第21話 もう一つの戦い
気分が悪い。自分の内臓を全部焼き払ってしまいたくなるような吐き気がする。真っ暗な視界の中、ふと、自分の両の手が何かに握られていることに気付く。
その感触に身を任せていると、次第に気持ち悪さが引いていき、俺は目を覚ました。
「あ……」
光が目に入って、日が大きく西へ傾いていることに気付いた。随分長い間眠っていたようだ。
「アルフレイ君!」
「勇者様!」
俺を呼ぶ声は二つ。この短期間で何回気を失えば気が済むんだと自嘲しながら、俺は半身を起こした。
「あ、プリムは?」
口を突いて出た言葉に首を傾げる二人。当然彼女らはその名を知っている訳がない。
「悪い悪い、こっちの話。それより――」
辺りを見渡しても、ウェルドの姿が見当たらない。何処かへ出かけてしまったのだろうか。
「ウェルド聖騎士団長でしたら、あなたを操っていた魔族を追っています」
みなまで言う前に、俺の探し物に気付いたミルがウェルドの行方を知らせる。相変わらずの鋭さだ。
そうだ、プリムと俺の事情を、まだ説明していなかった。
「ッ! 今すぐ、止めないと」
慌てて立ち上がろうとする俺の腕を、ミルが掴もうと手を伸ばす。もう、逃さないように。
しかし、その間にミリスが入り込んで、ミルの手を払いのけた。
「どういうつもりですか?」
「私は、勇者様を信じています。勇者様には私たちでは想像できないような複雑な事情があって、あの魔族を保護していたんです」
ミリスは俺の右手を二つの手で包み込み、俺を擁護する。その滑らかな感触を感じながら、俺は事の行く末を見守った。
「そもそも精神支配されているというのは、あなたの報告だったではないですか」
「それはあくまで予想です。私の予想を信じ込んで、勇者様の言葉に耳を傾けようとしなかったのは、あなたではないですか?」
「……」
ミルは何も言い返せず、押し黙って俯いた。居心地が悪くなるのを感じて、俺は慌てて取り繕おうとする。同時にこれは、俺の言葉を信じてもらうチャンスだ。
「ま、まぁまぁ。それよりその魔族のことなんだが、彼女は――」
二人の視線が集まって、俺は言葉に詰まった。なんと説明すればよいのだろうか。発言を取り消してから、もう一度言い直したい。
「彼女は、なんですか?」
ミルの冷たい声が俺の喉を凍らせる。
「か、彼女は――」
救いを求めてミリスのほうを見る。
「彼女は、なんでしょうか?」
俺の失言を、二人は見逃してくれない。
「彼女は――彼女だ」
脳の回路が焼き切れ、出てきたのは再帰的な答え。我ながらどうしようもないなと思うが、その言葉が別の意味で捉えられることに気付いて、
「「彼女?」」
その時にはもう手遅れだった。二人は同時に同じ言葉を発し、絶対零度の視線で俺を射抜いている。
「違う。ちょっと言い方をまずっただけでな。彼女は――」
考えもなくプリムのことを説明しようとするせいで、俺は同じ間違いを犯してしまう。口ごもった俺を見て、ミルが低い声で呟いた。
「やっぱり、精神支配は受けてるみたいだね……」
「いや、受けてない! じゃないと、助けになんて来られなかった! ですよね、ミリ――」
「なら、言葉の続きを教えてください」
俺は、プリムのことをどう説明すべきか考える。
彼女と出会ったのはほんの二週間ほど前のことだが、説明することが多すぎるのだ。交わした約束のことも考慮すれば、俺とプリムの関係を一言で言い表せる言葉なんて見つからない。
「それとも何か、後ろめたいことでもあるんですか?」
「いや、そんなことは……」
あるに決まってる。プリムのことを、いつか自分のことを殺してくれる人だなんて紹介できるはずがない。
「ないなら、話せますよね?」
ミリスは俺を逃がさなかった。ミルよりは上手く言いくるめられそうだと油断していた俺が憎い。
「ただの……友達です」
苦し紛れの一言。こんな言葉で、信じてもらえる訳はないが――
「だそうですよ。王女様?」
「信じられません」
「勇者様の汚染状態は私が確認しています。彼の言葉を信じるしかありません」
「……」
ミリスはまたしてもミルを言い負かしてしまった。年下の女に叩きのめされるかつての仲間を見て、俺は少し悲しくなった。
「まぁ、そういうことだ。ミル、俺の言葉を信じてくれ」
「勇者様」
ミリスの顔が迫る。
「本当に、何も隠してないんですよね?」
底冷えするような口調に、心臓を掴まれたような気がしてわずかに気圧される。が、すぐに気を持ち直して、俺は返事をした。
「……えぇ、もちろん」
「そうですか――なら、信じます」
隠していたらただじゃ済まさない、そんな風に聞こえたのは俺の考えすぎだろうか。
「では、彼を呼び戻しにいきましょうか」
「ウェルドさんがどこにいるかってわかるんですか?」
「えぇ、大丈夫ですよ。
ミリスの足から地面へ光が流れ出したかと思うと、それは地を這うようにして四方へ移動していく。
珍しい魔法だ。こういう補助魔法は俺の専門分野ではないのだが、それにしても珍しい魔法である。冒険者として活動するにも、聖騎士として活動するにもあまり使いどころはないし、習得にかかる時間と利益が割に合わないとして、不遇な扱いを受けているものだ。
「珍しい魔法ですね。初めて見るけど、綺麗です」
「そんな……」
頬に手を当て、ミリスは嬉しそうにはしゃいだ。こんな使いどころの限られる魔法なのだから、褒められる経験もないだろうし、当然の反応だろう。
「あまり使いどころのない魔法ばかり覚えているのですね」
そこへ、しばらく黙りこんでいたミルが会話の輪に加わってくる。輪に加わるというより、輪を乱しにくるというほうがしっくりくる発言内容だ。
「色んな魔法を覚えたほうが、大事な人の力になれると思ったので……」
その挑発を、ミルは全く相手にしない。健気な思いを明かしてから、俺を見て同意を求めてくる。
「それは……その通りだと思います。素晴らしいことですし、美しい魔法でしたよ」
上機嫌なミリスに対し、ミルはぎこちない笑顔を浮かべ、いつもの上品さを失っていた。
「猫を被るのがお得意なんですね。もしかして、それも魔法なんでしょうか? 私に使いどころはなさそうですが、育ちの悪さすら隠してしまえる魔法なんて素晴らしいですね。よければどのような魔法なのか、教えていただけませんか?」
ミルの怒涛の反撃だった。いつもの口調は崩さず、スラスラと皮肉を並べる確かな実力を目の当たりにすると、かつてのことを――シルヴィとミルが日常的に起こしていた口喧嘩を思い出す。あの経験が生かされてるんだろうな。
「……クソが」
ミリスの口から、普段の彼女から想像もできない言葉が小さく吐き捨てられた。耳を疑ったが、良い人という印象が強いミリスも人間なのだから、何かをため込んで爆発することがあったとて不思議ではない。
驚きはしたが、たった一度の間違いを問い詰めるほど俺は器の小さい人間じゃない。ここはひとつ、聞こえなかったふりをしよう。
「あら、突然そのような下品な言葉を吐くなんて……魔法の効果が切れたんじゃないかしら?」
大人げないミルは、先ほど言い負かされたことを根に持っているのか、ミリスの失言を聞き逃さず、見逃さない。
殺伐とした雰囲気を肌に感じて、俺は思う。俺の捜索部隊を編成した人は、何を思ってこの二人を編成したのだろう。誰が見ても相性が最悪だ。
「それより、そろそろ
「そう……しましょう」
歯切れが悪いミリスを強引に引っ張り、俺たちはミリスの後ろをついて走り、ウェルドの後を追う。
二人に巻き込まれてすっかり意識から外れていたが、プリムの命に関わる深刻な問題だ。何事もなく終わってくれと、俺は心から願う。
「急ぎましょう」
先を走るミリスの冷静な声。それがむしろ、焦りを隠そうとしているように聞こえて、俺の中に焦燥を生んだ。
「……何かあったんですか?」
索敵魔法などを特に学んでこなかった俺に状況は分からないため、ミリスの真意を掴めない。俺の苛立っ問いかけにミリスはびくりと背中を震わせ、許しを求めた。
「申し訳ありません。私が不必要なことをしていたばかりに……」
「すみません、責めるつもりはないんです。ただ、状況が気になっただけで」
「ウェルド聖騎士団長と、二人――」
そこまで聞いて、俺は大きく飛び出していた。その場所は、確実にライザの店付近だ。薄っすら見覚えのある街並みを駆けて、一秒でも早く辿りつこうと更に加速する。
足の回転に追いつくように、頭も働きだす。俺にとって最優先だったのはプリムの無事だ。ならば、最初からライザの店に向かえばよかった。虚仮の後事案が、俺の頭を苦しめる。
「フルア――ぐ……」
更なる加速を求め、いつものように魔法を使おうとして――俺は胸の激しい痛みに倒れこんだ。支えるため地面についた手に、ぽたぽたと、赤い液体が零れ落ちる。しまいには、何かがこみあげてくるような感覚に襲われ、俺は吐血した。
愛用している薄手のローブが赤黒い染みが広がっていくのを見て、俺はその異常性に気付いた。
「クソ、何がどうなって……」
立ち上がろうとするも、上手く体に力が入らない。四本の手足で体を支えるのがやっとだ。
「ッ! 勇者様!」
「アルフレイ君!」
ついには後続の二人に追いつかれてしまった。駆け寄ってきた二人の気配を感じて、俺は喉から声を絞り出す。
「ハァ、ウェルドさんのこと、止めて、きてくれ……」
俺の言葉を聞くや否や、ミルが俺の口を柔らかい布で覆い、治癒魔法を行使してから肩を支える。
「行ってください」
「でも……」
「ここは、私に任せてください。私では、聖騎士団長の位置がわかりませんから」
心配そうに俺の顔とミルの顔を交互に見つめてから、ミリスは決意する。
「わかりました。彼のことは任せます。聖騎士団長のことは私に任せてください」
間もなく、ミリスの姿は見えなくなった。
その姿を見届けたミルは、俺をその場に寝かせようとする。
「ダメだ。俺もウェルドさんのところへ行かないと」
ミルの魔法によりいくらかマシになった俺は、ミルの手を払いのけ、強引に立ち上がろうとする。それでも、力が上手く入らない。一流のヒーラーである、ミルの魔法を受けたにも関わらずだ。
「無理をしてはいけません。あなたは今――」
「そんなの、俺が行かない理由にはならない」
もし、ミリスがウェルドを止められなかったら? ライザに預けて来たとは言えど、ウェルドが相手になるなら荷が重い。
もう二度と、
「仲間を見殺しにするわけにはいかない」
「そう、ですか……あなたらしいですね」
ミルの肩を貸してもらいながら、二人はゆっくりと歩き出した。
「爺さん、どういうつもりかぁ知らねぇが……このお嬢さんに手を出そうっちゅうんなら、やめときな」
傾いた朱色の日差しが、老人の顔に影をつけている。その男は自分の後ろへ少女を退かせてから、正面に立つ、剣呑さをを隠しもしない男を睨みつける。
「それはできませんな。こちらの者が、そのお嬢さんに精神支配を受けたようなので、始末しておかなければなりません」
「そりゃぁ、面白れぇ話だなぁ。やる気満々のようだが……恋とかいうオチだったら、ただじゃおかねぇぜ?」
ライザの瞳がギラリと光り、冗談を織り交ぜながらウェルドの出方を注意深く窺う。
「もしそうであれば謝ることになりますが……その謝罪を聞き取る聴覚が残っているかどうかは、保証できません」
対するウェルドの頭に、戦わない選択肢はなかった。勇者が無事であるためなら、あらゆる不安要素は排除する。
「おいおい、ほんとにやる気かよ」
「疑わしきは罰する。我が王国の勇者が無事であるためなら、私は心を痛めながら女でも子供でも斬りましょう」
ウェルドは剣の切っ先を向け、宣戦布告する。明確な殺意を向けられても、ライザは一切たじろがない。
「ったく、タダ働きなのに厄介な依頼だぜ、ほんと……」
「素直に彼女の身柄を引き渡していただければ、私は何もしません。 法外な依頼なら猶のこと、放棄してはいかがですか?」
「依頼人がウチの店期待の新人だからよぉ、そういう訳にもいかねぇんだ。それに、Sランク冒険者と聖騎士――どちらが強いのか、俺も興味がある」
ライザはその双眸に好戦的な光を宿し、ウェルドと視線をぶつける。
「無駄な殺生は避けたいのですが……あなた相手に、手を抜く余裕はなさそうだ」
「全く……老体には、厳しい戦いになりそうだぜ」
ライザは、額から流れ落ちる汗を腕で拭う。
彼には、この戦いが自分にとって分が悪いことがわかっていた。それでも、一度引き受けた依頼は放棄しない――冒険者としての矜持が、彼に最後の覚悟を決めさせる。
そして、二人は同時に動き出した。
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