第19話 約束

 颯爽と空を翔ながら、俺はプリムとの会話を思い出していた。


「お兄さん、私と、話をしよう」


「……あぁ」


 沈黙。二人とも何から話せばよいか迷って、


「「あのさ」」


 全く同時に二人は声を発した。そのタイミングの悪さに、ばつが悪くなって二人して目を逸らす。


「話って、難しいね」


「そうだな……まずは」


 年長である俺が引っ張らなければと思い、俺が先に話を切り出す。プリムは緊張した面持ちで固唾を呑み、俺の言葉を待った。


「……多分、もう知ってると思うけど、俺がローレイン王国の勇者ってやつなんだ」


「……うん」


 衝撃ではなく、納得の声音。これだけ情報を与えているから当たり前かもれしないがやはりプリムは俺の正体に辿りついていた。


「だから、君のお姉さんに手をかけたのは俺なんだ」


「そう、だよね」


 静寂。プリムは我を失うことこそないものの、その事実に深く悲しみ、傷つけられていることが見てとれた。彼女が拳を握りしめるのを見て、俺はあの時のことを深く後悔しそうになる。

 プリムは俯いている。やはり、自分で確信していても、いざそれが証明されてしまえば、思うとことはあるのだろう。静かにゆっくりと咀嚼し、その事実を飲み込もうとしている。


「お兄さんはさ、なんでお姉ちゃんのことを殺したの?」


 純粋な問い。選択を間違えればプリムがまた暴走してしまうかもしれない。

 多分、嘘をつけば上手くいくと思う。だって、いつも元気なプリムは誰が見ても察せそうなほど、その心は弱りきっている。今の彼女に、疑う余裕はきっとない。

 自分が殺されそうになったからだとか、親友を守るために仕方なくだとか、同情を買うようなことはいくらでも言える。


 でも、もう隠すのも嘘をつくのもなしだ。なぜ彼女を殺したのか、たとえそれが彼女の暴走のきっかけになってしまったとしても、真実を話す。


「……それが、俺の任務だったから」


「そっか……お兄さんはさ、後悔してる?」


 後悔、か……。今プリムとこうして関係を持つようになって、イグリムを殺したことへの罪悪感は確かに大きく膨らんだ。あの時のことを、この短い時間の中であの出来事を改変できたらと考えたのか数えきれない。

 しかし、あの時の選択は間違っていたのだろうか? あそこで彼女を殺していなければ、今後多くの人間が殺されることになったのは間違いない。だから、正しい選択はしたと思う。そこを後悔してはいけない。


「後悔はしてないよ。でも、申し訳ないとは思ってる」


 こちらの事情を何も知らないプリムからすれば、自分の親族を殺しておいて後悔もしていないとは何事だとどやしたくなるかもしれない。

 事実、プリムは膝の上に置いた拳を強く押し付け、何か我慢するようなそぶりを見せている。


「ごめんなさい」


 俺は、初めてイグリムを殺したことを謝罪した。彼女に謝らなければならないと思った。


「それは、何に対してなの?」


 それはもちろん、イグリムを殺したことへの謝罪だろう。


「お兄さんは、お姉ちゃんを殺したこと、正しかっただと思ってるんでしょ?」


 蓋をせずに言うなら、確かにそう思ってる。でも、それじゃないなら他に何を謝れば良いのだろうか。

 俺はしばらく考えこんでから、ようやく答えに辿りついた。


「プリムが知らないのを良いことに、ひた隠しにしてきたこと」


「そうだよお兄さん。隠すのはひどいよ」


 プリムは、ついに涙を隠せなくなった。色んな感情が溢れだして、ついに堪えきれなくなったのだ。


「私、そんなに信用されてなかったのかな?」


「そんなことは……」


 彼女のことは信用していると思う。だって、こうして短いながらも濃く共同生活を営んできた仲なのだから。


「そりゃ、一度暴れまわった私が言うのもおかしな話だけどさ」


 その出来事のあと、プリムは強い衝撃によって記憶を失っていたはず。それを知っているということは、


「プリム、もしかして……」


「うん。思い出したの。ほんとに、ついさっきだけど」


 プリムは記憶を取り戻していた。ということは――


「すまない。あの魔族の男のことも」


「ああ、それはいいの。バーグさんのことはほんとに、何とも思ってなかったから」


 プリムと親しい間柄なのかと思ったが、そういう訳ではないらしい。もちろん、彼女の言葉に嘘がないなら、という前提ではあるが。


「それにお兄さん、私のこと子供だと思ってるよね?」


「え?」


 プリムの口から考えてもみなかった言葉が飛び出して、俺は目を丸くした。そんな俺に構わず、プリムはまくしたててくる。


「だって、私の入院費用を稼ごうとするし、貴重な転移石をほいほい渡してくるし、いつも妙に優しいし、私と接近しても何も反応がないし……なんか、妹みたい」


 一度勢いづいたプリムは止まらない。俺は落ち着いてから、見解を述べる。


「それ、プリムが俺のことお兄さんって呼んでるからじゃないの?」


 自画自賛したくなるほどの名推理。この言葉が決まり手になったことを確信するが、プリムはさらに噛みついてきた。


「それは、お兄さんが名前を教えてくれないからでしょ?」


「……職員さんとか、半分ぐらい俺の名前知ってたと思うけど」


「姓を教えてないんだから、半分どころか3割ぐらいしか知らないでしょ! いや、私が言いたかったのはそうじゃなくて……」


 プリムは恥ずかしそうに顔を伏せる。もう一度顔を上げたとき、彼女の顔には決意が見て取れた。


「呼び方が定着してるから、今更変えるのは恥ずかしかったの! だから、その……アルって、呼びたい」


 ゆであがったように顔を赤くするプリムから目を逸らし、俺は首を縦に振って了承する。それに気づくとプリムはわかりやすく舞い上がってから、俺の名前を呼んだ。


「それでアル……アル」


 プリムは名前呼びを噛みしめていた。同年代の友人ができたことのない彼女にとって、呼び捨てというのは新鮮なものだったのだろう。


「あのね、アルがお姉ちゃんを殺したことなんだけどね」


 急に話が戻り、俺の体は一気に強張った。彼女の紡ぐ言葉を聞き逃さないよう、静かに待つ。


「正直、許せないよ。許せるかもわからない」


「……うん」


「でもね、私にとってはそうでも、お兄さんたちからしてみれば正しいことなのもわかってるの」


 プリムは俺の行動へ確かな理解を示し、受け入れようとしている。その姿は、俺なんかよりずっと大人だった。


「お姉ちゃんが散々人を殺してきてたんだから、それをやり返されただけ」


「……」


「だから、私が恨むのは多分、筋違いなことなんだとも思う」


 プリムは自分に言い聞かせるように言葉を続けている。まるで、俺のことを無理矢理許そうとしているかのように。

 本当にプリムが俺を恨むのは筋違いなのか? イグリムはプリムにとって、俺には想像できないほど大事な人だった。そんな彼女を大量殺人鬼だからと俺が殺したとして、プリムにそれを受け入れる必要があるのか?


 プリムの表情は暗く苦しそうだ。俺の行いをなんとか飲み込もうとして、それを喉に詰まらせてしまっているかのように。


「うん、だから、私は許さなきゃいけない。それで、この話はおしまい」


 プリムの目から、言葉で取り繕いきれなかった気持ちが溢れだしている。無意識に噛みしめられた歯は、消化できない思いをすりつぶしているかのようだ。

 そうだ。イグリムが世間でどんな行いをしていたかなんて関係ない。彼女はプリムにとって大事な人で、そんな人が殺されたらその相手を恨むのは当然のこと。

 少女が思い悩むには、あまりにも重すぎる。プリムには、自分の心に正直でいてほしい。だましだまし生きていたら、きっと何かが、少しずつ擦り減ってしまうから。

 だから俺は、


「プリム。いつか俺のことを殺してくれ」


 あの時、プリムに言われたことを、自分から頼み込んでいた。プリムは驚きに瞳を揺らし、俺のことを見つめている。


「あの時、言ってくれただろ? 俺のことを必ず殺すってさ」


「それは、言ったけど……あれは――」


「なら、俺が死ぬ前に殺してくれ。多分、俺はそんなに長い命じゃない。イグリムに、強烈な置き土産をもらったからな」


 イグリムに受けた呪い。それが俺の体を蝕んでいることは確実だ。事実として、体の虚脱感を始めとして、今まで何ともなかった部分で支障が出ている。呪いの詳細は未だ判明していないが、俺は確実に衰退していっている。きっと、最後は彼女に言われたように死んでしまうのだろうなと、直感的にわかる。

 プリムの復讐心が先の短い俺の命で満たされるのなら、俺は喜んで受け入れよう。


「もちろん、まだ先の話だ。まだまだ、やりたいことが残ってるしな。もちろん、気が変わったらいつでも言ってくれ!」


 俺が冗談めかして言うと、プリムは口に手を当てて笑った。


「なにそれ。でも、わかったよ。アルのこと、いつか私が殺すよ」


 その言葉が冗談なのか本心なのか、隠された口元の真意は見えない。でも、そんなのどちらでもいい。

 俺の提案で、思いつめた表情は消え、顔色は随分明るくなった。

 どれだけ仲が良くても、嫌なことをされたら何かしらやり返したくなるぐらい、人なら普通の感情だ。

 だから俺は、やり返したくなるその気持ちを受け入れる。


「ありがとう、アル」


「いや、別になにもしてない」


「いや、命差し出してくれたじゃん」


 確かにそうだった。傍から見れば、こんなのは異常なやり取りに見えるのかもしれない。命を差し出すなんて、常人ならまずしないだろう。

 きっと、勇者として魔族を散々殺してきた中で、命の価値観が壊れてしまったんだと思う。殺人鬼のイグリムは俺に殺され、殺魔鬼の俺は妹のプリムに殺される。

 何かの物語だとしたら、なんと自然な終わり方なんだろうと感動すら覚える。


「そういや、そうだったな」


「命の話なのに、なんか軽くない?」


「まぁ、こんなもんだろ。それより」


 俺は右手を差し出す。加害者側から握手を求めるなんて、傲慢にも程があるかとは思ったが、それでも仲直りの証は重要だ。


「えっと、握り返せばいいの?」


「そうだ。ただし、プリムがこの仲直りに納得してるなら、だけどな」


 プリムは、嬉しそうに俺の手を強く握り返した。


「お兄さん、これからもよろしくね」


「こちらこそ。あと、名前呼びぬけてるぞ」


「あ、ついうっかり」


「もう、お兄さん呼びでいいんじゃないのか?」


 呆れて提案すると、プリムがぶんぶんと首を横に振った。なんでも、名前呼びには特別感があるらしい。俺にその感覚はよくわからなくて首をひねったが、「レイルちゃんのことなんて、職員さん呼びだもんね……」と妙な納得をされ、プリムの方が折れてしまった。その後、いろんなことについて二人で語り合って――





「お、あれか」


 不気味なほど静まりかえった街並み。遠く、雷が落ちたような音が聞こえる。

 速度を上げてその地点へ到着すると、そこには至高の九人の一人と思わしき巨大な男が一人と、ウェルドとミルらしき人影があった。

 空から状況を確認すると、ちょうど、ウェルドと男がぶつかり合っている。ウェルドの剣は素晴らしく、剣に関しては全くの素人である俺が見ても心奪われるものがあった。

 まさしく、絶技。雷を跳ね返し、ウェルドの顔ほどもある拳を受け流す。一人の人間が剣へ人生を捧げて初めて到達できる剣は、今まさに人外と呼ばれる領域へ足を踏み入れようとしている。


 ウェルドはまさに今、人生最後かもしれない壁を破ろうとしているとわかった。しかし、彼一人に任せた結果、ウェルドという人材を失う訳にはいかない。

 剣士として悔しい気持ちは生じるかもしれないが、どうか許してほしい。


「離れてください!」


 俺の声に反応した二人はその場を飛びのき、もう一人は俺の方へ飛びかかってきている。右腕に溜めている魔力に反応したのか、脅威だと判断されたようだ。

 ウェルドもミルも十分距離は取った。味方への被害を考慮する必要はない。


「『魔力砲』」


 掲げられた腕から、極光が一筋。それは空を焼いて一瞬にして地面へ到達し、爆ぜる。

 不運にもその天誅を受けてしまった生命体が、生き残れる道理などない。ライドは塵すら残さず蒸発し、無へと返された。あまりにも、呆気ない終結。

 俺は綺麗に開いた円柱状の穴のよこへふわりと着地すると、こちらへ駆け寄ってくる二人へと手を挙げて挨拶する。


「すみません、遅くなりました」


「バーンロード殿……」


「アルフレイ君……」


「精神支配は受けてないので、心配しなくて大丈夫ですよ」


 途端、俺は胃にずっしりとした重みを感じ、猛烈な虚脱感に襲われた。どうやら、体に無理をさせてしまったようだ。

 うずくまる俺に駆け寄るウェルドとミル。地面へと倒れこみながら、俺は何から説明したものかと思案していた。

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