第16話 話をしよう
王都の道外れ。人目を避けつつ、俺は安全な場所を目指す。
しかし、国外の人間である俺にとって、行く当てなどなく目標は完全に行き詰まり状態。とりあえず追っ手に見つからないよう少しでも遠くへ行こうともがいているだけ。プリムのことは必ず守り通すと豪語しておきながら、いきなりこの有様だ。
日は少し高くなっており、柔らかく生暖かい風が吹いている。もう少し時間が過ぎれば更に気温は上がり、それに暖められた熱い風が俺の皮膚を蒸し焼きにするだろう。プリムのことも考えれば、早急になんとかしなければならない。
「しかし、どうしたもんか……」
ついに俺は建物の日陰へ座り込み、頬を流れる汗をぬぐいながら呟く。抱えたプリムを建物に立てかけるように優しく寝かせて、俺は策を考える。
しかし、考えても考えてもすべて解決できるような妙案は浮かばず、俺は頭を抱えた。ただ、時間が過ぎていく。上昇する気温も、賑やかな人の話し声も、冒険者の足音も、そのすべてが俺の思考の邪魔をする。
しまいには自分にとって都合の良い出来事が起こらないか天に祈るばかりになってしまい、本格的に破滅は時間の問題になる。どうする、どうする、どうする。まとまらない考えが頭をぐるぐる巡り巡って――不意に、一つの足音がすぐ前で止まった。
「お前さん、こんなところでお嬢さん連れて何やってんだ?」
「あ……ライザさん」
警戒する俺を見下ろしていたのは、ここに来てから一週間弱の間、俺のことを雇ってくれたライザであった。
突然のことで面食らうが、俺は自分が冒険者からも追われる身であることを思い出し、すぐさま神経を尖らせた。
「おいおい、なんでそんな張りつめてんだ? 俺ぁ今やしがない店主だぜ?」
彼はいつも通り気さくに話しかけてくる。
「……」
「俺ぁもう冒険者じゃないし、ギルドの依頼を受けるこたぁねぇよ。そもそも、金貨三枚ぽっちでこの俺を雇えるわけはねぇっちゅう話でもあるがな」
押し黙っている俺に、ライザは笑いかけてきた。彼は、すべて知っている上で、狙って接触してきたのだろう。
彼は俺の腕から滴る血を見て頭を抱えると、持っていた鞄から包帯を取り出し、応急手当てを行う。俺の腕に包帯を巻きつけながら、ライザは語りかけてくる。
「お前さんが何を抱え込んでるか、俺ぁ八百屋だから知らねぇが……そんなところでうずくまってるぐらいなら、うちの店くるかい?」
「ライザさん、俺は……」
「あぁ、そういうのはいい。俺ぁただ、うちの店員が困ってそうだから、手を貸してやりてぇと思ってるだけなんだからよ」
包帯を巻き終わると、ライザは「よし!」と一声上げてから立ち上がる。その背中を見て、彼のことすら疑うほど心に余裕のない自分が情けなくなった。
ライザの言葉に、何の嘘も、謀りも、悪意も混ざっていなかった。彼は発した言葉通り、ただ俺とプリムのことを心配しているだけ。
彼はきっと全てを知っている。俺が何に、どうして追われているのか。俺を助けるということは何を意味するのか。
そして彼は何も知らない。聞こうすらしない。俺とプリムの間にどんなことが起こったのか。なぜ俺がローレイン王国に追われることになったのか。
純粋な善意。見返りを求めない利他行動。ライザの恩情に、俺は胸が熱くなるのを感じた。
「ライザさん……ありがとうございます」
俺は絞り出すような声で礼を言った。声を張ろうとすると、今にも涙が出てきそうだったからだ。
「おう、若ぇやつがそんな気にすんなよ」
ライザは俺に確認を取ってから、傍らで横たわるプリムを持ち上げると、彼女の顔に何か動物らしき模様が入った仮面を被せ、俺にも同じものを一つ渡してきた。俺が首を傾げていると、ライザは言葉を付け足した。
「認識阻害の仮面だ。まぁ、気休め程度だろうがよ。そいつをつけてから行くぞ」
俺が仮面を装着してから、俺とプリムを抱えたライザは街を駆ける。店の近くまでしばらくは道外れを進み、そこからは屋根の上を姿勢を低くして飛び移る。
店に着くと、俺とプリムを部屋へ案内してから、ライザは店番をするために露店へと出た。
「ライザさん……本当に、ありがとうございます」
俺は外に出たライザのことを思い浮かべながら、もう一度感謝を呟く。彼がいなければ、プリムとローレイン王国、どちらを取るのかを考える時間も取れずに選ばなければならなかった。
決断と時間は比例しないとは思うが、心身共に追い詰められた状態での決断なんて碌な結果にならない。
しかし、問題を先送りにしただけで、根本的には解決していないのも事実。俺がプリムの故郷――リアレス村まで彼女を届けるためには、魔力をもうしばらく回復する必要がある。加えて、プリムは俺の正体に勘づいてしまっている。
俺はよく考えて、選択しなければならない。プリムへ全ての事情を話すのか。それとも、知らぬ存ぜぬを貫き通して道化を演じるのか。あるいは、第三・第四の選択肢を模索するのか。
傍らで横たわるプリムの寝顔を見る。朱色の長髪は煌びやかで、その顔には少女のあどけなさを僅かに残しつつも、大人の魅力を存分に醸し出している。やはり、かつて死んだ仲間に少し似ている。
素直に美しいと思った。普段こうしてプリムの顔の造形をまじまじと見つめることはなかった。むしろ、変に意識することがないようにあえて見ないようにしていた側面もある。
そして、その瞳がゆっくり開かれる。じろりと、俺の方を向いた眼球と目が合う。
「……ぁ?」
突然のことに思考が始まらず、俺はただ呆気に取られた。こんなに早く目覚めるなんて思わなかったのだ。なんと言葉をかければいい。俺がプリムを見つめていたことはどう弁明する? 一向にまとまる様子がない思考の渦。
「起きたか。ライザさんに知らせてくる」
俺が選択したのは先延ばし。ほんの少しでも考える時間を取りたかった。プリムがはっきりと覚醒する前に背を向けて立ち上がり、俺はライザの元へ状況を説明しに行こうとする。
そして――足が一歩を踏み出す前に、俺は後ろに吸い込まれるような力を感じた。刹那、俺は服の袖をプリムの手がしっかりと掴んでいることに気付く。
想定以上の力強さに、俺はバランスを崩して後ろに倒れこみそうになり――俺の背中は、柔らかく温かい体温に包まれた。腹部へ巻きつけられた人の腕を見て、俺は自分が抱きしめられていることを知った。そして俺の首元へふわりと吐息がかかったと思えば、言葉となって俺の耳に届いた。
「お兄さん、待って……」
「プリム、俺は……」
無意識に言い訳をしようとしたのか、俺の口からはたどたどしく震える声が発される。そしてその口は小さくなめらかな掌で塞がれ、出てこようとしていた言葉は行き場を失って口の中で溶けた。
柔らかくほどかれた拘束から俺は脱し、プリムへ向き直る。
「お兄さん。私と、話をしよう」
プリムは覚悟を決めたような表情で、提案する。
「……あぁ」
自分より幼い少女にこれだけお膳立てされておいて、断れる道理などない。俺はわずかな空白の後、それを承諾する。俺も、覚悟を決めた。
「お前さん、どうやら厄介なことになったみてぇだぞ」
いつも肝の据わっているライザが、珍しく慌てた様子で部屋に入ってきた。
そういえば、少し前から外が騒々しかった。俺は座ったまま彼の顔を見上げ、その仔細を尋ねる。
「何があったんですか?」
「お前さんを追っかけてたローレイン王国の奴らと、やべぇのが衝突してるらしい」
「やべぇの、というと?」
「――至高の九人。マーメイとライドっちゅうらしい。魔王国のやつらだな」
それを聞いて、俺は驚嘆の声を漏らすとともに、自分の重大な見落としに気付いた。魔王軍がリアレス村へ状況報告と応援要請をしに来た時。あの兵士は、確かに言っていた――至高の九人であるマーメイとライドが応援に向かう、と。
俺はそのことを完全に失念していた。一行を見殺しにしたに等しい。自分の思慮の浅さへ落胆しつつも、俺は決意する。もう、迷うことなんて何もないのだから。
「お前さん、ローレインの奴らとなんか話すことがあるんじゃねぇか? 多分、全滅しちまうぜ。どうするかすぐに決めねぇと――」
「戦います」
俺はライザさんの話の腰を折り、自分の結論を強く言い切った。ライザの瞳は驚いたのかわずかに揺れた。
マーメイとライド。その二人が出てきたのは俺の責任だ。本来は、あの時果たしておくべきだった責務。
こんなところで魔力を消費してしまえば、プリムを村まで送り届ける予定は、更に遅れてしまう。しかし、そんな些事はもはや関係ない。
俺はすぐに立ち上がり、隣に座るプリムを見やる。
「プリム、申し訳ないが――」
「いいよ。大事な人たちだもんね」
「悪い、すぐ戻る」
プリムは微笑んで俺を送り出そうとする。俺、はもう一度ライザさんに向き直ってから、
「ライザさん、すぐ戻ります。プリムのこと、お願いしてもいいですか?」
プリムのことをライザに預かってもらうよう頼んだ。今、俺の状態は不安定だ。プリムのことを気にしながら戦うことはできない。既に捜索部隊に顔が割れている彼女を、そこらに放置しておくわけにもいかない。
「構わん」
ライザは頷いてから、好戦的な笑みを浮かべて、
「Sランク冒険者――ライザ・ラルフォードとして、その依頼、引き受けたぜ」
八百屋の店主としてではなく、S級冒険者として、俺の頼みを快諾した。
「お前さん、気ぃつけろよ。お前さんが人類最強だって噂は散々聞いちゃいるが、相手は――」
「ご心配なく。少なくとも今、俺は全生物最強ですよ」
俺もライザに負けないように、ローレイン王国の勇者として、全生物最強を自称する。
「ハハ、えらいこと言いやがるな。まぁ、うちの店員ならそれぐらいじゃねぇとな」
どんな店だよと口を突いて出かけた言葉を飲み込んでから、俺はライザに交戦の大まかな位置だけ確認しておく。
三人で一度店の外に出て、そこへ一陣の風が吹いたかと思えば――店先に、勇者の姿はもうなかった。
「おいおい、どんな速さだよ。限度っちゅうもんを知らんのか?」
飛び立った勇者の後ろ姿を見送りながら、ライザは呆れたように呟いた。ぐんぐん離れていく人影は、たちまち見えなくなってしまう。
「アルの飛行魔法、すごいでしょ?」
プリムが自分のことのように誇らしげに胸を張った。質量がみっちり詰まった胸部がぴんと張られ、それが彼女の精神状態を表しているようだった。
「お嬢さん、もう大丈夫なのか?」
ライザはプリムの失神が精神的な原因であることを理解していた。外傷のない体だったのだから、当然のことではあるが。
「はい! おかげさまで」
元気よく答えるプリムの表情に、一抹の曇りも、陰りもない。じりじりと肌を焼く日のような熱ささえ感じられた。
「全く、お嬢さんといい、あの若者といい。心が折れてんのかと思いきや、いきなり男前になりやがって。これが成長期ってやつなのかい?」
ライザはその声色に嬉しさをにじませながら空に向かって問いかけた。
「ところでお嬢さん。すごい可愛さしてるようだが、うちの店で看板娘でもやらねぇか? 報酬は、あの若者より弾むぜ」
「アルが一緒にやるって言うならしようかな。アルが言うなら!」
プリムは勇者の名前を強調し、何度も噛みしめるように繰り返した。
もうすっかり見えなくなった彼の姿を、プリムはいつまでも見つめている。
「ライザさん」
店の中へ戻ろうとするライザへ、プリムは声をかける。
「なんだい?」
「ありがとう……話し合いって、大事だね」
ライザがアルフレイとプリムを助けてくれたことへの感謝を、今言葉にする。
「あぁ、そりゃな。……俺も若ぇ時からそいつを知ってたら、今八百屋やるなんかよりもっと大事なもんがあったかもしれねぇなぁ」
ライザの呟きは、プリムの耳に届かず風の音に混じって消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます