第13話 迷宮のイレギュラー
「次どっちですか?」
俺は呑気な調子で脇に抱えた職員さんへ問いかける。
「右右右右ィイヤァァァ!!!」
方向指示は悲鳴へと変わり、喉が破れそうなほどの大声が障壁の中を駆け巡る。その指示をしっかり聞きとっていた俺は、少し速度を落として右へと曲がる。
「レイルちゃん、怖くないよ。お兄さん慣れてるから」
「だって、だってぇぇぇ」
高速での移動が苦手なのか、職員さんは震える声を漏らした。彼女の話では30層まではある程度道が整備されているらしく、俺の提案で今日はそこで狩りをすることになった。しばらく、彼女の悲鳴で騒がしくなりそうだ。
「もう少し、スピードを落としませんか? ほんとに、危ないです、ほんとに……」
職員さんは半泣きで俺に懇願してくる。そう言われても、本当に危なくないんだけどな。仮に壁にぶつかったとしても……
「待って、ぶつかる、ほんとにぶつかぁぁぁアアアア!!」
心の中に住むやんちゃ少年バーンロードが不意に出てきてしまい、俺は左側の壁に接近する。必死でそれを俺に知らせようとする職員さんの悲鳴も空しく、その勢いを落とさないまま壁へ激突――彼女はその未来を確信し、ぎゅっと目が潰れそうなほど力を入れて瞑り――来るはずの衝撃がいつまで経っても来ないことを不思議に思い、ゆっくりと目を開ける。
「ね、大丈夫でしょ?」
プリムは全てを察していたのか、乗り物を楽しむようにニコニコしながら職員さんを見ている。
「ぶつかって……ない? いや、ぶつかってるはず……」
「言ったでしょ? 俺、飛行魔法は得意なんですって。もちろん、飛行に必要な魔法もね」
俺は職員さんを見て、思い切り唇をつり上げた。
まるで鏡の向こう側で起こっている出来事のように、ダンジョンの壁は音も発せず俺の展開している障壁にその身を削られ、障壁と壁との間には削れカスがみるみるうちに溜まっていく。その重さに負担を感じ始めて、ようやく俺は壁から離れた。
「俺の障壁は、音も通さない……!」
俺は満面の笑みを浮かべて、粋っぽい台詞を吐く。
「クソ、ほんとにクソだわ、あなた……悪魔みたいな男よ……」
職員さんは涙目でキッと俺を睨みつけた。
「いや、その、ほんとすみません。でも、安全だってことはわかってもらえましたよね?」
「まあ、それはそうだけど……先に、教えてくれればよかったのに」
いつもの丁寧な言葉遣いが崩れた職員さんの口調は、どこか子供っぽさを感じさせた。壁に激突し、障壁の信頼性を示した効果はあったようで、そこからは職員さんが泣き叫ぶことはなく、目標の30層まで辿り着くことができた。唯一ヒヤリとしたのは、9層の曲がり角でばったり冒険者と出くわしたときぐらいだ。尤も、その可能性は考慮して周囲に探索魔法は施していたのだが、相手の冒険者もなかなかの速度で走っていたため、気づくのが遅れてぶつかりそうになったのである。
なんにせよ、俺たちは無事に30層まで到達することができた。30層からは遠征層と呼ばれ、主に合同パーティーが遠征で探索する場所になる。当然それに付随して、厳しい環境になってくるということだ。
30層からは遠征用の領域だなんて言われているのに、最高で72層までたどり着いた人がいるというのは、人間の可能性を感じられる話だ。
それはさておき、俺たちも30層での行動を開始する。この階層には基本的に光源がないため、職員さんが
俺とプリムは彼女の後ろについていき、狩り場まで連れて行ってもらう。魔獣が多すぎず少なすぎず、戦いやすい場所とのことだ。道中魔物に何度か遭遇するも、そのすべてをプリムが軽く焼き払う。少し張り切りすぎではないかと注意したが、
「大丈夫、全然余裕!」
豊かな胸を張りながら正当性を主張する彼女に、俺は反論する気力もなく彼女を信じることにして首肯した。というのも、先ほど二人を抱えて飛んできたせいか、体が妙に重い気がするのだ。気のせいだと良いのだが、もしかするとこれが、イグリムの呪いによるものなのだろうか?
イグリムの呪いの詳細はまだ判明していない。わからないからこそ、どんな恐ろしいものなのかと嫌な想像を掻き立てる。脳の活力を無為に消費し、頭の片隅に常に不安をよぎらせ続ける。そういう意味では、精神を汚染する類の呪いだと言えるだろう。
「お兄さん、大丈夫?」
頭を抱えた俺を見て、プリムは心配そうに見上げてくる。
「ああ、大丈夫だ」
「二人とも無理はやめてくださいね。ほんと、死ぬときは一瞬なんですから」
職員さんは足を止め、俺とプリムの体調を心配しているようだった。彼女の
「大丈夫です! 帰りも二人を送り届けないといけないので、温存していただけです!」
俺が元気よく飛んで見せると、職員さんは呆れた顔をして、
「ちゃんと温存しておいてください」
「すみません」
そして、俺たちは目的地へと到着する。
「結構広いですね。それに……」
俺は光を発している鉱石に目を向ける。先ほどまでとは打って変わって、一帯は点在する鉱石によって明るく光り輝いている。もちろん陽光には遠く及ばないが、暗さに慣れてきた目なら十分よく見える。
「ええ、こちらの壁際に寄っておけば、後ろから奇襲されることもないです。何より、見晴らしもよい」
「じゃあ、やっちゃおうか!」
プリムが伸びをしながら、点在する魔獣たちを見据える。一目ではあるが、あの山の魔獣よりは全体的に弱いはずだ。魔獣は人と違い、その強さが角の大きさや体の大きさなど見た目と比例するため、判断しやすい。
とにかく、この程度の魔獣なら特に苦戦することもないだろう。プリムの体力が怪しくなってきたときに撤退すれば安全だ。あとは――
「よし! まずは一匹!」
プリムが焼いた魔物は空気に溶け込むように霧散し、一つの石ころへと変わる。プリムはそれを拾って、俺の元へ渡しに来た。
――この大きさなら、短時間でも十分稼ぎきれる。
そして彼女は嬉々として持ち場へと戻り、あちこちで魔物を文字通り消滅させる。
手伝いたい気持ちは山々であったが、じっと堪えて俺は彼女の活躍を壁際で見ていた。俺の強さが知れれば、プリムに違和感を与えることに繋がる。生活を共にする中で、聡い彼女は情報のピースを嫌でも集めてしまい、いつか俺の正体に必ずたどり着く。ならば俺の準備ができるまでの間だけ、彼女には俺が勇者であることを隠し通したい。すべて俺の都合で申し訳ないとは思うが。
「職員さんは戦わないんですか?」
「私はヒーラーなので……この様子だと、その出番はなさそうですけど」
持て余した俺は同じく隣で手持ち無沙汰な職員さんへと声をかける。軽鎧を身にまとっているので、軽い武器を使う戦士かとも思っていたが、意外にも彼女はヒーラーであった。
「全然気づかなかったです。鎧着けてるので、戦闘職かと思ってました」
「戦闘職やってたときもあったので、間違いではないですね。でも、あんまり私には向いてなかったので……」
知らない間に地雷を踏んでしまったみたいだ。とりあえず、励ましの言葉を贈っておくことにする。
「よくわからないですけど、今Bランク冒険者としてやっていけてるんですから、すごいと思いますよ! 俺なんてEランクですし」
「昔は……Aランクだったんです」
「あ……」
そして俺は、沈黙は金という言葉の意味を理解した。
俺たちは揃って口を閉じ、プリムの戦う姿を傍観する。しばらく時間が過ぎているが、相変わらず彼女には全く疲れが見えない。彼女が自身では覚えてすらいない俺との一戦で、本当に強く成長した。
彼女はまた一匹を倒し、今までと同じように壁を伝い俺たちの元へ魔石を運ぼうと駆けてくる。
――ドン、と爆発するような音がした。崩落する壁から出てきたのは、大型の猿のような姿をした魔獣。そして、巨体に見合わない素早さでプリムの元へ動き出す。その動きにプリムはただ目を見開いただけで反応できない。
よろめくプリム。驚愕するレイル。そして、見抜かれてはいけない力。判断は、一瞬――
「おらァッ!」
咄嗟の判断で、転移石を取り出し、プリムの元へ全力で投げる。石に当たった彼女は一瞬の光に包まれて消失し、猿の魔獣はその爪で虚空を切り裂いた。
――当たっていたら、確実に致命傷だった。
「な、に、あれは……なん、で」
「すみません。今は気を遣う余裕がない」
動揺を隠しきれず、正気を失っている彼女を強引に抱え、俺は飛び出した。猿の魔獣はかなりの速さを有しており、中々距離を離せない。このダンジョンの地形に慣れているのだろう。障害物を減速しつつ、くねくね迂回しながら進む俺と、庭で遊ぶかのように障害物を伝って迫る魔獣。
このままではどこかで追いつかれる。障壁を強固にしてから、俺は曲がりくねった道を、強引に真っすぐ進んだ。徐々に距離は離れていくが、魔獣も必死に食らいついてきている。簡単には逃がしてくれなさそうだ。
そして今、体に確かな違和感がある。今の状態で、飛行魔法以外の力を隠して戦うのは無理だ。垂直に飛び、階層を真上に駆け抜けることも考えたが、床の材質も厚みもわからないなら、強引に削れるかどうかは怪しい。上手くいかなかったときのリスクが大きすぎる。
「職員さん!」
未だ混乱状態にいる彼女に、俺は強く呼びかける。
「……」
反応はない。だが声が届けばそれでいい。冒険者である彼女を信じる。
「とっておきを使います! 目を瞑っていてください!」
職員さんを抱えていない左手を後ろへ構え、俺は集中する。
魔法で大事なのは想像力だ。故に、複数の魔法を同時に扱うのは非常に難しい。だが俺は、聖剣すら使わないほど生粋の魔法使いだ。俺なら、できる。
「『五光』」
詠唱を必要としない代わりに、高度な想像力と熟達した魔力操作技術を必要とする無詠唱魔術。五つの指からそれぞれ放たれた白い光は、辺りを一瞬にして純白に染め上げる。そして、真っすぐ猿の魔獣へと迫り――断末魔が聞こえることすらなく、まるで初めから何も存在しなかったかのように、辺りを静寂が支配した。
『魔力砲』ほどの圧倒的な破壊力は持たないが、比較的少ない魔力で針のように相手へと突き刺さり、悲鳴すら上げる間もなく相手を消し炭にする『五光』。放たれたそれは、ダンジョンに生息する魔獣が遺す魔石すら蒸発させた。
「く……」
いつもは感じないはずの、強い虚脱感が俺を襲い、俺は飛行を中断する。こんなことになるなら、すべての転移石に座標を設定しておくんだった。
あらかじめ座標をこのダンジョンの出入り口に設定しておいたのは、プリムに投げつけた一つと、プリムに持たせていた一つ。そして、俺が今持っている三つのうち、の一つ。転移石一つにつき一人しか転移できないため、使うことはできない。
「そうだ、職員さんは」
右手に抱える彼女は、全身から力が抜けてだらんと重力に身を任せており、気を失っていた。
「生きてるよな? さすがに」
俺は虚空に問いかけてから彼女を両腕で抱えなおし、再び飛行を開始する。来る時よりももっと速く、もっと力強く。案内役を失った俺は、時々道を間違え、強引に壁を破壊しながらも入り口を目指す。
そんな俺の頭のすべてを支配していたのは、転移して先に地上に戻ったはずのプリム。
――早く、合流しなければ
ゆっくり戻っても何もないはずだ。プリムが問題を起こすなんて考えられない。そのはずなのに。湧き出る焦燥感が、俺を突き動かしていた。
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