第35話 冷たい檻の中で②

「……は?」


 地面にその大きな自重により叩きつけられたウェルドは、呼吸をしていなかった。

 顔ははっきりと見えない。しかし、戦場でいくつも生き物の生死を見てきた俺にとって、それが生きた者でなくなっていることはすぐにわかった。

 弱っていた脳が警鐘を鳴らし、急激に速くなった鼓動に息苦しさを覚えた。深呼吸して落ち着けようと試みるが、それはかえって逆効果となり、尚更息がしづらくなるばかりであった。


「なんで、どうして……」


 口から漏れるのは、漠然とした疑問。なぜ、ウェルドが殺されることになったのか? そもそも、彼になんの落ち度があって拘束を受けていたのか? 今、王国はどんな状況になっている?

 頭の中には無数の疑問が飛び交っている。一つの疑問を整理しようとすれば、また新しい疑問が浮かび上がってきて思考の邪魔をする。その繰り返しで、全く考え事にならなかった。


「この方はなかなか我慢強い方でね。勇者の身柄なんてとっくに確保しているというのに、頑なに口を割ろうとしなかったんですよ」


 ウェルドの亡骸を蹴りつけ、その背中の上に悠々と腰かけてからレイモンドは俺と目線を合わせた。その瞳の奥はかつてない興味に彩られ、口からは涎がこぼれだしている。


「なんで、ウェルドさんを殺したんだ!」


 激情のままに、俺は肺の空気を全て使い切って叫んだ。


「あぁ、やっと熱い感情をぶつけてくれましたね! そうでないと、面白くない」


「俺の質問に答えろ!」


 柵に頭を思い切りぶつけ、その隙間からレイモンドの顔を睨みつける。頬を流れる液体の感触は、きっと涙だけじゃないだろう。長く極限状態が続いたせいで、痛覚を失ってしまったみたいだ。


「そんなの、君に見せたかったからに決まってるじゃないですか」


 ふざけた答えを聞いて、俺の頭は真っ白になった。聖騎士団長として、長きに渡り王国の平和を守り抜いてきた彼の命を、そんな小さな理由で奪ったのか? 彼の命が支払われるとするならば、もっと必要な場面がこれからあったはずだ。


「ふざ、けるなよ……」


 納得させてほしかった。それだけの理由があるなら仕方なかったと思わせてほしかった。そんなこと、ありえるわけがないのに。

 湧き上がる無念が、質量を持って俺の体に重くのしかかってくる。俺のせいだっていうのか?

 横になっているというのにめまいがした。


「この程度で音を上げないでくださいね。後で、もっと面白いものも見せてあげますから」


 レイモンドは、眉を顰めて心配そうに俺を見下ろしている。ウェルドには何の興味も抱いておらず、俺にしか興味がないと、その真っすぐで瞬きすらしない視線が物語っていた。

 なぜ、レイモンドが俺の嫌がることをしようと息巻いているのかはわからない。しかし、こいつは危険だ。今放置すれば、最悪の事態を招くことになる。

 今やらなければ、俺は絶対に後悔する。


「殺す! 今すぐ!」


 両手を突き出し、ありったけの魔力を込めた。この忌まわしい鎖を破壊した後、一発でも撃てれば良い。それだけで、絶対に殺せる。

 今まで積み重ねてきた実績が、俺に確信を与えてくれた。

 もうこれで、死んでしまってもいい。絶対に撃つ。


「クソ、なんで……」


 魔力が根こそぎ持っていかれた感覚とともに、鎖は破壊された。しかしあと一歩のところで、魔力が足りなかった。虚無が俺の体を、心を襲った。

 全身から力が強制的に抜かれ、視界がぼやける。それでも歯を食いしばって必死に抵抗し、俺は目を見開いた。

 一発でいいんだ。一発だけ撃たせてほしい。


「『魔力砲』」


 まさしく、気合で撃ったというべき『魔力砲』。

 魔力不足により威力は不完全ながらも、俺の放つ白光はレイモンドへの殺意を糧として、堅牢な檻を貫いてレイモンドへ迫る――直後、大きな爆発を起こした。


「げほッ……」


 限界を超えて魔力を使用した代償。口からどす黒い血を吐き、もはや意思ではどうにもならない脱力感に襲われ、俺は頭から汚い床へと倒れこんだ。

 意識をなんとか保ち、聴覚に集中してレイモンドの安否を確認する。


「レイモンド、危ない真似をするなら俺はお前と手を切る」


 男の低い声が聞こえる。呆れたような響きだ。


「すまないアンビス。私も予想外でした」


 続いて、俺が聞きたくない声が聞こえた。一発じゃ、届かなかったんだ。

 ならばもう一発と立ち上がろうとするが、今度こそ体は限界を迎えているようだった。手も足も、ぴくりとすら動かない。


「く、そが……」


 もはや悪態をつくことすらまともにできなかった。掠れた消え入るような声は、あの二人に届くことすらないだろう。

 拳を握りしめることも、唇を噛みしめることもできず、脳内を埋め尽くす悔しさを処理する方法すら失っていた。


「助かりました。エクス」


「……いえ」


 聞いたことのある名前だった。でも、それがどこで聞いたか思い出せない。思考にふける余力はもうない。

 最後の力を振り絞って頭の向きを変える。辛うじて見えたのは三人の脚。初めてレイモンドと会ったとき引き連れていた、二人のものと一致した。

 爆発の衝撃で遺体を大きく損傷したウェルドに目を背けたくなり――次の瞬間、俺の頭が踏み抜かれ、顎から勢いよく地面に叩きつけられた。


「いやぁ、こうして踏みつけると気持ちが良いですねぇ――このまま、殺したくなるぐらいだ」


「……レイモンド様。それでは計画が遂行できないのでは?」


 淡々と、レイモンドに進言する声。やはり、どこかで聞いたことがある。


「あぁ、その通りだ。ありがとうエクス。彼を殺すには早いからねぇ。まだ、とっておきが残っているというのに」


 ぐりぐりと頭を踏みつけられてから、ようやく俺は解放される。


「エクス、予備の鎖はあるかな?」


「はい、ここに」


「ありがとう」


 やっとの思いで強引に破壊した鎖は、あっさりと復活してしまう。動かす気力すら失わせようとしているのか、レイモンドは血が流れられないと感じるほどきつく俺の腕を縛り上げた。


「それでは、また後で」


 事を終えたレイモンドはいつもと同じようにあっさり退室し、二人の足音がその後ろについていった。

 突如やってきた暗闇と静寂。俺の思考は、深い闇へと沈んでいく。

 怒りのままに暴走した結果は、ウェルドの遺体を傷つけただけ。

 こんなことならまだ温存しておけばよかったと、遅れた後悔がやってきた。

 ひとたび状況が落ち着けば、思い残すことがどっと心に押し寄せてくる。


(プリムとの約束、守れないかもな……)


 プリムに殺してもらう。咄嗟に出た言葉ではあるが、俺はちゃんと本気だった。彼女の姉を殺した罪を贖罪することなく終わってしまうのかと思うと、心の底から申し訳なくなる。

 しかし、その約束よりも、プリムがこれから幸せに生きていけることの方がずっと、もっと大切だ。


(ミルは多分、もう……)


 あのウェルドが殺されていたんだ。聖騎士団はきっと壊滅している。俺のことを証言したと噂されているミルなんて、とっくに処刑されていてもおかしくない。

 枯れ果てたはずの水分がどこからか湧いてきて、俺の頬を流れた。もう、全部終わってしまった。

 だから願う。どうか、プリムが、シルヴィが王都に来ませんように。

 そして誓う。ここで諦めず、もう一度チャンスを絶対に掴んでみせると。この命が果てるまで、王国の癌を根絶やしにするのだと。

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