ります」


 それに張り合うように左手に巻きついたミルが、ミリスへ向けて宣言する。

 戦場には似つかわしくない雰囲気だ。だけど、悪くない。自然と緊張の糸がぷつりと切れて、心が安らかに包まれていく。


「おい、こんなところで変な負けず嫌い発揮しなくたって――」


 その瞬間を、奴らは見逃さなかった。

 剣が、俺の手のひらに深く突き刺さって静止していた。


「止められたか」


「――剣聖」


 地を蹴って距離を取る。周囲の騎士たちも一足遅れて状況を把握し、一斉に剣を抜き、臨戦態勢に入る。ここまで上手く事が運んだだけに、誰もが認識阻害魔法を信じすぎていた。


「俺は剣聖を相手にするつもりはない。今なら見逃してやる」


 ミルの治癒魔法を受け、たちどころに傷口は塞がって元通りになる。綺麗になった手のひらを見せつけるように突き出し、ここで事を構えることを諦めさせようと画策する。

 元剣聖――ソルドラ・プレイアは言葉を発さず、鋭く俺を射抜いているのみだ。聖騎士たちは、相手が相手だけに一歩を踏み出せずにいる。

 やがて勇気を振り絞った一人が、ソルドラへと飛びかかった。


「ッ!」


 考えなしの特攻。ソルドラは隙だらけの腹に思い切り蹴りを放つと、聖騎士は一瞬で意識を刈り取られ、白目を剥いて吹き飛ばされた。

 多分死んではいない。剣を振らなかったのは彼なりの情けかもしれない。


「こちらからも提案だ。今降参してこちら側につくというなら、その命は助けてやる」


 ソルドラを相手に躊躇っている余裕はない。依頼外の仕事だが、俺がやるしかないのか? せめて少し前を行っている副団長がここにいれば、任せられたのに……


「――風裂斬」


 飛来した斬撃が、俺の魔力障壁へ強く衝突した。ソルドラは本気だ。

 なぜ、彼ほどの男がレイモンド側につくのか、理解に苦しむ。


「クソ……殺す覚悟がない。消耗するわけにもいかないってのに」


 未だ葛藤する俺を尻目に、聖騎士たちは果敢に飛びかかっていく。命を容易に奪われる相手にそれができる胆力は流石と言うしかない。しかしその尽くが、軽くソルドラに薙ぎ払われてしまう。

 狙いは、やはり俺か。無力化する余裕のある相手には、剣すら抜いていない。

 俺は、どうすれば――


「「治癒ヒール」」


 ミルとミリスから神々しい光が溢れ出していく。その光を浴びた聖騎士は、力を取り戻し、再びソルドラへと飛びかかっていく。


「アルフレイ君、あなたがここで力を振るう必要はありません。私たちの部隊は決して弱くない。剣聖の一人や二人、どうとでもなります」


「勇者様、どうか安心して力を温存してください。サバナ公爵からもそう言われております」


「……悪い」


 二人は既に、人とやり合う覚悟ができていた。この期に及んで俺だけが、それを持てずにいる。


「その通りだ。勇者殿、今は俺らの戦いを見ててくれよ。ただ――」


 名前も知らない聖騎士が、俺の眼前で背中を向けて語りかけてくる。


「やるときはやってくれ。お前の力が必要なときが来る。それまでに、きっちり覚悟を決めとけ」


 その言葉を最後に、彼は雄叫びを上げ、ソルドラへと立ち向かっていった。

 その姿に俺は心を動かされながらも、未だ完全には覚悟を決められずにいた。

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