第22話 冒険者の意地

 ミリスがそこへ辿りついたとき、戦いの火蓋は既に切られていた。

 魔族を後ろに庇う男の体にはいくつも裂傷が刻み込まれており、目も当てられない痛々しさだった。ウェルドが先の戦いで消耗していたために拮抗しているが、いつ大きく動いてもおかしくない状況だ。


「ウェルド聖騎士団長! 今すぐやめてください!」


 ミリスが大声を張り上げ、老躯を呼び戻す。しかし、ウェルドが極限まで精神を研ぎ澄ましているせいか、その声は虚しく響き渡るのみだ。あるいは、意図的に無視している可能性もある。


「あのクソジジイ……」


 ミリスにとって、ウェルドの印象は最悪だった。初めて会話したあの時から話の通じない男だった。

 ただミリスは勇者のことを心配し、彼の行方不明を知らせただけなのに。あろうことかウェルドはこじつけでミリスが魔族と共謀したことを疑った。

 今回ウェルドが一人で走り出したのだって、ミリスは止めていたのだ。勇者に精神汚染が見られないことを伝えたのに、ウェルドは魔族がミリスの目を上回る技量を持っていた可能性を考慮し、一人駆けだした。

 端的に言って、ウェルドは頭のおかしい老人だ。そして厄介なことに、その老人は既にミリスでは手のつけられない実力を有している。


(そっちのお爺さん! 無事?)


 伝話スぺカン――声を出さずとも考えを伝える魔法だ。


「お、おぉ、なんとかな」


 ガタイの良い老人は、ウェルドの剣を受け止めながらこちらへ返事をしてくる。


(素手……あの人は、何者なの)


 魔法を通さず、ミリスは心で呟いた。

 凄まじい身体強化魔法だ。聖騎士の標準装備である剣は、鋼鉄を紙のように切り裂くと聞く。そんなものを素手で受け止めようと思えば、凄まじい密度で魔力を手に集中させる必要がある。

 加えて、ウェルドはその剣と腕に魔力を込め、何倍にも威力を増しているはず。ミリスの身体強化魔法とは、文字通りレベルが違う。

 それを片手間に行いながら、こうしてミリスの呼びかけに答える余裕すら見せている老人の力に、嫉妬を覚えながらもミリスは続ける。


(話しかけるイメージだけで大丈夫。呼吸を乱さないで)


(お、ほんとか? これ、聞こえてるのか?)


(えぇ、聞こえているわ)


(おぉ、すげぇな、これ)


 物珍しい魔法に興が乗り出した老人は置いておき、ミリスは要件を手短に伝える。


(あなたは、ウチの勇者様と知り合いなの?)


(多分そういうことになる。俺ぁライザだ)


(呑気に自己紹介してる暇はないでしょ。単刀直入に言うわ。そちらの魔族を私に預けなさい)


(悪いが、それはできん話だ。俺ぁまだ、お前さんを信用できない)


 解除――ライザにより、心の繋がりは強制的に絶たれてしまった。彼は再び戦いへと全神経を集中させ、ウェルドを退けようと応戦する。

 しかしそれは、誰が見てもわかる負け戦だ。攻撃を通す隙を窺っているのか、ライザは防戦一方を強いられ、反撃できる気配がない。

 ライザは、死ぬことが怖くないのだろうか?


 とはいえ、ミリスがあの中へ割り入って止めることはできない。それこそ自殺行為だ。


(あんた、何してんのよ。ほんとに死んじゃうわよ)


 ライザの身体強化も少しずつ弱っていき、その体に裂傷を増やしていく。白かった服はみるみるうちに赤く染まっていき、腕の部分は元々赤色だったと錯覚するほどだ。


(冒険者として、引き受けた依頼はちゃぁんとやるんだよ。本当に死にそうになったら、また話は変わるのかもしれねぇがな)


 ライザは、年齢に見合わない熱さを持った男だった。


(なんか、あいつみたいな奴ね)


 その熱さに、ミリスはかつての同級生を思い出していた。その情熱一本であっという間に成長し、ミリスのことなんてあっという間に追い抜いて、現勇者アルフレイ・バーンロードに認められた男。

 そこでその男の成長は止まらず、一時的にはあの勇者すら追い越し、最後はその熱さのまま燃え尽きてしまった男。


(おい、あいつってのは誰よ)


(何でもないわ。気にしないで)


 うっかり心の声を漏らしてしまっていたことに気付き、ミリスは小さく咳払いする。


(そんなことより、あの魔族のことを守りたいなら、せめて逃がしてあげたらどうなのよ?)


(そりゃぁ無理な話だぜ。あの爺さんみてぇなのが他にもいたら困るだろ? 自分の手の届くとこで守ってこそ、冒険者ってもんよ)


(ほんと、バカでどうしようもないやつね。いつまで若者気取りなのか)


 ミリスはライザの情熱に呆れて嘆息する。この老人は、あの同級生と同じできっと言われて止まるような人間じゃない。


治癒ヒール


 深い緑にライザの体が包まれたかと思えば、彼の動きが目に見えて軽くなる。


(これは……)


(加勢するわ。私のことを信用できないなら、やめといてもいいけど)


(お嬢さん、ここは一つ頼むわ。実は結構ヤバくてな。後ろのお嬢さんのこと、任せてもいいか?)


 そんなのわかってる。治癒ヒールをかけて貰えば信用できるなら、最初からそう言ってくれればよかったのに。


(信用するなら初めからしなさいよ)


(ガハハ、まぁ頼むわ)


 ミリスは、後方で事の成り行きを見守るプリムの元へ飛ぶ――


「ミリス殿」


 その背中に、ミリスの嫌いな声がかけられた。足を止め、彼女は振り返ってその声の主を拝む。


「先ほどの治癒魔法と、魔族の保護――明確な敵対行為だと捉えて問題ないですか?」


 敵意に染まった声色。本当に、この老人は何度ミリスを失望させれば気が済むのだ。実力と人望を兼ね備えた王国一の聖騎士――ウェルドの前評判と本人があまりにも一致しなくてめまいがしそうになる。

 ブレイア家の七光りで多方面に圧力をかけているんじゃないか。ブレイア家のブレイの部分は無礼という意味ではないのか。そんな嫌味が無数に浮かび上がるほど、ミリスの頭は老人への恨みつらみで沸騰していた。


「クソジジイ、喋れるなら初めから喋れ」


 ミリスの声には、隠そうともしない怒りが込められている。


「申し訳ないですが、私は必要のない会話はしたくないのです」


「勇者様が、あの魔族への攻撃をやめろと言っているんだ」


「私はあなたの言葉を信用できない――今、あなたがあの魔族に洗脳されたのではないかとすら思っているのが正直なところです」


 自分の言葉では、この狂人には届かないと思った。ウェルドの心には、どんな魔物が巣食っているのだろうか。


「実力は衰えないのに、脳の方は年相応どころか過剰に老化してるみたいだ」


「無意味な誹謗は控えていただきたい。こう見えて、繊細なのです」


 つくづく腹立たしい男だとミリスは思う。しかし同時に、理知的な彼の言動と衝動的な行動が一致しなくて、ミリスは不思議に思った。


「じゃあなぜあの魔族を殺すの?」


「あの者が、勇者の存在を脅かすからです」


 ウェルドは考え込むことなく、すぐに回答を用意する。淡々とした彼の様子に、ミリスの頭は冷え、落ち着きを取り戻した。


「勇者様は、あの魔族を殺すなと言っていますが?」


「証拠もなく信用できる訳がありません。先ほども申し上げた通り、ミリス殿を超える術者の魔法を察知できないことを考慮しています」


「私が彼のことで、嘘をつくとお思いですか?」


「思いませんとも。あなたが洗脳を受けている可能性を考えているだけです。そもそも、勇者が精神支配されたかもしれないというのは、あなたの考えだったではありませんか。私の行動にあなたが異を唱えるのは、それこそ不自然ではないですか?」


 悔しいが、理屈は通っている。ウェルドが自分で見て聞いて考えたものしか信じないというなら、勇者が魔族への攻撃をやめろと言ったことを信じる訳がない。

 あの魔族を殺せば精神支配は解けるし、本当に何もされていなかったのならそれはそれでいい。ウェルドは、あの魔族の命が失われることなど心底どうでもいいと感じているに違いない。


 ここまで考えて、ウェルドの心を支配しているものがようやく見えた。彼は、勇者を崇拝しているのだ。

 何が彼をそうさせたのかはわからないが、文字通り依存対象となっている。勇者の体が無事であることが最優先となっているから、他が犠牲となることを一切厭わない。実に厄介だ。


 ミリスもそういう側面はあるので、あまり人のことを言えるわけではないが、それでもウェルドのそれは狂気に等しいものであった。

 ミリスはこれ以上の会話は無駄だと判断し、プリムの元へ駆け寄る。


「そういうことをなさるなら、こちらももう少し考えないといけません」


 ウェルドが不穏に告げるが、ミリスは気にも留めない。


「あなた、怪我はない?」


「私は大丈夫だけど……あなたは、あの剣士の仲間じゃないの?」


「あんなのが味方にいるほうが怖いわ。勇者にとって不都合だと思われたら躊躇なく首斬りそうだし」


 ミリスは自分の首を斬る仕草をして、おどけてみせた。


「アルとあの剣士は仲間じゃないの?」


 その馴れ馴れしい呼び名に青筋を立てそうになるも、ミリスは華麗に受け流して受け答えする。


「陣営は同じはずだけど、実際はどうだろう……」


 ミリスは勇者とウェルドの関係は何一つ知らない。彼らが親しげに談笑しているところも見たことがない。


「多分、あの騎士の片思いね。彼は罪な男だから」


 夕焼けを双眸に映し、ミリスは過去に思いを馳せる。思えば彼は、色んな人を狂わせてばかりだ。私も、先輩も、同級生も、老いぼれ騎士も、そしてきっと、この魔族の女のことも。


「なにそれ」


 口に手を当てて笑うプリムを見て、ミリスはかつての先輩――ローラのことを思い出す。真っ赤な髪に透き通る蒼の瞳はまさに、彼女そっくりだ。

 間違いなく勇者の想い人であった彼女は、関わりこそほとんどなかったもののミリスにとって憎くも尊敬できる年上の女性であり、亡くなった時にはそれなりに心を痛めたものだ。


(盛り上がってるとこ悪ぃが……この爺さんなんとかできねぇか?)


(さすがに無理ね。あなたを回復するぐらいならできるけど、その我慢比べもいつかは終わる。ただ……)


(ただ?)


(勇者様が、しばらくすれば追いついて来るはず。彼の言葉であれば、届くかもしれない)


(結局はあの若者頼りってことかい。引退したとはいえ、このやられ様じゃあいつに顔も見せられねぇな)


 ライザはそう自嘲してから、ギアを上げる。肌がはちきれてしまいそうなほど筋肉を膨張させると、服はちぎれてひらひらと地面へ落下した。


(その姿は……)


(いわゆる、隠し玉ってやつだな。やられっぱなしじゃ終われねぇよ。それとも、このまま斬られながらあの若者を待ったほうが良いか?)


(いいえ、気にせずあの老人の頭を叩いて、治してやって。あれは治癒ヒールじゃ治せない)


 生まれ変わった体で、ウェルドは自ら攻撃を仕掛ける。Sランク冒険者としての本領を、聖騎士に見せつけるために。

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