第40話 本心
軽い気持ちで応接室へと戻ってきた俺は、猛烈な後悔に襲われていた。
というのも、重要な話をしているかもしれない手前、強引に押し入る訳にはいかないからである。
会議室もそうだったように、防音の魔法が施されているため、部屋内の様子を把握することすらできない。
仕方なく扉にもたれかかり、いつ終わるかもわからない話をひたすらに待つこととなった。
しばらくして、扉越しに微かな振動を感じる。慌てて飛び退き、やましいことはないのに壁に張り付いて姿を隠す。
すぐに扉が開かれる音がして、俺の予感通り、扉の向こうから一つの人影が姿を覗かせた。それは扉を静かに閉めてから、大きく肩を動かして深呼吸した。
「アル……どうして……」
その人影は、切なげな呟きとともに足の向きを変えて――俺と目が合った。
「いや、アル君、どうしてなんだろうね……」
何か弁明しなければならないと思ったので、『アル』という人物へと一緒に思いを馳せることにした。
みるみる見開かれていく瞳を目にして、詰んだと思った。
「あ……あ……」
ゆっくりと後退りするシルヴィを驚かさないように、俺もゆっくりのっそりと彼女に近づいていく。
「いいか? 俺は何も聞いてない」
シルヴィは俺の言葉に耳を傾けるまでもなく首を横に振っている。耳まで真っ赤にした彼女は、この大きな屋敷全体に響き渡りそうな声で叫ぶ。
「来ないで! それ以上近づいたら、殺すから!」
「冗談きついぞ? 別に、そんなに騒ぐほどのことじゃ――」
真横を針と見紛うような光弾が通り過ぎ、背中に嫌な汗が噴き出す。直後、後ろで小さな爆発音がした。
まさか本気で攻撃されるとは思わず、障壁も何も展開していなかった。
当てる気がなかったとはいえ、シルヴィが少し手元を狂わせていたら間違いなく脳を貫いていた。
「おい待て! 落ち着け! ほんとに、大したことは聞いてないって!」
「やっぱり、聞いてたんだ!」
癇癪を起こした子供のように、シルヴィは魔法を続けざまに連発する。そのどれもが、直撃すれば大人の命を容易く奪う即死級のものだ。
俺の実力を信頼しているのか、本気で一発叩きこんでやろうとしているのか、判断に困るラインだ。
魔力障壁を展開しつつ、彼女を刺激しないようにゆっくりと近づく。
「『アル……どうして……』なんて一言聞かれただけで、そんなに恥ずかしがることないだろ?」
「からかわないで!」
「声真似なんてしてないぞ?」
「自覚がないなら、そんな言い訳は出てこないでしょ!」
次々と飛んできては不可視の障壁に直撃し、小さな爆発と共に跡形もなく消え去る針。それを脇目に捉えつつも、シルヴィへ一歩、また一歩と距離を詰めていく。
「だから、来ないでって言ってるでしょ!」
疲れを知らないシルヴィは、勢いを落とすことなく魔法を連発し続けている。
「いや、行く!」
「なんで来るの!? 来ないでって言ってるでしょ!」
「言い訳するためだ!」
「そんなの、必要ない!」
ワロンの町で会った時の怜悧なものとはまた違った印象。かつて、趣味で冒険者を一緒にやっていた頃とも違う。これは、それよりもっと前の――学園に入学したばかりの頃のものだ。
「必要ある!」
「ない!」
「いや、ある!」
「ないって言ってるでしょ!?」
シルヴィの顔には次第に疲れが見え始め、魔法の勢いは目に見えて衰えだす。歩幅は次第に小さくなり、俺の緩やかな前進でも目に見えて彼女との距離が縮まっていく。
魔力を消耗したのか、あるいは彼女自身の心の持ちようの問題か。定かではないが、今こそが好機だ。
「だから、来ないでって……」
「行くって言ってるだろ? 仲間なんだから、待ってくれよ」
彼女の元まで、あと二、三歩。目を伏せたシルヴィに、もはや後退する気力は残っていないようだった。
「そんなのもう、昔の話で……アルはもう、私たちのことなんか……私のことなんか、仲間だと思ってない……」
弱弱しく消え入りそうな呟きをしっかりと聞き取り、それを否定する。
「そんな訳ないだろ? お前ほど頼れるアタッカーなんて、俺は知らない」
よくわからんけど、なんかこれ、いける気がする!
「嘘……アルにとってはみんなローラの付属品だったんでしょ? だから、ローラが死んだ時、用済みの私たちを捨てて勇者に志願したんだ。私、知ってるもん」
目に涙を浮かべたシルヴィが、苦しそうにこちらを見上げている。
「それは違う。俺のせいで、これ以上仲間を死なせたくなかったからそうしたんだ」
「あれはアルのせいじゃないって、何回も言ったでしょ? それなのに抜けたってことは、やっぱり――」
強く握りしめられているシルヴィの両手を、優しく掬い上げるように包んで持ち上げる。
「違うよ。あの事故は間違いなく俺のせいだった。そして、大事なみんなをもう死なせたくなかった」
「……でも――」
「でも今は、あの時よりずっと強くなれた。だから今度こそ、またみんなと仲間になりたい」
目が、再び大きく見開かれた。その瞳には、今までよりもっと多くの光が映し出され、きらきらと輝いている気がした。
「アル」
「なんだ?」
「私、ほんとはね……ほんとは!」
抑えきれなくなって胸元に飛びついてきたシルヴィを素直に受け入れる。やり場のなくなった腕は、肩と垂直になるように浮かせておく。
「ワロンまで会いに来てくれた時、嬉しかった! でも、アルが王国にいるのは危なかったし、もう捨てられたと思ってたから、冷たくしちゃった」
「あぁ、あれは落ち込んだな。シルヴィに絶交されたのかと思って、寝込んだ」
「え、その、ごめんね」
「いや、なんで嬉しそうなんだよ」
笑顔を浮かべたシルヴィが、一層強い力で俺の身体を抱きしめた。
「でも、そっか……私、ずっと勘違いしてたのかな」
「シルヴィはいつもそんな感じだったから、別に今に始まったことじゃない」
「いや、元はといえばアルが――」
「あー、そうだな。俺が悪かった」
無意味な口論へと発展する前に、先んじて折れておく。
それからシルヴィは、パーティーが解散した後の話を始めた。しばらくは二人でパーティーを続け、ミルが公務で忙しくなってからは一人で細々と活動。縁があって、今は町の学校で教師をしているそうだった。
「ねぇ、私たち、また冒険者やれるのかな?」
俺の服へと顔をうずめながら、くぐもった声を辛うじて聞き取る。直に服へと息がかかるせいで、胸元の一部分が温かくて変な感じがする。
「さぁ、それは……」
わからない、というのが正直なところだ。伝えなくてはならないことがあるが、今はそんな雰囲気じゃない。
「きっと、またいつかな」
「そっか……楽しみだ」
「それは良かった。ところで、突き当たりの壁が大きく損傷しているようだが……何があったのか、説明してもらってもいいか?」
背後からかけられた声には、明確な怒りが込められていた。
「あ、その、申し訳ありません。費用は出します」
「そうかそうか、それから――」
慌てて教師モードに入り、立ち上がってサバナに弁明するシルヴィを見て、先ほどとの印象の差に改めて驚かされた。とても、同一人物とは思えない。
「あ、そうだ。公爵、早く会議室まで来てください」
ここでようやく本来の目的を思い出し、俺はサバナへと声をかける。
「ああ、わかっている。ちょうど話も終わったところだった」
サバナの後ろにはミリスの姿もある。結局、サバナを呼ぶどころか、かえって時間をかけることになってしまった。
しかし、シルヴィとのすれ違いを紐解くことができた。それだけでも、お釣りがくるぐらい価値ある時間だったのだと、晴れやかな気持ちで俺は会議室へと向かった。
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