第43話 時は止まらない

「ごめん……」


 ずっと手が震えていた。

 あの男を殺す能がないわけではない。『魔力砲』をまともに命中させれば、一撃で仕留められるだろう。そうすれば、ソルドラ・ブレイアという男はこの世界に一片の存在を残すことすらできずに蒸発することになる。

 そもそもこの魔法は、生身の人間相手に使うために編み出した魔法ではないのだから。


「いえ、気にしないでください」


「そうです。勇者様は悪くありません」


 ミルとミリス。二人はいつもこうだ。いつも俺に寄り添ってくれる。いつも俺に都合の良い言葉をかけてくれる。

 勇者をやめたいだなんてぶっ飛んだことを言いだした時もそうだった。


「いや、そんなことは……」


 咄嗟に口から否定が飛び出る。

 でも、本当に自分が悪いと思っているわけではないんだ。

 彼女らならきっとこの言葉を否定し返してくれるから。その上で、俺の選択を全て肯定してくれるだろうから。

 そんな、形ばかりの否定。


「大丈夫です。アルフレイ君の思うところは正しいのですから、胸を張っていいのです。それに危なくなれば、ここから逃げ出せば良いのです」


「は? 逃げ出すっていっても、さすがにそれは……」


「私も賛成です。自分の命を優先するのは悪いことではないのです。そもそも、勇者様はその役職を降りたいと以前から話されていました。それだけでも十分ですし、もはや形を留められていない王国に、あなたを勇者と任命できる資格はないのです」


 二人の慮りはよくよく伝わってくる。そして、俺と彼女らとでは、根底にあるものが違っているということも分かった。

 二人は俺が身の危険や魔力のことなど、戦闘面での心配をしていると考えている。しかし実際のところ俺は、その力を振るわないといけないのかという自分の倫理観との戦いを繰り広げているのだ。周りへ命の危険が迫っているのに、力を振るう勇気が出ないという、動物として致命的な脆弱性。


 真実を告げてしまえば、今度こそ見捨てられてしまうかもしれない。でも、言わないといけない。


「違うんだ……俺は、彼を……人を殺す覚悟がないだけなんだ」


 情けなさに目を伏せながら打ち明ける。今、二人はどんな顔をしているだろうか。それを確認するのが恐ろしく思えて、ずっと俯いていた。

 俺の肩に、温かい手のひらが置かれるまでは。


「なんだ、そういうことだったんですか。そんなの、人間なら当たり前のことです」


「え……? いやでも、みんなが命をかけてるっていうのに俺は――」


「良いんですよ。良いんです」


 これで良かったんだと思うと、無意識に体の緊張が抜けた。

 二人の慈愛溢れる眼差しを受けてしまったのだから、これは仕方がないことなのかもしれない。


 心は、どんどん後ろ向きに傾いていく。


「聖騎士の皆さん! 申し訳ありません! 勇者様は、呪いの影響で体調が優れません! 離脱させていただきます!」


 ミルの申し出は、聖騎士たちに波乱を巻き起こす。今まさにソルドラと接近していた聖騎士は、戦いそっちのけでこちらに意識を奪われてしまい、その腹に勢いよく蹴りを受けて吹き飛んだ。

 不安、疑念、怒り、焦り。様々な負の感情が渦巻いている。

 本当にこれで良かったのか?


「乗りかかった船ですので、この戦いだけは支援します。アルフレイ君、もうしばらくだけ休んでいてください」


「あ、あぁ……」


 俺の自分勝手を誰も面と向かって止めようとしない。裏で話がついていたのか、あるいは呪いの件が周知されていて、勇者が使い物にならない可能性が共有されていたのか。詳しい理由まではわからない。

 ハッキリわかるのは、この環境がぬるま湯であることだけ。

 居心地は悪くない。そのはずなのに、奇妙なほど胸がむかむかした。


 王国が乗っ取られてしまえば、きっと後悔するはずなのに。ウェルドの仇が取れなければ、ずっと心に引っかかったままになるだろうに。どうして、たった一歩が踏み出せない。


「俺は、どうしたいんだろうな」


「勇者様、それはどういう」


「いや、なんでもないです。ちょっと疲れてたみたいです」


 自嘲的な笑みがこぼれた。

 それでも体は動きださない。もう、自分ではどうしようもないんだと思う。


 つまるところ、俺が求めているのは絶対だと思える正解なのだ。

 俺の中では、人を殺さないことは絶対的に正しいことだし、悪を滅ぼそうとすることもまた絶対的に正しいのである。


 その二つが矛盾を引き起こし、頭にわだかまりを残している。だから俺は、自分の力で選び取れないのだ。

 そして、何もしないことを選択してしまうのは俺自身の弱さの問題だ。

 やって後悔するぐらいなら何も関与せず、後からタラレバでも語っていたほうが何倍も楽なことを知っているからだ。


 ましてや、今回のように規模が大きなこととなれば猶更だ。無関係を貫いた方が、後から罪悪感に呑まれることもないのだから……



 ふと目を戦場へと向ければ、また一人、また一人とソルドラを相手に聖騎士が飛びかかっていく。そのまま庭園の木に叩きつけられたと思えば、彼らはすぐさま回復して次の突撃の機会を窺う。

 ミルとミリスの治癒魔法で回復するとはいえ、恐怖は刻まれる。それでも彼らは攻撃をやめない。実力差など考えず、何度でも立ち上がる。

 勇者が使い物にならないという絶望を叩きつけられても、それでも彼らは諦めなかった。

 彼らは、自分の正義を果たすため、その矜持をかけて立ち向かっているのだ。別の正義に揺らぐことなく、自分が最も信じ尊ぶものを正しく認識し、真っすぐに走っている。

 今まで認識できていなかった聖騎士の精神的強さを感じて、心が震えた。


「情けないな、ほんと」


 消え入りそうな呟きが、誰の耳に入ることもなく霧散した。

 そして、事態は動きだす。


「ぐあ――」


 聖騎士の一人が、無残に切り捨てられた。重厚な鎧を貫通し、上半身と下半身が別れたのだ。悲痛な叫びを全て吐き出す前に、心臓を貫かれ、脳は兜ごと四つに斬り分けられた。

 ソルドラが、鞘から剣を抜いたのだ。


 時間は、俺の葛藤を待ってはくれない。


「嘘だろ……ミル、なんとかならな――」


 彼女らならなんとかしてくれる。そんな淡い期待は、その顔を見た瞬間に打ち砕かれた。

 ――死んだ者を、生き返らせる魔法なんてない。

 衝撃的な瞬間に立ち会った彼女らは、痛ましく顔を歪めていたのだ。

 当然だ。短い間とはいえ、彼女らは聖騎士たちと生活を共にしていた。それに、こんな場面に慣れてもいないはず。


「ごめん……」


 呑気に謝罪などしている間に、聖騎士はまた一人斬り捨てられる。

 もう、躊躇っている場合ではないはずなのに。一度手を出さないと決めてしまったせいか、この期に及んであと一歩が踏み出せない。

 誰か、俺を引っ叩いてくれ。そして、あいつを殺せと頼んでくれ。


「――勇者、アルフレイ・バーンロード! 私の話を聞いてくれ!」


 突如、心に突き刺さるような怒声が響いた。その声にすぐさま反応したミリスが俺と声の主の間に立ちふさがり、ミルも腕を構えて治癒魔法の準備をしている。


「一体、何者で――」


 その言葉を言い切る前に、ミリスは警戒心を更に強める。それもそのはず。声の主は、剣聖――レイソン・ブレイアであったのだから。


「私に敵意はない! アルフレイ・バーンロード、先の一件については謝罪する! 必要ならば補償もする!」


 レイソンは剣を鞘に収めたまま、冷静に言葉を選んだ。


「私に手を貸せ!」


 哀願を秘めた瞳が、揺れ動いていた。

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