第14話 再会

「疲れたな……」


 沈みかけた日の光を遠くに見つけ、俺はダンジョンの出口が目と鼻の先にあることを知る。気が緩んだせいか、麻痺して感じなかった疲労がどっと押し寄せたため、俺は歩行に切り替えた。


「これは、ほんとに呪われてるかも……」


 重たい瞼をなんとかこじ開け、職員さんをもう一度抱えなおし、気を引き締める。外に出るまで危険であることに変わりはない。

 しばらく歩くと、遠くに見えていた光が徐々に大きくなって――


「お兄さんッ!」


 俺の姿を見つけたプリムは、ダンジョンに足を踏み入れ、駆け寄ってくる。とめどなく溢れる涙が、彼女の心情を如実に表していた。抱えていた職員さんをそっと床へ寝かせてから、飛びついてきたプリムを胸で受け止め、その頭を撫でてやる。


「ほんとに……ほんとに、死んじゃったかと思ったよぉ!」


 プリムは俺の服を掴み、悲痛に叫んだ。しばらく無言でプリムをあやし、彼女が落ち着いてから俺は言葉をかけた。


「悪いな」


「ううん……悪いのは私だから。私が、油断してたから」


 プリムは自分の服の裾を握りしめ、悔しそうに俯く。


「まぁ、そんなに気にするな。みんな無事なんだから」


「ありがとう。レイルちゃんも無事でよかった。てっきり一人は転移石で飛んでくると思ってたから、そうじゃないってことは……なんて、深読みしちゃって」


 プリムは安堵から微笑んだ。俺も笑顔を返してから、俺はプリムの背後に立つ影に目を向ける。


「何か用ですか?」


「用っつーか……まさか、一人で帰ってくるとは夢にも思わなくてな。あの猿から逃げきったんだろ?」


 大きな人影からは、老人のしわがれた声が発される。俺は、その声に聞き覚えがあった。つい先日、小銭稼ぎのために雇ってもらった店の主だ。


「あれ、ライザさん?」


「おう、久しぶりだな」


 ライザは気さくに手を挙げ、笑いかけてくる。その身には鎧を纏っており、普段の店主状態ではなく、臨戦態勢であることがうかがえた。


「久しぶりってほどではないと思いますけど」


「細けぇこたぁいいんだよ。まぁ、無事でよかったぜ」


 俺の肩をぽんぽんと叩き、ライザは俺の帰還への喜びを表現した。彼の背後には、さらに複数の人影が見える。冒険者のパーティーだろうか。

 とにかく、プリムが地上に戻ってから、何が起こっていたのかを知る必要がある。


「今、どういう状況なんですか?」


「お前さんのことを助けにいこうと人を集めてたのさ。そこのお嬢さんが、出入り口で助けてくれと泣き叫んでたもんでな」


 ライザの視線を追いかけてプリムを見ると、彼女は恥ずかしそうに下を向いた。そしてプリムは「私、換金してくるよ」と言って手を差し出してくる。俺はその手に魔石の入った袋を手渡す。一見小さく見えるそれの内側には亜空間が広がっており、かなりの量を収納することができる、王国最高級の一品である。

 彼女はその袋を受け取り、恥ずかしさを追い払うように走り去ってしまった。随分集まっていたので、これで彼女の入院費用は十分に支払えると思う。


 そして、感じたのは微かな違和感。助けると言っておきながら、なぜ彼らは出入口で待機していたのか。見る限り、人が集まっていないというわけではなさそうだ。


「そんで、そっちの子がレイルか」


 ライザに声をかけられ、俺は考えを中断して返答する。


「ああ、そうです」


「まだ冒険者を続けてたんだな。でも、あんなの見たらもうダンジョンには潜れなくなっちまうかもしれねぇ」


 彼は気の毒そうに職員さんを見つめた。その口ぶりからして、彼女のことを知っているのだろうか? 彼女の過去には興味があったが、本人に隠れて聞くのは気が引けたので、俺は問いかける質問を変えることにした。


「あの猿って言いましたけど、あいつはどんな魔獣なんですか? 明らかに他のやつとは違いましたけど」


「俺も詳しいことは知らねぇんだが……あれは階層を自由に行き来できるんだ。その強さは、ダンジョンに出現する魔物の中でも最高峰。もちろん、あれが現れるなんてことは本当に稀だが……今、俺ら冒険者が到達階層を更新できねぇのは、そいつが原因だ」


 その話を聞いて納得した。ライザたちが出入口で待機していたのは、このダンジョンの中に人を入れないためだ。あの魔獣は彼らにとって――冒険者としての誇りを強く持つ彼らをして、早急な人命救助を躊躇う難敵というわけか。

 俺を助けるために人を集めていたという話は、真っ赤な嘘というほどではないと思うが……少なくとも、本気で命を救う気はなかった。


 プリムにどんなことを言い聞かせて待機させたのかはわからないが、危ない場所に彼女を入れないという判断は正しい。プリムが知ったら怒りそうな話ではあるが。


「とりあえず、お前さんも宿に戻って休むと良い。あの猿を振り切るとは、ただもんじゃねぇとは思うが、それでも疲れたろ? レイルのことはこっちで面倒見とくから、心配すんな」


「ありがとうございます。それじゃ、今日のところは帰ります」


「ああ、気ぃつけな。ちゃんと住処に帰るまでが仕事なんだからよ」


 ライザさんはににこやかに手を振り、俺を送り出す。俺も手を軽く振り返してから、俺は宿へと歩き出す。

 さすがに、今日は疲れた……。


 彼と別れてから、更に足が重くなった。完全に気が緩み切ってしまったのだろう。地面が泥のように足を吸い込む錯覚すら覚えた。

 そういえば、プリムは換金しに行ったんだっけ。まあ、宿に戻ってれば合流できるだろう。とにかく今は、体を休めないといけない。そして、体の状態――イグリムに受けた呪いについても、誰かに見てもらわないと。


 痛みこそないが、体全体が倦怠感に襲われている。初めて魔法を使い、興奮して魔力を消費しすぎたときに感じたものと似た感覚。


(ヤバい、ほんとに意識が……)


 体が宙に浮いたような感覚がした後、視界がぐるりと回転しそうになって――


「アルフレイ君?」


「――ぁ?」


 俺は何者かに柔らかく受け止められて、転倒を回避した。俺を呼びかける声は、ひどく懐かしい響きがする。その呼びかけに答えようとしたが、俺の口は掠れたような声しか出せない。そして、そのまま俺の視界は暗転する。


「本当に見つかるなんて……この様子だと本当に……でも、助かった。彼を陥――」


 ギリギリで働いている聴覚に、衝撃と喜びの入り混じった声が届く。やがて、その声を聞き取ることすらできなくなって、俺の意識は完全に消失した。





「本―に、―部――で――こんじゃ――」


 耳元で懐かしい声が聞こえる。次に感じたのは自分の頭を撫でる感触。ずっとこの心地よい感触に身を任せてしまいたくなる。


 しかし、そんなまどろみも長くは続かず、視界が徐々に明るくなる。意識がすっと鮮明になり、俺は穏やかな覚醒を迎えた。


「起きましたか?」


「……あぁ」


 わずかに痛む頭に顔をしかめながら、俺は半身を起こした。声のするほうへゆっくりと顔を向けると、そこにはありえない光景があった。


「――ミル?」


「はい、お久しぶりですね……本当に」


 ローレイン王国第三王女にして、元『仲良し会』ヒーラーであるミル・ローレイン。この場にいるはずのない彼女は、妖艶に微笑んでいた。


「体は痛みますか?」


「いや、特には」


「よかった。私のできる範囲でですが、治癒魔法を施しておきました」


「……ありがとう」


 多分、聞くべきことは他にいくつもあった。俺はどのくらい寝ていたのかだとか、ここはどこなんだとか。しかし、そんなことは忘れてしまうほど、彼女がここにいることは俺にとって衝撃的なことであった。


「どうして、ここに?」


 だから俺は、反射的にそんなことを尋ねていた。


「私は、アルフレイ君の捜索部隊として、あなたを探していたんです」


 違う、そんな答えが聞きたかったわけじゃない。俺が知りたいのは、経緯なんかじゃなくて、動機だ。

 彼女たちとは、確かに最悪の別れ方をした。『仲良し会』リーダーであるローラの死を巡って、俺たちは何回目かわからない、誰も救われない大喧嘩をして――そして、それが最後の喧嘩になったはずだった。


「……なんで?」


「アルフレイ君がどう思っているかはわかりませんが……私は、あなたのことを――『仲良し会』のみんなのことを、仲間だと思っているからです。また、一緒にいたいからです。あの時みたいに」


 それは、確かに俺の求めた答えであった。しかし、俺の頭はそれを否定する。

 ミルは空のように青い瞳で、真っすぐ俺を射抜いている。――あのときと、同じだ。


 俺は一人で気まずくなって視線を右へ逸らし、言葉を続けた。


「その、言葉が、本当かどうかはわからないが……俺は、いや、俺だけはお前らの仲間にはなれない。今回助けてもらったことは感謝する。ありがとう。王国にもじきに帰還すると伝えてくれ。だけど、今は――」


「ここからは逃がしませんよ?」


 ミルの瞳には強い力が込められている。穴が開くほど俺の顔を見つめ続ける彼女の言葉に、一切の冗談ぽさを感じ取れない。本気で、俺をここに留めようとしている。


「悪いが、俺は――」


「アルフレイ君が何を言っても、私は逃がしません。どんな手を使っても、あなたにはしばらくここにいてもらいます」


「いや、だから――」


 ミルはベッドから立ち上がろうとした俺の両腕を掴み、そのまま押し倒してくる。


「精神支配を受けているんですよね。わかっています。私が力不足なせいで、目覚めた今も支配から逃れられていない……だから、今の状態のあなたには理解してもらえなくてもいい」


 ミルは更に手に力を加え、明確な痛みが俺を襲う。脱出しようと試みるが、魔力が上手く操作できない。これは、一発やられたな。


「う……もうこんなに力が戻っているなんて、さすがですね」


「おい、俺、は精神支配なんか誰にもされていない」


「上手い術者に支配されている人は、みんな口を揃えてそういうんです。ああ、本当に許せないわ。でもアルフレイ君は大丈夫です。私が例の女魔族のそれよりもっと強力な精神支配で上書きしてあげますから」


 差し迫った身の危険を感じ、俺はあえて脱力した。


「く、そ、力が」


 そして俺は、ミルを油断させるために演技を始める。


「あら、もしかして魔力で無理矢理動かしていたんですか? なんて無茶なことを……本当に、最低な魔族です」


 ミルは俺の演技に騙され、自ら俺にとって都合の良い理由付けまで行ってくれる。


「い、たい……」


「あ、ごめんなさい。そんなつもりはなかったんです」


 ミルの腕から力が抜けた瞬間、俺は彼女の拘束を抜け出して跳ぶ。


「精神支配されていても、こんな器用なことができるなんて……これは本気で捕まえないと」


「俺は支配なんかされてないって! クソ、なんでこんなことに」


 宿の窓を飛び出した俺のすぐ後ろをミルは追いかけてくる。以前の彼女ならば、すぐに距離を離されていたはずだ。彼女も、あの事件から大きく成長したということの証左だった。


 周りは既に暗くなっており、状況が把握しづらい。建物の数を鑑みて、王都であることには間違いないが……。今は、彼女から逃げ切る必要がある。


超加速フルアクセル


「待――」


 ミルの声を置き去りにするほど、俺は素早く夜の道を駆けた。あの事件から大きく成長したのはミルだけではない。ぐんぐん距離を離して、すぐに彼女の姿は見えなくなる。


「巻いたか。とりあえず、プリムのところへ行かないと……」


 さすがに、丸一日寝ていたなんてことはないだろう。もしそうなら、ミルは捜索部隊の誰かしらと合流していたはずだ。つまり、そんなに時間は経ってない、はずだ。とにかく、宿へ戻らないと――


 なるべく気配を隠しつつも俺は夜の街を駆け、元いた宿を探す。捜索部隊は既に到着していた――もう、時間は残っていない。

 プリムへなんと説明するか考えながら、俺は東奔西走するのだった。

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