第39話 器

「無事でよかった」


 プリムの姿とシルヴィ、それから先の一件で世話になったミリスの姿を見つけ、俺は小さく手を振る。


「アルも無事みたいでよかった!」


 両手で振り返すプリムに、小さく会釈するミリス。一方でシルヴィは、こちらを見ようともしない。まぁ、想定内の反応だ。冷淡な態度だが、俺の伝言を聞き、プリムと共にミルを心配してここまで足を運んでくれただけでもありがたい話だ。

 ひとまずは安堵感に胸を撫でおろしながら、プリムの向かいにある席へと俺は座った。その右隣にミルが、左隣にサバナが当たり前のように腰をかけてくる。


「公爵はあっちに座った方がいいんじゃ……」


「私の隣だと不都合でもあるのか?」


「いや、そんなことはないですけど……」


「では、問題ないな?」


 形容しがたい威圧を感じて、俺は仕方なく受け入れることにした。

 正直、公爵が隣にいるというのは居心地が悪い。身分の高い立場の人間と接するということは、実際かなり気疲れするもんだ。

 その点、ミルは最上級の身分でありながら、一緒に過ごしていても気疲れをした記憶がそんなにない。


「それでは、ワロンの状況を聞かせてもらおうか」


 机上で手を組んだサバナによって、唐突に何やら会議のようなものが始まった。

 てっきり再会を喜ぶ時間でも設けてくれるのかと思っていた俺は、突然場に漂い出した緊張感に面食らった。


「はい。ですがその前に少し、席を外してもよろしいでしょうか? 少し用事があるので」


「ほう……まあいい」


 シルヴィはサバナに一礼し、俺とは視線も合わせずに部屋を出た。辛辣な対応に俺が心を痛めているところへ、サバナは声をかけてくる。


「勇者君――いや、アルフレイ・バーンロード君」


「なんでしょうか?」


「シルヴィの用事とは何だと思う?」


 考えてもみなかったが、言われてみれば確かに気になる。

 こうしてわざわざサバナが問うということは、何か興味深い用事なのだろうか。しかし、ここは自分の家でなく公爵の家なのだから、できる用事なんて限られている。

 壮大な雰囲気を漂わせておいて、その実単純な答えだとみた。つまり、


「トイレですかね?」


「あぁ、そうかもしれないな」


 サバナは答えを教えてはくれない。

 彼女は俺に意味ありげな視線を送ってから席を立ち、窓側にあるソファーへと寝転がった。どうやら、随分と自由奔放な公爵らしい。


「どうやら、君がいると話が進まないようだ」


「……どういう意味ですか?」


 呆れたように吐き捨てられた言葉に、俺は首を傾げる。


「いや、わからないならいい。王女様、私はシルヴィと……」


 首だけをこちらに向け、サバナは何かを思い出そうとミリスを凝視している。


「……ミリスです」


「そう、ミリスちゃんだ。私は二人と話をしてから向かう。王女様とバーンロード君、それから魔族のお嬢ちゃんは先に向かっててくれ」


「わかりました」


 席を立ったミルに続き、俺とプリムも部屋を後にする。三人の話の内容に後ろ髪を引かれながらも、廊下の突き当たりにあった会議室へと足を進めた。


「ここか……?」


 たどり着いた場所は、予想に反して静かだ。中からは物音ひとつ聞こえてこない。誰かいるなら、何か音がしてもいいはずなのに。


「ここで間違いありません」


「なんか静かだね」


 どうやらプリムも同じ違和感を抱いていたようだ。

 ――もし、中で何かあったのだとしたら。

 そこまで思い至った時、俺の手はつかみを急いで回し、勢いよく扉を開いていた。


「だから、今すぐ攻め込むしかないだろ! 勇者を拾った今が、一番のチャンスなんだよ!」


「お前ら頭おかしいのか? 勢力もまともに把握してねぇとこへ突っ込む馬鹿がどこにいんだよ」


 扉が開かれた瞬間、ひどく乱暴な言葉が耳に届く。

 結果として、俺の心配は杞憂に終わることとなった。


「お、王女様。これは恥ずかしいところをお見せしました。申し訳ありません」


「構いません。議論の場では、互いに頭に血が上ることもあるでしょう。ただ、スカーレット公爵が来られる前に、今一度話を整理していただいてよろしいですか?」


「もちろんです。えぇと……」


 ミルは一人の騎士へと現状の説明を求める。引き受けた彼は緊張した面持ちで語り始め、所々言葉に詰まったり、野次を入れられたりしながらも無事に説明を終えた。

 彼の言葉を大雑把にまとめると、今は二つの意見がぶつかりあっているということだった。現在レイモンド派の占拠する王宮へ、今すぐ攻め入るべきだという意見としばらく様子を見るべきだという意見。


 前者の主張は、レイモンド派の勢力は待てば待つほどその勢いを増すだろうから、弱いうちに叩いて王宮を取り戻すべきだというものだった。レイモンドは王国東部に広大な領土を持っているため、その勢力が丸ごと加わると考えるならば納得できる。


 対して後者の主張は、レイモンド派の勢力の内情を知らないまま、突撃するのは危険で有り得ないというものだった。騎士として戦地に赴いた経験があればあるほど情報の重要性を知っているのか、熟練の聖騎士たちのほとんどがこちらを主張していた。


「王女様は、どちらが良いと思われますか?」


「えぇと……」


 一国を左右しかねない質問を投げかけられ、ミルは言葉に詰まる。それぞれの勢力は互いにミルへと自らの主張の正当性を声高に叫び、再び室内は騒音に包まれることとなった。


「困ったことになってるな」


 困り果てている姿を見かねて、俺はミルへと声をかけた。


「そう思うならアルフレイ君が決めてください」


「平民に任せるには重すぎる。間をとってプリムで良いんじゃないか?」


「え、え!? えー、そんなの決められないよ」


 唐突に巻き込まれたプリムは、まさか自分に振られると思っていなかったのか手をパタパタと振って慌てている。


「冗談だ。それに、ミルも俺も、みんな無事だったんだ。プリムはこの問題に関わる動機も、義務もない」


 こんな泥沼の中へ、プリムの首を突っ込ませる訳にはいかない。

 大きく伸びをしながら、俺は再び扉の方へと歩き出す。背骨が気持ちの良い音を立て、心がすっきりしたような気がした。


「どちらへ?」


「用事だ用事。あのおばさん連れてこないと話が始まんないだろ? プリムもついてくるか?」


「私はここで待ってる」


「お、おぉ。そうか」


 気を遣ってプリムを連れて行こうと思ったがあっさり断られ、俺は小石につまずいたような思いだった。

 その気持ちを隠しつつ、俺はサバナの様子を窺いにいくのだった。





「プリムさん、ですよね」


「……そうだけど」


「あの時は、本当に申し訳ありませんでした」


 薄い明るさに包まれた街路。その真ん中で、プリムの言い分に耳を貸さずに襲い掛かったこと。責め立てたこと。それらを思い返しながら、ミルは深く頭を下げてプリムへと謝罪する。

 そんな王女の姿を見て、室内の騒がしさは次第に止み、何事だという視線がプリムとミルに突き刺さった。


「別に、気にしてないよ。結局何ともなかったし」


「ですが、それは結果論で……」


「私が良いって言ったら良いの。それとも、許してほしくなかったの?」


「それは……」


 痛いところを突かれて、ミルは口を噤むこととなった。

 許してほしくない訳はない。だが、あれほど酷いことをして、簡単に許してもらう訳にはいかないという思いがあった。何か、支払わなければいけない。


「お気持ち、ありがたく受け取ります。代わりと言ってはなんですが、何か私に望むことはありませんか?」


「そうだなぁ……」


 プリムは顎に手を当て少し考え込む素振りをする。


「例えば、ミルさんが今後アルには近づかない、とか?」


「……」


 想いもよらぬ返答に、ミルの顔が強張る。


「ごめん、冗談だって。そんな怖い顔しないでよ」


「……いえ、こちらこそ申し訳ありません」


「代わりに一つお願いしたいことがあるんだけど」


 今度こそ真剣な顔をしたプリムの口が開かれるのを、じっと待つ。


「アルがこの作戦に関わるというなら、私をその傍についていかせて。多分アルには反対されると思うから、ミルさんには私の方へ加勢してほしい」


 その真摯な光を宿した赤髪の少女を見て、ミルの脳裏にかつての仲間が浮かび上がる。

 積極的で、明るくて、みんなを引っ張る力があって、面白くて……長所を上げればキリがない。短所を見つけようとするだけで日が暮れてしまう。

 絶対に私では勝てないと、やる前に心の底から敗北を認めてしまうほど彼と親密で魅力的だった少女。

 そんな彼女を彷彿させるプリムの容姿は、ミルに複雑な思いを抱かせた。


「……わかりました。必ず力になります」


「やったー! ありがとね」


 無邪気に笑うプリムに対して、ミルの心は落ち着かなかった。

 今度こそ、彼を奪われてしまうかもしれない。

 ローラのことは大好きだ。頼れるリーダーで、人として今でも尊敬している。彼女が亡くなった時は体中の水分を使い尽くすほど泣いたし、今でも時折思い出して傷心に浸ってしまうことがある。


 だというのに、こんなにも不謹慎なことを思ってしまうのは、きっと私の中身が醜いからなのだろう。中身が醜いからと開き直って、その思いを押さえつけようとすらしないあたり、どうも本気で腐り始めてるらしい。


 ――プリムさんも、ローラみたいにいなくなってくれたらなぁ。

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