第20話 騎士と英雄
時は少し遡り、ウェルドとライドの決戦。ウェルドが傷を負えば、瞬時にミルが再生。超回復能力を持った魔獣を彷彿とさせる二人に、ライドは余裕を無くし、苛烈に殴りかかっている。
「
痺れを切らしたライドがミルへ雷を鳴らす――が、ウェルドの衰えを知らない目が、その予備動作を見逃さない。短く息を吐き、その霹靂を切り飛ばして――行き場を失った魔力は、まるで初めからそうであったかのように大気の一部となる。
ライドは自分の腰上ほどしかないウェルドの後ろに、大きくそびえたつ壁を見た。まさしく、騎士の中の騎士。
「クソ野郎が!」
「ずるいとは思わないでほしいですな」
ウェルドは想定を遥かに超えるミルの技量に目を瞬かせていた。昔、勇者とパーティーを組んでいたという話は聞いていたが、ここまでの実力を備えているとは夢にも思わなかった。
そして、それでもライドに自分の攻撃がまともに通らないことに歯噛みする。その巨体に見合わない速度は、少しでも油断すればミルを一瞬にして亡骸へと変え、そうなれば次は自分の番だ。
お互いに攻撃の手を止め、見合う。不用意に動きだせない緊張感。単純な強さで言えば、間違いなくライドが上だ。ならば、どうすればあの太くて高いところにある首へと剣が届くのか。
ウェルドは、自分から攻撃を仕掛けられなかった。そうすれば相手に隙を与え、叩き潰されると思ったからだ。故に相手の攻撃を待ち、それに完璧に対処するしかない――
「ウェルド聖騎士団長!」
鋭く、自分を呼ぶ美しい声が響き渡る。何かを伝えようとする声だ。だからウェルドは無為に返事などせず、彼女の紡ぐ言葉に意識を割く。
「あの程度の魔法なら、私は問題ありません! 隙を見つけたら、構わず急所を狙ってください!」
その強い宣言に、ウェルドは身が熱くなる思いだった。小さく弱気で、いつも一人で過ごしていた王女は、ウェルドの知らない内に立派に成長し、王国最大級の難敵へ立ち向かうほどになっている。
勇者に至高の九人を丸投げしていた聖騎士団が、王国が、自分が情けない。そして、自分に問いかける。今ここで、この敵を倒せずして、何が聖騎士団長なのだ? 年老いて失いかけていた反骨心が、熱く燃え上がってその存在を主張する。
ウェルドが着用していた鎧を乱雑に脱ぎ捨てると、鉄器をいくつも落としたような衝撃音が大きく響いた。
薄い服だけを身に纏う彼の姿は、まさしく裸一貫。出血の跡を衣服に残しながらも、無傷の体には明らかな違和感を感じさせる。ミルの努力の結晶であった。
体を覆っていた重さが消え、ウェルドは心まで身軽になるかのような高揚感を感じる。
ライドへ攻撃を通すための、文字通り捨て身の形態であった。速度も剣撃の鋭さも向上するが、一撃でもまともにもらえば大怪我は避けられない。ならば、全部受け流し、躱し、相殺させれば良いだけのこと。
「爺さん、どういうつもりだ?」
「なに、王女様に負けていられないなと思っただけですとも」
染みついた丁寧な言葉遣いはいつも通りであるが、その響きには上品さが感じられず、好戦的な危うさを秘めている。
刹那、動き出したのはウェルドの方であった。いつになく好戦的なウェルドの剣は、いきなりライドの太い首を掠めそうになり――寸前で、ライドの腕に受け止められた。その鋼鉄のような腕を大きく切り裂いてから、ウェルドは後退する。
初めて、斬撃がまともに通った。あの首に、剣が届きそうになった。その事実にウェルドはさらに高まった。
「クソ、いてぇじゃねぇか」
ウェルドは言葉を発さない。戦いに全意識を集中させる彼に、何人の声も届かないからだ。ウェルドは呼吸を整えてから再び駆け出し、ライドの首目掛け、何度も、何度も剣を走らせる。受け止めようとするライドの腕を、脚を深く切り裂く。彼の体に、自分の剣を刻み込んでいるという、確かな手ごたえ。
ウェルドは今まさに成長している。剣士として、更なる高みへ踏み入れようとしている。流れに身を任せ、更に一歩、また一歩と、その頂へと歩み続ける。
「クソが」
そう、耳元で声がした。瞬間、ウェルドは横っ腹に大きな衝撃を受け、冗談みたいに吹き飛ばされる。住居の厚い石壁を一枚突き破りながらも、なんとかその勢いを殺すことには成功。体が変形するかと思うほど強力な一撃だったが、なんとか意識を保っていた。
いつもの冷静さを欠いていた。自分のやり方は間違いであったとウェルドは反射的に自省する。せっかくミルが作ってくれた機会を、自らの感情で無駄にしてしまったという喪失感。
全身に強烈な痛みが走っており、熱い。視界には靄がかかっている。骨は何本も折れているだろうし、内臓が破裂していてもおかしくない。しかし、だからといって諦めるわけにはいかない。吹き飛びながらも強く握りしめ続けた剣を杖代わりにして、ウェルドは立ち上がる。
「私、は……」
勝たなければならない。そして、与えられた任務を達成しなければならない。体の痛みを吹き飛ばす使命感が、体の限界など無視してウェルドを立ち上がらせる。
そしてトドメを刺そうとするライドが飛来し――ウェルドは、自分の体が優しい緑に包まれるのをその目で、肌で感じた。
瞬間、体の痛みは消え、視界がすっと開ける。何故、なんてことを考える暇もなく、ウェルドは生存本能に突き動かされるままライドの拳を寸前で回避し、家の外へと出る。
「今のは……」
後から気づいたが、それは間違いなくミルの治癒魔法だった。先ほどまででも十分な実力を発揮していた彼女だったが、ここまで大きな一撃による傷も、一瞬にして回復してしまうとは。
真剣な顔でこちらを見る彼女を一瞥。その頼もしさに胸が熱くなるとともに、ライドが冷静にミルを狙っていればどうなっていただろうかと肝を冷やした。
「クソ、また治ってんじゃねぇか。こっちは、そんな便利なもん使えないってのによ。あー、殺る順番間違えたな、これは」
砂埃の中から、悪態をつきながらライドが姿を現した。腕にも足にも深い裂傷を負っている彼に対し、無傷の剣豪が一人。ついでに、いくらでも回復し続けてくるヒーラーが相手にいるなんて、普通なら絶望するところだ。
しかし、彼の戦意は未だ折れない。まだ、勝算があると思っている。しかし、ライドがどのような力を隠し持っていようとも、今のウェルドに敗北の二文字は存在しなかった。
怪我をしても瞬時に回復するため、即死以外はまず負けない耐久力。そして、重い鎧を脱いだことによる大幅な基本能力の上昇。加えて、今まさにウェルドは自分の限界に挑戦し、記録を塗り替え続けている。
ここまで完璧に事が運んでいる上で負けてしまえば、もう騎士などと名乗ることはウェルドのプライドが許さない。
目の前に迫る拳を軽々と受け流し、ウェルドの剣は更に速く、鋭くライドに迫る。それに呼応するように、ライドもその力を存分に発揮し、殴りかかる。ウェルドはさらに急激に成長し、もうどちらが勝つかわからないところまで来ているように見えた。ミルの治癒魔術という補助輪ももはや必要ないほど、全ての攻撃を受け流し、躱し、相殺している。
更に加速し、剣の最深部にある神髄へと迫ろうとしたところで――
「離れてください!」
――降り注いだ声に、自分の体が勝手に従っていた。大きく飛びのいて空を見上げると、そこには王国の英雄がいる。
ライドはその目を大きく見開いて、その脅威を強く認識した。命に差し迫った危険を感じ、ライドはウェルドから意識を離した。
「
聞いたことのない詠唱だった。ライドが隠し持っていた切り札。ほとばしる雷はまさしく神の裁きであるかのように神々しくも荒々しく輝き、離れたところにいるウェルドや、その後ろにいるミルの髪の毛すら、その魔法により逆立つ。
ライドはその魔法を勇者に向けて撃つとともに、自身も決死の突撃を行う。
神雷が勇者を消し飛ばそうと迫り――突如虚空に出現した白い極光により、ウェルドも、ミルも、ライドの終わりを確信した。
全てが焼き払われた。ライドの魔法は、それと比べるのすら憚られるほどの強力な魔法――もはや、自然災害だと言っても過言ではないそれに巻き込まれ、術者ごと跡形もなく蒸発させられた。光は止まらず、勢い余って直撃した街路へ巨大な大穴を出現させ、爆裂――辺りに静けさをもたらした。
呆気ない終結。魔法でくりぬかれた大穴の隣へゆっくりと降り立つ勇者の姿を見て、ウェルドは思う。
――あぁ、やっぱり我々には勇者が、英雄が必要だ。
ライドが隠し持っていた切り札をものともせず、勇者はその圧倒的な力で飲み込んでみせた。ウェルドが磨いてきた剣術が、無為に思えてしまうほどの威力。物語の中から登場した人物かのように、常識離れした勇者に、ウェルドは心から敬服する。
「バーンロード殿……」
ある者は、その力へ畏れを抱いて名前を呼ぶ。
「アルフレイ君……」
ある者は、その人へ万感の思いを抱いて名前を呼ぶ。
「精神支配は受けてないので、心配しなくて大丈夫ですよ」
そして勇者は、自分の無事を知らせるように涼しい顔で言ってみせ――その場にうずくまり、ついにその身を倒した。
それを見て、二人は慌てて駆け寄る。
「バーンロード殿!」
「大丈夫ですか!?
暖かな光が勇者を包み込み、その身を全て癒そうとする。しかし、その目は覚めない。
「身体に外傷はないようです! これ以上は私の手に負えません! 聖騎士団長、救護班を呼んでもらえますか?」
「直ちに! それから……」
ウェルドは言い淀んだ。捜索部隊の大多数が、向こうでマーメイと衝突しているはず。それこそ、勇者がここへ来る前に倒していなければ今まさに危機的状況である可能性が高い。
ミリスという優秀な冒険者を始めとして、複数の聖騎士団員とBランク冒険者がいたとはいえ、絶望的であることに変わりはない。
「ぁ……」
不意に、待ち望んでいた声がした。二人はそれぞれ勇者の名前を呼び、その意識が再び離れてしまわないようにしてから、その返答を待つ。
ミルが勇者の手を、強く握りしめると、その口が開いた。
「もうひとり……倒してきました」
その言葉に、ウェルドは心から安堵した。そして、やはり彼は物語の英雄だと思った。その証拠に、いつも誰かが強く望んでいることを、軽々しくやってしまう。
――彼さえ無事ならば、王国は安泰だ。
まだ若く、先の長い勇者。彼が、一人の若者として朗らかな日々を過ごせるように、もう、丸投げにはしないと。もう、頼りきりにはしないと。もう、依存などしないと誓ったばかりなのに。ウェルドの心では、勇者への絶対的な信頼が、もはや信仰心と呼んでもいいほどに膨れ上がっていく。
そして、ウェルドの心を支配していた成長への高揚感は、嘘みたいに冷え切っていた。
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