第15話 義務
泊まっていた宿には、なんとか到着できた。幸いにもそこまで時間は経っていなかったようで、先に戻っていたプリムには「お兄さん遅すぎ、どこ行ってたの?」なんて聞かれたぐらいだった。というのも、プリムはプリムで換金した金銭のうち、職員さんの取り分を渡すために彼女の元を訪れていたようで、つい先ほど戻ったばかりだったそうだ。
プリムと今日あったことを色々と、延々と話していると、時間はあっという間に過ぎる。結局、俺とプリムは夕食ににありつくことなく、二人して仲良く寝落ちすることとなった。
そして迎えた次の日の朝。夢うつつな俺の耳に届いたのは、集団で駆け回っているような不揃いな足音。続けて鎧が擦れて発生する金属音があることにも気づいて、俺はぼんやりとした意識のまま目を覚ました。
「ぅ……何の騒ぎだ?」
重たい瞼を擦りながら、俺は体を起こし、窓から外の様子を盗み見る。早朝の薄い陽光に照らし出される光景。それを見て、俺の頭は地面が揺れて目が覚めたときのように、一気に冴えわたった。心臓が全身へ血液を送り届ける感覚を明確に感じて、汗が噴き出す錯覚すら覚える。
「ローレイン王国の聖騎士……あれから、ほとんど時間が経ってないってのに」
昨晩のミルとの邂逅を思い出し、俺は頭を抱えた。彼女の迅速な行動に、俺の想定をはるかに上回る捜索部隊の数。いつかウェルドさんが言っていた言葉を思い出す――あなたは自分の価値に気づくべきだ。
「お兄さん、早いね。どうしたの?」
寝ぼけ眼のプリムがベッドの上にちょこんと座り、俺を見ている。
「いや、なんでもない。ちょっと怖い夢を見ただけだ」
「んふ、じゃあ、もう少し一緒に寝る?」
艶っぽく微笑むプリムだったが、俺の心がそれどころではなかったため、冷静に対応することに成功した。
「ちょっと気分が悪いから起きとく。プリムはもう少し寝ててもいいぞ」
「えー、お兄さんが起きてるなら起きていようかなぁ」
プリムは大きく伸びをしてから、顔を洗うために部屋の外へ出た。
それを見送ってから、俺は大きく口からふーっと息を吐き出す。
「とりあえず、プリムは気づいていないようで良かった」
自然と独り言が漏れる。
捜索部隊に見つかってしまうのはまずい。そうなれば間違いなく、プリムは俺が勇者であることに一瞬で辿りつく。どうする。どうすればいい。こんなことを相談できる相手なんて、今は誰もいない。勇者として積み重ねてきた日々より大変なものなんてないと思っていたが、精神的な疲労は間違いなく過去一番だと言える。気の抜けない状況がずっと続く中、次から次へと厄介な問題が舞い込んできて、俺の予想を裏切ってくる。
今まで味方だったものが敵に寝返ったような喪失感があった。そもそも、なんで俺の捜索部隊はこんなに早くラプラス王国の王都まで到着できたんだ? 今は考えても無意味な不満すら、その理不尽さに耐えかね、俺の口を突いて飛び出してきそうであった。
「あえてこちらから接触するか……?」
それで、事情を説明する。しかし、魔族であるプリムを引き連れる必要があるため、失敗する可能性が極めて高い。ミルは、俺が精神支配されていると強く信じていた。あの認識はおそらく、部隊の中でも共通の認識になっているだろう。
「何に接触するの?」
「何って……え!?」
目の前には、タオルで顔から滴る水をふき取るプリムがいた。ばれてはいけないものに気づかれてしまったような感覚がして、俺は大きくのけぞりながら大声を出してしまう。
「お兄さん、驚きすぎだって……もしかして、やらしいこと考えてた?」
口を歪めてニヤニヤと勝ち誇ったような笑みを浮かべた。プリムが、ませたバカで助かった。もちろん、良い意味で。
「悪い、ちょっとな」
「え、なに、え? そういうのは、えっと……」
俺がプリムの悪ノリに軽く乗っておくと、プリムは顔を真っ赤にしてしどろもどろになった。どうやら、俺の勝ちみたいだな。
「まぁ、気にしないでくれ。それより、飯でも食べに行くか」
「え、あ、うん」
もじもじと指と指を絡めているプリムを引き連れ、俺は宿の食堂へ足を運んだ。人が少なかったので堂々とカウンター席へ腰かけ、適当な肉料理をいつもの朝食より多めに注文する。昨晩食べられていなかった分だ。
「アンタ、今日もよく食べるねぇ」
「ありがとうございます」
人が少ない早朝は、店員と客との会話が盛んに行われているらしく、俺も顔見知りの店員により、その渦の一部へと巻き込まれることとなった。
「そっちのお嬢さんは、新顔だけどパーティーの子かい?」
「そうです。優秀なアタッカーですよ」
「へぇ、そうかい。すごいねぇ」
店員はプリムをじっと見つめ、見た目に似合わない強さに感心したようだった。
「お兄さんのことを守れるように頑張ってます!」
「アンタ、こんな可愛い子に戦わせて恥ずかしくないのかい?」
「むしろ、光栄なことだと思ってます。俺の飛行能力がそれだけ認められたってことですから」
店員の冗談に、俺も軽口を飛ばしておく。すると店員さんは大笑いして、新たに席へ座った客の対応をするため、俺たちの元を離れた。
「なんというか、力強い人だね」
プリムは店員の後ろ姿をじっと見つめながら言う。
「あぁ、あれは間違いなく優秀なタンクだな」
俺は、先ほど店員に言われた冗談への意趣返しを込めて、彼女の体型を揶揄して笑っておいた。しばらく料理を堪能していると、再び先ほどの店員が俺の席までやってきて、お盆を俺たちの席の近くへ投げつけるように思い切り置いた。
「誰がタンクだって?」
彼女は額に青筋を立て、貼り付けたような笑みでこちらを見ている。俺の悪口をしっかり聞き取っていたようだ。
「冗談ですって。冗談が言えるのが、この宿の素晴らしい魅力でしょ? 俺、この宿大好きなんすよ。ほんと、永住したいぐらい。この宿、大好き」
秘技・職場ベタ褒め作戦は大成功し、店員の溜飲は下がったようで、彼女は話題を変えた。人生、簡単すぎる。
「ところでアンタ、今日も冒険しに行くのかい?」
「えぇ、そのつもりですけど」
彼女は置いたお盆を持ち直してから口を開いた。
「今日は、とんでもない依頼がきてるらしいよ」
「どんなのですか?」
うっすら感じる嫌な予感。
「その名も、勇者捜索依頼。ローレイン王国の有名な勇者様が、この王都に潜伏しているらしい」
「へぇ……それで?」
嫌な予感が外れなかったことに心底落胆するが、なんとかいつも通りの顔を維持し、動揺を隠す。そのまま、自然に話の続きを促した。
「見つけた人は、金貨三枚もらえるらしい。勇者の顔は、依頼を受けるときにもらえる似絵を頼りにするんだと」
「それは、面白い依頼ですね。挑戦してみたいとは思いますが、そんな簡単に見つけられるもんですかね?」
自然に、会話を繋ぐ。
「まぁ実際そう上手くはいかないだろうね。まぁ、見つけられたら嬉しいぐらいで挑戦するといいよ。金貨三枚も、そこまで大金ってわけじゃないからねぇ」
「そうっすね。まぁ、軽い気持ちでやります」
適当な相槌を打ちながら、俺はようやくプリムが静かなことに気付いた。
「……プリム?」
名前を呼びながら、俺はゆっくりと顔を彼女の方へと向けた。
「お兄さん、探しに行こう」
真剣な瞳に射抜かれて、俺は口ごもる。
自分の動揺を隠すことに精いっぱいで、プリムへ気を回すことができなかった。頷けば、絶対に俺はプリムに正体を暴かれてしまう。しかし、ここで断るのも不自然だ。彼女は拒否されたことに違和感を覚えながら、一人で勇者を探しにいくだろう。そして、俺の正体に辿りつく。だから――
「そうだな。まぁ、先に病院行って、お金払ってからな」
「うん」
俺は、了承するしかなかった。せめて彼女と一緒に探すふりをしたほうが、行動を上手く制御できるという考えだった。
なんとしても、上手く切り抜けてみせると心に誓った。
だけど、現実は甘くなかった。俺は、もう最初から詰んでいたのかもしれない。
「勇者様?」
俺とプリムが食事を終え、病院へ赴く道中。早朝でまだ人通りの少ない街路。その声は俺の背中から投げかけられた。聞いたことのある声だ。
プリムが勇者という単語に反応し、声のした方向を見る。俺は、依然として前を向いたまま歩みを止めない。
「勇者様ですよね?」
その声は俺すぐそばまで来ていた。もう、言い逃れできる状況ではなくなっていた。
「誰ですか? 勇者と、お兄さんを一緒にしないでほしいんですけど」
プリム目掛けて一切の迷いなく振りぬかれる拳。ヒーラーとは思えない致死量の威力を持った一撃を――俺は、プリムの顔に届く寸前で受け止める。プリムの顔を破裂させようとしていたそれは、代わりに俺の掌へ強い衝撃を与え、骨がいくつも折れるような感覚があった。
プリムは呆気にとられ、息を呑む。自分に向けられた明確な殺意へ、脳の処理が追いついていないようだ。
「ま、そう簡単には行かないよね。勇者様、ごめんなさい。あなたのことを傷つけることになりそうです」
謝罪する彼女の顔をしっかりと確認する。彼女は、魔導車で俺を治療してくれたヒーラーの一人であるミリスで間違いなかった。そして、彼女の後ろには多くの人影。そのうちの二つが、素早く俺の眼前へと出現する。
「バーンロード殿……」
老人の憐れむような視線が突き刺さる。一瞬の静寂。そして、我に返った少女により、それは破られる。
「ちょっと待って! どういうことなの……なんで、お兄さんを――」
「とぼけるなよクソ魔族。勇者様のことを誑かしておいて、今更しらを切るつもりか?」
ミリスの怒声が小さな少女を襲う。しかし、プリムはそれに臆さず、さらに言葉を投げ返した。
「勇者って何のこと? 彼はただの……」
「ただの、何かしら」
ミルの問い詰める声がプリムを追い詰める。
「ただの、飛行魔法の達人で、優しい人で」
その圧に気圧されながらも、プリムは言葉を紡ぐ。
「優しいのは、あなたが精神支配してるからですよね? その分際で彼に優しくされただなんて、不快なことを言わないでもらえる?」
その言葉がミルを逆鱗に触れたのか、プリムが言い終わる前にミルはまくし立てる。彼女の顔には、普段王女として民に振りまく笑顔からは想像できないほど、冷たく突き刺さるような眼光と怒り顔があった。
「ちがう。そんなの、私、知らな」
「昨晩取り急ぎ行われていたダンジョンの調査。それによると、そちらの彼が、負傷者を連れて一人で
ウェルドの言葉には静かな怒りが込められていた。
しかし、前に出てきた三人も、その後ろで待機していた聖騎士団も、一向に動きを見せない。彼らにしてみれば、俺を操るほどの魔族であるプリムを、警戒しない訳がない。
行動を起こすなら、今が最後だ。プリムを連れてこの場を離れる。
「プリム」
呼びかけに対してこちらを見た彼女の顔を見て、俺の思考は停止してしまった。歯を食いしばって涙をこらえるようにしているプリムの顔が、俺の秘密への怒り顔に見えてしまったからだ。実際にそうだったのかはわからない。
そして、プリムが無防備に俺の方を見た瞬間を実力者は見逃さない。
一閃。プリムの首目掛けて鋭く振り下ろされた剣。勇者は無謀にもその剣を素手で受け止めようとし――剣のほうが、競り負けた。見えない壁に弾かれるようにして、作用反作用により、大きな衝撃を受けたウェルドが後退して歯噛みする。
「ッ!」
ウェルドは額ににじんだ脂汗をぬぐって、小さく唸る。
「ぐ……」
俺の口からも、思わず苦悶の声が漏れだした。ウェルドの剣を直前で受け止め――不完全な障壁であったせいで斬られた掌。流れ出す血は瞬く間に俺の手を真っ赤に染め上げた。
手首のほうまで、深く斬られてしまったようだ。
「プリム!」
「……」
自分が斬られそうになったことに驚いたのか。俺が勇者であるという真実に辿りつき、感情が整理しきれないのか。あるいは、そのいずれもか。プリムは微動だにしない。ただ、俺の顔を見つめている。
そもそも、彼女が攻撃されるのは、俺が自分の理由でこんなところまで連れ出したからなのだ。その上、俺がプリムと一緒にいる姿を何者かに目視されるなんてヘマをしたせいで、プリムが俺を洗脳しているというあらぬ噂を招いている。俺が弁明しても、「あなたは精神支配されているから……」で片づけられてしまう始末。
だから、俺にはプリムを守り通す義務がある。故に、彼女の返答は待たない。彼女が安全に帰還できるように、俺は行動を始める。
「
俺はプリムを抱え、光となって街を駆け抜ける。今の状態で、プリムを村まで送り届けるのは難しい。まずは十分に魔力を回復させてからだ。
ラプラス王国の王都は広い。本気で隠れれば、見つかることはないはずだ。
距離を十分に離したところで、俺は腕に抱えたプリムを見る。何も反応がないと思っていたら、彼女は意識を失っていた。精神的苦痛もかなりの大きさだったはずなので、仕方のないことだ。
「ごめん。無理させたよな」
高速移動に伴う風で乱れたプリムの髪を整えながら、俺は呟く。
これからどうしたもんかと思い悩みながら、俺は少しでも距離を離しておくため、再び歩み始めた。
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