第34話 冷たい檻の中で①
一切の光が見えない、真なる闇が広がっていた。
外は中々暑かったというのに、この空間はそれが嘘だと思えるほど涼しかった。寒いと言ってもいい。
しかし、鼻を曲げたくなるような異臭が漂っていた。糞便のような匂いだ。
「誰か、いないのか?」
俺の声には、やはり誰からの返事もなかった。声かけはこれでもう十度目にはなる。力を無駄に消費しないためにも、もうやめたほうが良いかもしれない。
頭を上げようにも、この空間は低すぎて座ることすらできない。手足を動かそうにも、それは鎖で拘束されてしまっており、完全に芋虫状態だ。
考えられるのは、魔力を吸収する魔道具が鎖に組み込まれていることだ。
魔道具である以上、吸収できる限界はあると思うが、具体的にどのぐらいかを俺は知らない。壊せればすぐに脱出できるだろうが、今体内に残っている魔力はそう多くない。今はまだ一か八かの賭けに出るタイミングではないと判断して、俺は寝転がって時を過ごすことを選んだのであった。
『詰み』という言葉が頭に浮かんではそれを無理やり沈める。
こんなことなら王都で『魔力砲』をぶっ放せばよかったという危険な考えが浮かび上がって、自分の精神が弱っていることを自覚した。
ここで目を覚ましてから、もう1日は経っている気がする。下手したら、もっと経っているかもしれない。日の光がない空間では、どうも時間感覚が狂ってしまうようだ。
「クソ、なんでこんなことに……」
むしろ、俺は歓迎され、称賛を受ける立場だと思っていた。勇者の立場を降りないでほしいと国民から熱望されつつも辞退し、史上最強の勇者として王国内の教科書に載る予定であった。
それが、今や人類を裏切った反逆者に仕立てあげられるとは、誰が予想できただろうか。
「ミル……」
そして、今一番心配なのはミルだ。俺のように、こうして牢獄へと捉えられており、孤独と戦っているかもしれない。
やりきれない気持ちはやがて、無意識に涙となって溢れだした。
それを腕の付け根で拭い、どんどん後ろ向きになっていく気持ちに待ったをかける。考えるのは、前向きな未来だけでいい。
あの後戻ってこなかったプリムは、きっと無事に王都を抜け出し、シルヴィの元へ向かっているだろう。事情を知れば、シルヴィも、ワロンの町の冒険者たちも、きっと手を貸してくれる。
ウェルドを始めとした聖騎士団も、もしかすると、事情を知ったラプラス王国でできた友人たちも。
各地で発生した小さな輪は広がり、やがてこの腐りきった王都まで、新鮮な風を吹き抜けさせるはずだ。
それまで俺は、じっと堪え続け、機を見て脱出を試みる。それだけのことだ。
「頼んだぞ、プリム」
ふと、俺の目に明かりが差し込んだ。久方ぶりの光が眩しくて俺は目をきゅっと細める。
それを我慢しながら光の方へ目を向ければ、自分を取り囲む銀色の檻越しに、三人の人影が見えた。
「元気ですか? アルフレイ・バーンロード君」
聞き馴染みのない声だった。それでも一瞬、助けが来たのかと思ってしまった。
「いや、こう呼んだ方が良いですかねぇ。ローレイン王国の真の英雄さん。この国の人間は馬鹿ばかりで本当に滑稽ですよねぇ」
悪辣な嘲笑交じりの笑い声を聞いて、俺の期待は裏切られることとなった。
「なんの用だ? それに、誰だ?」
「あぁ、自己紹介が遅れましたね。私、レイモンド・シリウスと申しますが、ご存じありませんか?」
レイモンド・シリウス――直接的な面識はないが、遠目に何度か見たことはある。王国の公爵家でありながら、いつも良くない噂が飛び交っていた人間だ。
「……悪いな、底辺貴族の名前なんていちいち覚えてない」
腹いせに罵ってやると、レイモンドはガンと檻を蹴り、怒りを存分に滲ませながらも丁寧に言葉を発した。
「私はこれでも公爵なんですがねぇ。しかしこれも、私の努力不足なのでしょう」
「そうか。お前のことはもう興味がないから、他の二人のことを教えてもらってもいいか?」
他二人の足だけ見ても、その鍛えられ方で彼らがただ者ではないことを教えてくれていた。それに、片方は紫がかった色の足だ。明らかに、人の足ではない。
「残念ですが、今日はまだ、君に教えてあげることはできないんです。私も早く教えてあげたいんですけど、二人とも人見知りなんですよねぇ」
「おい、余計なことは喋るな。用件を済ませろ」
「おぉ、怖い怖い。すぐに済ませますよ」
仲間に催促されたレイモンドは、汚い床に腰を落とし、俺と目を合わせる。
「随分下品な座り方だな」
「今は椅子を持ち合わせていないのでね。それに、こうして目を合わせないと、私の話は始められないんです。私は君の、驚く顔がよぉく見たいんだ」
得体の知れない欲望に目を光らせ、一呼吸おいた後、レイモンドは話を始めた。
「君は、自分の成し遂げたことは誰かに知ってもらいたいと思いますか?」
「……」
「私は思うのですよ。だから今日来た目的は、君に私の成したことの凄さを知ってもらうことです。一気にまとめて教えてしまうというのも興が乗らないので、時間ができた時にここへきて、少しずつお話しますよ」
レイモンドは、自分こそが黒幕であるという一言だけ残し、その場を後にした。
「一体、なんなんだ、あいつは」
それが俺の率直な感想だった。きっと、俺がこんな目に遭っているのは、レイモンドのせいなのだろう。しかし、具体的な話をされなかったため、不思議と恨む気持ちにはならなかった。
まだ、この時は。
「王は、私のやろうとしていることに気付いて、君たちを逃がすためあの無茶な作戦へと送り出したんです。もちろん君たちの一団にこちらの間者は忍ばせましたが、結果的には魔族側に大損害。いやぁ、本当にすごいですねぇ、君は」
あれから間もなく、レイモンドは一人でこの部屋に戻ってきて、そんなことを話した。
確かに、あの作戦は無茶なものだった。しかしあれが、レイモンドたちに気を回されないような大義名分のもとに実行されたものだというのなら、納得はいく。
「……お前はクソだな。それに、失敗談じゃねぇか。自慢したいんじゃなかったのか?」
「そんな褒められても困りますよ」
しかし、やはり現実感がわかず、俺はレイモンドを上手く敵視できないでいた。
「それより、ここには便所はないのか?」
「ないです。だから、その辺に上手く垂れ流してください」
「クソが」
恨むべき相手なのは間違いない。しかし、まだ何も決定的な損害を知らされておらず、俺は自分の感情を上手く整理できなかった。居心地の悪い檻に閉じ込められているからかもしれない。
レイモンドはそこで話を切り上げ、再び部屋を後にする。
同じようなことが、何度も、何度も続いた。
レイモンドの狙いは全くわからなかった。自分の成し遂げたことを知ってもらいたいと言いながら、話すのは上手くいかなかったことだったり、俺の知らない人間を陥れたときの話だったりで、俺の驚く顔が見たいという当初の目的を忘れているのかとさえ思った。
ここへ来てから、どれほどの時間が過ぎたのだろう。ここの低い気温にも慣れたし、この体勢にも慣れたし、異臭にも慣れた。
「なぁ、ミルは無事なのか?」
「君からの質問には、基本的に答えません」
「そうか」
レイモンドは、俺からの質問を相手にしなかった。相手にしてくれたのは、便所と食事の質問ぐらい。そのどちらも、残念な結果に終わってしまったが……。いかん、便所の話を思い出すと、自分がしていることに目が向いて尚更気分が悪くなる。それに、食事の話を思い出すと喉が渇いて腹が減ってくる。
「では、また来ますね」
レイモンドは短い対話の後、この部屋を後にする。
ここまでの対話を通して、彼が悪人なのはよく理解した。しかしこの暗い空間の中で、彼との対話の時間俺のが孤独に対する薬となっているのは間違いなく、悪い気はしなかった。自分も狂いだしているんだなという他人事な危機感はあった。
しかし、そんな停滞の時間もいつかは終わりがやって来る。
「今日は、君に紹介したい人がいるんです」
一瞬、初めてレイモンドがここへ来た時、連れていた二人のことかと思った。
彼が俺の牢の前へと投げ捨てたのは、ガタイの良い人間の体。
「君と、仲の良い方らしいですね?」
――ウェルドは眼前で死んでいた。
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