第23話 少女の決意

(強い……)


 攻勢に転じたライザは、獣のようにウェルドへ飛び掛かる。一見守りを捨てているように見えるが、ライザの体に新しい傷はできていない。

 ウェルドの剣は今、ライザに傷をつけることができない。ミリスが援護する必要すらない。


「おじさん、あんなに強かったんだね」


「想定外ね、ほんと……」


 先ほどまででも、ライザは途轍もない実力を誇っていた。しかし、まさかまだこれほどの力を隠していたとは。


(本当に、嫌になるわ……)


 勇者の周りは、どうしてこうも規格外な人間ばかりなのだろう。追いかけていた背中は想像よりも遥かに遠く、自分の才能の限界を感じる。やはり私では無理なんだと、ミリスは無意識にその拳を握りしめていた。

 そのことにミリスが気づいたのは、その手を柔らかい感触が優しく包み込んだからだった。


「お姉さん大丈夫?」


「あ……え、えぇ」


「何か気になることがあるたら、ちゃんとお話したほうが良いよ」


 プリムはミリスを優しく諭す。むしろ状況が良くなっている今、そんな行動をとるということが、この局面への不安からではないとプリムは見抜いたのだ。


「そう、ね……」


 ミリスは口ごもりながらもひとまずは頷いた。

 ミリスのことを覚えてすらない勇者に、突然あなたの隣に並べる人になりたいだなんて言葉、言っても相手にされるか怪しい。そもそも、そんなこと言うなんて想像するだけでも恥ずかしくて頭がゆであがりそうだ。


「私でよかったら、話を聞くけど」


 そう言われ、ミリスは一度顎に手を当てて頭を整理する。落ち着いて思慮にふけると、点となっていた情報たちが結び付いて、色々なことが見えてくる。

 話したいこと。目の前の少女は、おそらく勇者が口にしていたプリムという少女で間違いない。

 そこまで思考したとき、反射的にミリスの口は動いていた。


「あなたが、プリム?」


「え? うん、そうだけど」


 まずは名前と情報の結びつきを確実にしておく。後は――


「あなたは、勇者様の彼女なの?」


「彼女? そういう訳ではないと思うけど、いや、でも――」


 何やら補足しようとしたプリムは無視して、ミリスはその言葉を噛みしめた。


「え、それだけ?」


「えぇ、それだけよ」


 首を傾げるプリムに、ミリスは威風堂々として答える。その姿を見て、プリムも何かに気付いたようで、


「なるほどね。じゃあ後は、アルと話した方が良いってことか」


 プリムは目を細めてからかうように言った。


「そ、そうね。そういうことに――」


 心を見透かされたような気持ちになり、気恥ずかしさを覚えながら、ミリスは空を仰いだ。


「――お姉さん」


 プリムの、双眸が底知れない闇にうずまくのを見た。大空のように蒼い瞳を、深い深い海を思わせる濃紺色だと錯覚した。

 その瞳にひとしきり吸い込まれてから、プリムがこちらに向けて腕を持ち上げていることに気付く。


「ど、どうしたの?」


 真剣な顔をして返事をしないプリムを不思議に思い、ミリスはその腕が向けられている背後を振り返り、


「これは……」


 ミリスは本来目に見えない障壁が張られていることに気付いた。ミリスはその壁にゆっくり触れるが、何も感触はない。何も感触はないが、その先へと手を進めることはできなかった。


「もしかして、この障壁は勇者様の」


「そう! 見様見真似だから、強度は全然だけど。それより、危ないよ」


 言われて、ミリスはすぐ傍で激しい攻防を繰り広げている老躯二人の存在に気付く。勇者の障壁が再現されていることに頭を全て持っていかれたため、ミリスは自分でも信じられないほど不注意であった。

 ライザはかなり消耗しているのか、呼吸に合わせて肩が大きく上下している。それによって余裕ができたウェルドは、こちらを一瞥しつつライザの拳を捌いていた。


「びっくりしたね。あの剣士、あんなに速く動けるんだ」


 その障壁に、大きな亀裂が一つ。


「……」


 ミリスの口から、感謝が出てくる余裕はない。

 ライザにこの少女のことを任せられたのに、自分には何もできなかった。それどころか、逆に守られることになってしまった。

 今日、あらゆる所で痛感してきた無力感が、他者の実力への嫉妬が、自分より勇者と親しいかもしれない者への羨望が、ミリスの胸中をぎゅっと握りしめた。

 だけど、そんな暗い感情に呑まれていたって状況は好転してくれない。不幸な自分に酔っていたって、世界は自分に見向きもしてくれない。自分に酔いつぶれた哀れな人として、余生を虚無に過ごすことになるだけだ。


 だからミリスは前を向く。


「私も、強くならなきゃ……」


「お姉さん?」


 プリムの心配をよそに、ミリスは立ち上がる。


「限界を、超えなきゃいけない」


 ミリスは既に、人間の限界へ挑みつつある実力を有している。そのことは自分でも自覚している。

 ただ、彼女はその実力をもってしても、勇者に追いつけないことを強く理解していた。

 だから、無理してまで自分の限界へ挑戦することは諦めたのだ。

 そして、探索トラック治癒ヒールを始めとした補助系統の魔法をいくつも覚え、使える魔法の幅広さで勝負をすることに決めたのだ。それで、自分の望みは叶うと思ったから。

 しかしミリスは気づいてしまった。そんなことをしていては、いつまで経っても自分は満たされないのだと。勇者の隣に立って初めて自分の努力は報われるのだと。


 だからミリスは二人の戦闘を凝視し、その目に焼き付ける。自分がこれから超えていかなければならない存在たちの背中を、その心に刻み込む。

 どれだけかかるかはわからない。下手をすれば、死ぬまで到達できないかもしれない。でも、そうやって言い訳をしていたら、いつまで経っても自分が報われる瞬間は訪れないのだ。だから、四の五の言わずにやるしかない。


「お姉さん、大丈夫?」


 プリムが不安そうにミリスを見上げている。

 その顔を見て、ミリスは回想する。

 プリムは、自分の想像とは全く結び付かない少女だった。魔族だから、極悪非道で、傲慢不遜なものだと決めつけていた。

 しかしその実、彼女は優しい少女だった。赤い髪に蒼い瞳という容姿も相まって、ローラの姿を彷彿とさせる節すらあった。


「えぇ、大丈夫よ」


 ミリスは優しく微笑んだ。その笑顔を見て、プリムも花が咲いたように笑う。

 自然と、ミリスはその頭へ手を伸ばしていた。そのまま朱色の頭へゆっくり近づいて、ふわりと着地する。


 初めて勇者に救われ、彼の戦う姿を見たとき。まだ幼かったミリスは駆け出し、無礼にも勇者の興味を占領しようとした。

 困ったように逃げ回る彼に、作戦が上手くいかないミリスは泣き出してしまった。そんなとき、自分の頭に手を伸ばし、優しく撫でてくれたのは赤い髪の女性だった。

 その瞬間が不意に思い返され、ミリスはプリムの頭を撫でていたのだ。


「どうしたの?」


 プリムは心底不思議そうに小首を傾げている。当然の疑問だ。むしろ、状況的に考えればミリスが撫でられるほうが自然である。


「あ、ごめんなさい。その……無意識に」


 我に返ったミリスは手をすぐさま引っ込めて、申し訳なさそうに目を伏せた。


「別にいーよ。撫でられるのは、嫌いじゃないから」


 そう言って目を細める少女は、紛れもないミリスのライバルだ。

 この年で勇者の無詠唱魔術の一つである魔力障壁を再現してみせ、かつての勇者の想い人に似た容姿を持ち、底抜けな明るい性格をしている。


 いつか、あらゆるものを追い越して、勇者の背中へ追いついてみせる。

 そのミリスの決意に呼応するように、状況も大きく動く。


「ウェルド聖騎士団長!」


 遠く響くのはローレイン王国第三王女ミル・ローレインの声。王国随一の美貌であり、幼い頃から国王に溺愛されて育つが、ある時を境に勇者に熱を上げ、公務そっちのけで冒険者として活動していた問題児。

 ミリスにとっては、ローラと違って嫌な先輩だ。


「ようやっと、終わったか」


 どすん、と地面が揺れて、ミリスは自分の隣にライザが座ってきたことに気付いた。


治癒ヒール――すみません。途中、援護できずに」


 罪悪感から、ミリスの言葉遣いも丁寧になる。


「別にいいって。むしろ、援護なんてねぇほうが、自分の力でやってやったっつう感じがするしな」


「おじさん、あんま無理しちゃダメだよ? もう、だいぶ年なんだから」


「言ってくれるじゃねぇか、お嬢さん。俺ぁまだまだ現役だぜ。実力はな」


 ライザの軽口を聞いて、ミリスはようやく全て終わったのだと実感した。その達成感に身を任せながら、ミリスは二人の会話をのんびりと聞く。ゆっくりと、日が沈んでいく。




 ミルの隣には、肩を貸してもらっている勇者の姿があった。その姿を視認したとき、ウェルドは戦闘を放棄して素早く駆け寄った――大量の血が、べっとりと勇者のローブにこびりついていたからだ。


「ウェルドさん、彼らは敵じゃありません……」


 勇者の細い声に、ウェルドは萎縮する。


「……申し訳ない。それより、その血は……」


「私にも原因はわかりません……一度、王国の方へ戻ってから診てもらうべきかと……」


 ミルの顔には、焦りの色が見えた。自分の手に負えない傷なんて、それこそ聖女ぐらいしか当てがないからだ。

 そしてそのことを、ウェルドもすぐに理解する。そして彼の頭に浮かんだのは、


「イグリムの呪い……か」


 これまで目に見えた効果はなかった呪いだった。王国一有名な、至高の九人の中でも最強と名高いイグリム。さすがの勇者であっても、その渾身の呪いを受けて無傷な訳はないとウェルドは考えていた。


 一部の人間しか知らない機密事項。その中に、ミルは含まれていなかったから、


「……は?今、なんと?」


 ミルは、驚きに目を丸くしながらウェルドを問い詰める。


「申し訳ない。王女様の耳に入れるのを失念しておりました」


「失念では済まされません! なぜ、なぜ!」


 動揺を隠せず、ミルは喚き散らす。


「まぁ、そんな慌てなくても大丈夫だって……別に、死ぬと決まったわけでもないんだから……」


「でも……でも! そんな爆弾、爆発しないわけがない!」


 ミルを宥めながら、勇者は未だ思考の海を漂うウェルドへ声をかける。


「ウェルドさん」


「なんでしょうか?」


「皆を集めてください。話をしましょう」


 未だわだかまりがいくつも残っている。それら全てを解かさなければ、解決したとは言えない。

 勇者は確かな覚悟をその目に宿して、ウェルドに頼み込むのだった。

 

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