第38話 作戦会議前

 あの牢から脱出して三日後。

 俺は起床して早々ミルに呼ばれ、巨大な屋敷内を移動していた。


「本当にもう大丈夫ですか?」


「もう平気だ」


 しばらく意識がハッキリとしない状態が続いていたが、今日は調子がいい。そのことを存分に見せつけるべく、足を止めてから腕をぶんぶん回し、虚空を殴ってみせた。動きは素人そのものだったため、ミルに笑われてしまう結果となった。

 その羞恥心を誤魔化すために咳払いしてから、俺は脱獄の一件の感謝を伝える。


「それより、色々助けてくれてありがとう。ほんとなら俺がしっかりしてなきゃいけないのに、足手まといになってた」


「別に、気にしなくていいんです。だって、私たち仲間ですよね?」


「その通りだ。あの時は、俺が間違ってたよ」


 色々と話しておきたいことはある。腹を割って話すべきこともある。でも今は、その話をしている余裕はきっとない。

 昔から俺の状態をしばしば心配していたミルが、俺が目を覚まして早々に呼び出したんだから、きっと王国の行く末に関わる重要な話があるはずだ。

 だから、今はこれでおしまい。


「それで、今日は朝から何の話があるんだ?」


「知ってると思うのですが、今の王国は、ある公爵家によって乗っ取られている状態となっています」


「レイモンド・シリウス……」


 俺の出した名前にミルが静かに頷く。


「現在、旧王国派である我々は、シリウス派――便宜上、そう呼ぶことにしますが、彼らと争う必要があります」


 まだ半分寝起きで回っていなかった頭でも、話の終着点が見えてきた。

 つまり、レイモンド・シリウス一派との戦いに、俺も旧王国派として加わってほしいということだ。もちろんその答えは決まっている。


「なので、どうか私と共に逃げ出してはいただけませんか?」


「あぁ、もちろん――え?」


 明らかに、想定していない頼み事が聞こえた。


「ですから、どうか私と共に逃げ出してはいただけませんか?」


「……どういうことだ?」


 再三の問い返しに、ミルはむすっと怒ったような表情を作って、


「どうか、私と共に逃げ出してはいただけませんか?」


「いや、質問が聞こえなかった訳じゃない」


 言葉の意味をそのまま捉えるならば、ミルは王国を捨てると言っている。

 それがすぐには受け入れられなくて、俺はその真意を問い返した。


「私にとっては、王国よりもアルフレイ君やシルヴィの方が大事なんです」


「でも、ミルは王様の最有力候補になるんじゃないのか? その、親族の生存が確認できていない現状では」


 レイモンドは、ミル以外の王族の生死については明かさなかった。


「そうかもしれません。私がこの作戦に参加した場合は、王位継承権を狙って醜く争うことになりかねません。そのためにも、私はここで降りたい。アルフレイ君にも、危ない目に遭ってほしくない。私がここで降りれば、旧王国派が勝利した場合、国境防衛軍を率いている私の兄か姉が王となるでしょう」


 確かに、王城内に居なかったというなら、ミルの兄や姉が生存している可能性は十分にある。しかし、それと今ここで作戦に加わらないということは別だ。


「今すぐ決めろという訳ではありません。この後、王国派の作戦会議があります。まずはそこへ参りましょう」


 再び歩み始めたミルの足取りはどこか重く、彼女の抱える闇がその足から溢れだしているようにも見える。

 その後ろ姿を見て、俺は先の自分の発言を反省した。

 相手は自分の元後輩だ。年は一つ上だが、俺にとって後輩という認識に変わりはない。そんな少女に、王国の行く末を背負わせようとするなんて、ひどく無責任なことではないか。

 これだけ早く王位が動くとは、きっと誰も考えていなかった。ミルにも、心の整理をつける時間が必要だ。


「ミル」


「なんでしょうか?」


 俺が呼びかけると、ミルから見え隠れしていた闇はすっと引き、いつもの毅然として彼女が現れる。もしかしたら、もう俺のことは頼れない、なんて思われたのかもしれないな。


「今から、作戦会議に行くだろ?」


「えぇ、そうですけど……」


 我ながら、切り出し方が下手だと自分の頬を殴りたくなった。今しばらくはその発作を我慢して、俺は一度深呼吸した。


「俺、王国の奪還作戦には参加するよ。作戦会議に参加してもしなくても、この意思は変わらないと思う。だから、先に言っとく」


「そう、ですか……」


 期待の逆を行く返答。それを受けてミルの表情はみるみる痛切なものへと変わって目を伏せ、見ているこちらの胸が軋んだ。

 でも、これは言わないと駄目だった。甘くて優しい逃げ道を残すだけじゃ、きっと駄目だから。

 でも、俺が本当に伝えたかったのはそれじゃない。


「でも、ミルが耐えられなくなって、どうしようもなく逃げたくなったら言ってくれ。俺は、絶対一緒に逃げてやるから。どこまででも」


 もちろん王国への恩も、ウェルドや国王の仇を討ちたい気持ちも十二分にある。レイモンドからひどい仕打ちを受けた恨みもある。しかし、ミルが切望するならば、俺は今生きている仲間の意思を尊重したいと思う。


「……はい! では、私と一緒に逃げましょう」


「いやお前な……」


 悪戯っぽく笑うミルに、俺は呆れて嘆息する。


「冗談ですよ。ありがとうございます」


「いや、俺は別に思ってることを言っただけで」


「またそのようなことを……」


 不意にミルが俺の手を握った。滑らかな感触が俺の指を味わうように絡みつき、わずかな動揺が走る。


「あなたはいつも、のらりくらりと交わしたり冗談に逃げたりする人でしたよね」


「おい、俺が無責任な奴みたいな言い方はやめろ。傷つくから」


 俺も一つ冗談をかましておくと、ミルはしとやかに笑った。まるで、冒険者として活動していたあの頃に戻ったような感覚。


「でも、あなたはここぞという時に、一番欲しい言葉をくれる」


 その太陽のような微笑みが眩しくて、思わず顔を背けそうになる。


「あ、でもやっぱり、そうでもないかもしれないですね。アルフレイ君がパーティーを脱退したときなんかは、一番聞きたくない言葉をもらいましたし」


「おい、それ言ったら雰囲気ぶち壊しだろ」


「そうそう、せっかく良い感じだったのにな?」


 背筋を怪しく撫でるような声がして、急いで声の主を見る。


「スカーレット公爵。からかうのは勘弁してください」


「これは申し訳ない、王女様。それから、勇者君」


 俺の視線の先にいたのは、青い髪を腰ほどまで伸ばした女性だった。握手を求めてくる彼女の手を握り返して挨拶を交わす。


「アルフレイ・バーンロードです。一応、勇者です」


「一応とはなんだ。胸を張って名乗れば良い。サバナ・スカーレットだ。スカーレット公爵家の当主をしている」


 背の高い女性だった。俺自身、男性の中でも背の高い部類ではあるはずだが、それとほとんど同じか、彼女が少し高いぐらいであった。

 そして、彼女は公爵家の人間であった。やけに広い屋敷ではあると思ったが、公爵家のものであるなら納得だ。


 サバナを迎え入れて、三人で作戦会議の行われる部屋へと向かう。


「その前に、寄り道しても良いか? 私の個人的な用事なんだが、君たちにも関係があると思うぞ」


「えぇ、構いません」


 サバナの提案で、目的地を少し逸れ、連れてこられたのは応対室――にしては豪華すぎる部屋。公爵家の屋敷は、次元が違う。

 驚きは胸のうちにしまっておき、招かれるままに部屋の中へ入る。


「アル?」


「え、プリム? それから……」


 シルヴィの姿を見て、俺は口を噤んだ。軽々しく名前を呼ぶことに抵抗を覚えたからだ。


「な? 私の言う通りだっただろ?」


 微妙な雰囲気を作った原因の人間は、その空気を壊しながら高らかに笑った。

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