第12話 噂
「う……ん」
しなびたカーテンの隙間から差し込む、目障りな陽光が強引に俺を覚醒させた。わずかな気怠さを感じ、目を擦りながら、頭から布団を被りなおして俺は二度寝しようとする。
「お兄さん、今日はダンジョン行くんでしょ?」
再び眠りに落ちようとしたところを、部屋に戻ってきたプリムが引き留めた。彼女は俺の布団を引き剝がし、手をとって体を持ち上げるようにして俺を立ち上がらせた。
「悪い。ちょっと体がだるくてな」
「え、大丈夫? 今日は休む? それなら、私からレイルちゃんには言っておくけど」
プリムは心配して俺の顔を下から覗き込むように見つめた。彼女の距離の近さに気づいて気恥ずかしさを覚えてしまい、俺は目線を上へと逸らしてから、
「いや、そこまでじゃない。予定通りでいいよ。それに、プリムが守ってくれるんだろ?」
「それはもちろん! 二人まとめて私に任せといて!」
調子よく冗談を言ったつもりが、妙に気迫のこもったプリムの瞳を見て、なんだか自分が情けなく感じた。彼女の認識では、俺は飛行魔法がとっても得意な、ただの人間といったところだ。前回の作戦中は念のため腰に装備していた聖剣も、ついには亜空間にしまわれ、非戦闘員らしさに拍車をかけている。
未だにプリムに俺が勇者であることは説明できていない。彼女の体も十分に回復しているが、再びあの姿で街中を暴れられたらと思うと……。いや、実際はそんなことは問題じゃない。俺なら安全に取り押さえられる。場所だって、少し森の方まで移動すればいいだけの話だ。
今は俺が――そう、俺の意思で話したくないと、彼女に対して後ろめたいと思っているだけ。今の彼女との関係を失いたくなくて、話したくないだけだ。まるで昔に戻ったかのような生活に、俺は大いに満足していて、かけがえがなくて、もう二度と同じ思いはしたくなくて……。その思いに比例するように、病院でプリムの姿を見るたびに、俺の口は鉛のように重くなっていった。
「じゃ、そろそろ行くか」
「うん!」
顔を洗った後寝ぐせだけ直して、水を一杯飲んでから、俺はプリムに呼びかけた。彼女は既に準備ができていたようで、陽光を受けて輝く紅の長い髪をゴムでまとめてから、こちらへ歩いてくる。その姿はかつての仲間を彷彿とさせるものだった。
「……お兄さん?」
「あ、悪い」
無為な感傷に浸る気持ちを追い出してから、俺は扉を開く。宿の受付で宿泊料を支払い、部屋の鍵を返却してから、俺とプリムは街へと繰り出した。
「腹減ってないか? 時間はあるし、ギルドに行く前に飯でも――」
「行こう!」
朝食をまだ食べていなかったことに気づき、二人でどこかの店へ寄ることにする。宿で食べてもよかったが、単純に忘れていた。
「そうだ! レイルちゃんも誘おうよ!」
「いいけど、職員さんがどこにいるかなんて、知らないぞ?」
「それは大丈夫! レイルちゃん暇なときは、図書館にいるらしいから!」
王立図書館。この辺りでも一際目を引くほど、大きな建物だ。入ったことこそなかったが、その中がどのようになっているのかは少し気になっていた。
「ほら、こっちこっち!」
「あ、ちょ」
プリムは俺の手を取って先導した。俺は彼女に手を引かれるまま、歩くこと数分。到着した図書館の中へ入ると、その巨大さがより鮮明に分かった。三階建てで、本棚が所狭しとびっしり配置されている。
「かなり広いな」
「だねー。私もちょっとびっくり」
その後は二人で職員さんをしばらく探し、なんとか見つけることに成功。彼女は本を脇に置き、一人机に突っ伏していた。その姿で俺は彼女だとわからなかったが、敏いプリムは一瞬で見抜いて近づき、静かに声をかけた。
「え!?」
顔が驚きに染まり、職員さんは大声を出してしまう。周りの視線を一心に浴び、顔を赤くして俯いた彼女は小声で言った。
「ちょっと、なんでここにいるんですか?」
「その、ご飯を一緒に食べようかと」
「そうそう。レイルちゃんと一緒に食べたいなと思って」
「わかりました……」
俺とプリムの提案に乗った彼女とともに、次は食事できる店を探す。妙に手際が悪い俺たちに、職員さんはじとっと呆れるような目を向けてきた。
「あの、どこのお店に行くつもりですか?」
「それは……宿屋で毎日食べてたもんで」
「私は病院で食べてたから……ごめんね」
「なんなんですか……」
俺とプリムがいかに思い付きで行動していたかを職員さんに思い知らせた後、彼女の提案でギルドに併設されている食堂へ行くことになった。
「ここのごはん、おいしい!」
「でしょ? 私もよくここで食べてるの」
会話に花を咲かせる二人を横目で見ながら、早々に食べ終え、目の前に皿の山を創造した俺は、食事への確かな満足感を得て放心していた。
「そういえばアルさん、あの噂、ご存じですか?」
不意に、職員さんが俺に話しかけた。
ここに来てから、プリムや職員さん、それから単発バイト先のライザさん以外とはまともに会話していなかったので、俺は当然わかるはずもなく首を振った。
「もう、こういう情報を得ておくのも大事なんですよ? これからも、プリムちゃんと冒険していくつもりなんだったら、そういう面では引っ張っていかないと、ですよ! プリムちゃん、つよつよなんだから、引き抜かれちゃいますよ!」
「あ、あぁ……」
彼女の迫力に押され、プリムとの関係について肯定も否定もできなかった。俺は、いつまでこの場所でゆるりとした生活を送ってよいのだろうか? 予定通り入院費用を稼ぎきるまでか、それともそれ以外のきっかけを待つのか。再び考えこもうとした俺をすんでのところで現実へと引き戻し、職員さんは噂の全容を語った。いつもなら適当に聞き流しつつ、返事をしてしまうところだ。だが、今回は事情が違った。
「――実は、ローレイン王国の勇者が、失踪したそうなんです」
「え?」
間抜けな声で聞き返す俺。
「知らないんですか? あの、人類最強だって謳われている勇者ですよ。名前は――アルフレイ・バーンロード」
自分の名前が呼ばれ、体を微かにびくりと反応させてしまうが、幸い二人には気づかれなかったようだ。
職員さんは俺の名前をアルとしか知らないし、プリムも同じだ。だから、大丈夫。俺は自分に言い聞かせるように胸に手を当てた。
「それで、詳しく教えてもらえるか?」
平静を装って俺は仔細を尋ねる。聞いたときは心臓が抜かれたかと思うほど驚いたが、これぐらいは容易に想像できたことだ。むしろ、ここでその噂を聞けるのはチャンスだ。ここからの立ち回りも組み立てやすくなるはず。
「お、なんだか乗り気ですね……プリムちゃんを引き抜かれるって言葉を聞いて危機感持ったんですか?」
職員さんの軽口を無視して、俺は彼女の口が開かれるのを待った。そして、その続きが語られようと彼女の口が開いて――
「私も、知りたい」
「プリムちゃん?」
プリムの感情の読めない淀んだ瞳が、職員さんを見ていた。
「その勇者、私が殺さないといけないの」
先ほどの様子が嘘であるかのように、いつも通りになったプリムは、職員さんの手を握って続きをねだった。
一連の流れを見て確信を得た。やはり、プリムに今話すのは無理だ。
「な、なにがあったのかは知らないけど……話しても、大丈夫よね? 色んな話があるんですけど、有力なのは――勇者は魔族に操られているってのと、人類に嫌気が差して裏切ったってやつです。どちらにせよ、彼は現在魔族と行動を共にしているそうです。既にローレイン王国からは捜索部隊が編成されていて、周辺国から調査しているらしいです」
一瞬の逡巡の後、職員さんは知っていることを話した。――既に、捜索が始まっている。
つまり、俺がいなくなったことがローレイン王国へ報告されたということだ。俺はウェルドさんを始めとした部隊が、自分の想定通り王国に帰還できていたことを嬉しく思うと同時に、心の中には焦燥感があった。
その焦燥を隅へ追いやってから、俺は噂の鮮度を考える。魔族によって指揮系統が狂わされ、危険な山の中を通っていた魔導車。あの後山道を引き返し、来た時と同じように山を迂回して進んだのだろう。それが、最も安全だ。夜通し走ったとしても、時間はかなりかかるはず。故に、噂はかなり新しいものだ。早くても、直近でラプラス王国へ入ったばかりではないだろうか。
少なくとも、今日明日で俺が見つかることはまずありえない。しかし、時間がないことに変わりはない。それまでに入院費用は稼いで支払い、プリムをあの村へ送り届けてから、俺は王国へ帰還する。捜索部隊に見つかれば、俺が勇者であることがプリムに暴露されるだけでなく、彼女の討伐を要求されるかもしれない。
王国での立場と、プリムという女の子。どちらかなんて、選べるわけがない。
実力には絶対の自信がある俺だが、精神面は年齢並みで半端者もいいところだ。勇者だからといって、なんでも完璧で、人々の理想で、敬われるほどの人物なわけではないのだ。
「よし、そろそろ行こう」
二人が食事を終えた瞬間、俺は声をかける。二人はもう少しゆっくりしようとしていたが、もうそんな時間はない。目に見えない時間切れが迫ってきているのだ。
不思議そうに俺を見つめる二人を尻目に、俺は早々に店を後にしてギルドへ向かった。すぐ後ろをついてくる二人と共に、ギルドへダンジョンへ潜る旨を伝え、息をつく間もなくダンジョンへ向かった。
「お兄さん、なんか慌ててる?」
「あぁ、実はさっきの食事が思ったより高くてな。いっぱい稼がないとと思っていたところなんだ」
「なぁんだ、そういうことだったんだ。確かに、お兄さんいっぱい食べてたもんね。それなら私、頑張っちゃうよ」
プリムは細い腕に力こぶを作ってみせた。この腕からあれほどの力を放出していたのかと思うと、ぞっとする。本当にこの世界は、見た目と強さが一致しない。
「アルさん、結構大食いですよね。私の胃袋が水たまりなら、アルさんは湖ぐらいあるんですかね? アルさんがいっぱい食べたのに、私、三分の一も出さないとダメだったんですかね?」
全員の食事代をきっちり三等分したために、自分が食べた量より料金を多く支払うこととなった職員さんは、恨めしそうに俺のことを見ていた。
「まぁまぁレイルちゃん。今日ダンジョンで取り返すから、任せて!」
「プリムちゃんがそう言うなら……」
「そういうことだ」
非戦闘員である俺がプリムに便乗して胸を張っていると、職員さんは可哀想なものを見つめる目で俺を見てきた。怒りを通り越したのだろう。
「じゃあ思い切って、72層まで行っちゃおうか!」
自分の実力に大いなる自信があるらしいプリムは、楽しそうに石を手に持って宣言する。――転移石。あらかじめ転移先を設定しておくことで、その場所へ一瞬にして移動できる
「それ、もしかして転移石?」
「そう! 昨日お兄さんにもらったんだ~」
職員さんは信じられないものを見る目で俺を見てくる。
「俺は、変なおじいさんにもらった……」
俺は国王の姿を思い浮かべながら言った。
「それ売ったら、入院費用なんて余裕で払えると思うけど?」
「え……」
そんなに高価なものだとは知らなかった。確かに、これを売ってしまうのが最も早い。
「……」
無言でポケットに転移石をしまったプリムは、何事もなかったようにこちらを見上げた。
「さ、行こっか」
「いや、それ一個売ったらすぐ……」
「そんな貴重なもの売れない! 使いたくもない! 私、お兄さんにお礼したいのに、もらってばっかりで……」
落ち込むプリムを見て、俺は方針を再度立て直す。
プリムの沈んだ顔を見るぐらいなら、正攻法で稼いだほうがいい。それに、もちろん転移石を売るのが最も早いが、ダンジョンで稼いでも十分な早さではあるはずだ。
「よし、ダンジョン行くか!」
「うん!」
一転して満開の花のような笑みを見せるプリムに少し心を奪われつつ、俺は続けた。
「ただ、それ使わないなら72層はさすがに無理だな……20層ぐらいなら大丈夫ですか?」
俺は職員さんに尋ねる。
「道も比較的整理されてますし、プリムちゃんがいるので安全面は大丈夫だと思います。ただ、距離は長いので……」
「それなら俺に任せてください」
訝しむ職員さんをよそに、俺は二人を両脇に抱えこむ。
「え、え? ちょっと、どうするつもりですか!?」
「さぁ、飛ばすぞ!」
「おー!」
慌てる職員さんと、楽しそうにはしゃぐプリム。二人を今一度しっかり抱え直してから、俺は障壁を張りつつ、なるべく速く低空飛行する。どうやら今日は、深いところまで潜ることになりそうだ。
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