第11話 追う者と追われる者
勇者が失踪した次の日のこと。
「クソが、ふざけてんのか?」
沈みかけた日により赤く染まった山。背の低い木とその背丈が並ぶほどの大男が、魔族の村人の胸ぐらを鷲掴みにして𠮟りつけている。
「まあまあ、そんな八つ当たりしたって解決せぇへんよ?」
「あぁ? そもそもお前が先に合流しようなんて言うから間に合わなかったんだろうが」
大男は女へと八つ当たりするが、彼女はそれを軽く受け流した。
「そんな怒らんといてや。アンタ一人で幹部五人も倒した勇者相手に何ができるん? ウチらの中では一番厄介なイグリムちゃんも倒したんやで?」
「はぁ? 勇者だって弱ってんだからなんとかな――」
「もう、その辺にしとき」
女が凄みを持たせて言うと、大男――至高の九人の一角を担うライドも、頭に上っていた血が引いたのか、村人を掴んでいた手を離して大人しくなった。
「悪かったよマーメイ」
「そんな肩落とさんでもええよ。謝るんやったらそっちの子にしたり」
「悪かった」
「い、いえ……」
まさか謝られるとは思っていなかった村人は、たじろぎながらその謝罪に答えた。
「それに、悔しい気持ちはウチもおんなじなんやから。落ち着いて勇者の首取りに行こうや」
女――マーメイの瞳は静かに怒りの炎を宿している。
「そうだ! 勇者の行った先は……」
「そちらの村人さん。勇者がどこ行ったかってわかる?」
村人はマーメイに見つめられて顔を真っ赤にする。万人を魅入るような瞳が脳を焼き切り、耐えきれなくなって彼はその場に失神してしまった。
「あらま、やってしもた。仮面忘れてたわ」
マーメイはわざとらしく頭を抱え、虚空から取り出した狐を模した面を顔に被せた。
「マーメイ、年食ってからよく仮面つけ忘れるようになったよな。もしかして若さに自信が持てなくなったから、自分の魅力を試すような真似を――」
「やめてくれる?」
「年齢って、首元に出るらし――」
「やめてな」
マーメイが濃密な魔力を纏ったところで、ライドの軽口は終焉を迎えた。彼は軽く咳払いしてから、未だ失神したままの村人を雑に起こす。
「悪いな、マーメイが悪さして。ところで、勇者がどこに行ったかなんだが……わかるか?」
ライドの声を聞いて徐々に現実へ引き戻された村人は、おずおずと自信なさげに答えた。
「わ、我々の領土と正反対の方向であることは間違いないのですが、詳しいところまではわかりません……そもそも、まっすぐ飛んだかどうかもわからないので」
「うーん、やっぱり簡単には追っかけられへんかな」
マーメイが腕を組んで、何か良い方法はないかと唸る。
「まぁ、総当たりするしかないよな」
ライドがそう結論付けた。最も遠回りな方法ではあるが、現状これ以外に方法はなかった。
「せやね。まぁ、そもそもの話、多分ローレイン王国に帰っとるし、そしたらもうどうしようもないんやけどね」
「いや、それは絶対ない。俺らとやりあってて魔族への印象が最悪な場所へわざわざ持ってく訳ないからな」
「なんで? イグリムちゃんの妹にほんの少し思い入れがあるからって、わざわざ気ぃ使うて魔族と軋轢の少ない国行くなんてことするかな?」
マーメイは心底納得できないといった様子で聞き返した。
「まぁほとんど直感みたいなものってのが正直なとこだけどな。でも、あの勇者って、人にしてはあり得ないぐらい容赦なく魔族のこと殺すらしいから。そんなやつがわざわざ保護しようとしたんだから、俺らが想像してるより深い繋がりがあるだろ」
「そういうもんかなぁ。ウチ人間じゃないし、わからへんわ」
ライドの言い分に釈然としないマーメイは、再び腕を組んで唸り出した。
「まぁなんにしても、初めにローレイン王国は行くわ。勇者が帰ってきてても帰ってきてなくても、お祭り騒ぎになってるやろうしな」
「あぁ。そんで見つからなければ、本格的に勇者探しの始まりだ。勇者がプリムのことを考えて飛び去ったんだとしたら――距離も考えて、ラプラス王国か?」
ラプラス王国はその国境を低い山に取り囲まれ、魔族と衝突することがほとんどない。そのうえ、この山からの距離で考えても他の似た国と比べて圧倒的に近い。勇者は一晩で暴れに暴れた上、飛行魔法で移動したという話であったから、その消耗具合を考えるとラプラス王国が最も妥当であろうという考えだった。
「ローレインにおらんのやったらそこやろうね。もしラプラスにもおらんで他も探すってなったら、骨折れるわぁ」
頬に手を当てて参ったとばかりに、ため息を吐くマーメイ。
「普段なんもしてないんだから、こういう時ぐらいしっかり働いてくれよ」
「耳が痛いこと言うてくれるやない。まぁ、程々にやらしてもらうわ」
二人は振り返り、今一度勇者の生み出したクレーターを目に焼き付けてから、村人と共に村まで戻る。そして行動の予定だけ報告してから、部下も引き連れずに走り出す。
「消耗してるんやったら、ほんまに時間との勝負やなぁ」
「あぁ。絶対俺らの手で潰す」
「あんまり時間かかるようやったらあと二人も待とうな。万全の勇者ってなったらウチらだけでは絶対無理やで、この勝負」
「そうだな。イグリムが必殺級の呪いを一つでも当ててたら話は変わってくるんだろうが……」
希望的観測は避けるべきだろう。たった一晩で自分たちと同じ至高の九人のうち五人を葬った男なのだ。それを考えれば、単純な身体能力では他に劣るイグリムに、呪いを準備する時間があったとも思えないし、傷の一つでもつけられていたら十分だと考えるべきだ。
普段は向かうところ敵なしで自信に満ち溢れているライドにとっても、考えれば考えるほど勇者は存在そのものが信じられないものであった。勢いでここまで来てしまったが、もし勇者が信じられないほどの回復力を有していたら。そう考えると、身震いしてしまう。
「……せめて、勇者一行の部隊に追いつけねぇかな。それだけでも潰しておけば、あいつらへの贐になるのに」
「あら、勇者の首取る気は無くしたん? 珍しく弱気やないの。まぁ、実際戦ってるところは誰も見てないんやし、話半分よ。いつも通りやればいい。それに、部隊は昨日の夜更けから夜通し車走らせてたみたいやし、追いつくのは無理とちゃう?」
「……そうだな。とにかく、弱っているうちに勇者を見つけ出して始末する。いつも通り、やるだけだ」
二人は更に速度を上げ、山を駆け抜ける。少しでも回復が間に合っていないうちに、勇者を倒すために。
「職員さん、ほんとにありがとうございます」
「別に、気にしないでください。贖罪です」
俺と職員さん、それにプリムの三人で、B級以上しか入れないというダンジョンを目指す。職員さんはしつこく食い下がる俺を見て、渋々臨時パーティーを組んでくれたのだった。それにしても、気まずい……。プリムは俺に引っ付いてるだけだし、職員さんは俺が話を振れば答えてくれるが、そこから盛り上がることがない。公私はしっかり分ける人なのだろう。
「職員さんは趣味で冒険者やってるんですか?」
沈黙に耐え切れず俺は話を切り出した。もう夜だから一緒にいる時間も短時間だと思うが、今日一日で全額稼げるとは思えない。足りないとなれば、また彼女の存在が必要になる。
彼女とは、仲良くなっておく必要があった。
「まぁ、そんな感じです」
「パーティーとか組まないんですか?」
「あぁ、えっと、それは……」
職員さんが口ごもり、徐々に顔色が悪くなっていくのを見て、俺は地雷を踏んだことに気づいた。
「すみません。別に困らせようとしたわけじゃないです」
「お気遣い、ありがとうございます。でも、そんな大したことじゃありませんよ」
「お兄さん、レイルちゃんとばっかり話しすぎ」
気まずくなりそうなところで、プリムが話に割って入ってきた。彼女は職員さん――レイルと入院生活でよく話していたらしく、随分仲良くなったようだった。二人が会話に花を咲かせ始めると、いつも通り俺は置いていかれ――
「ね、お兄さんはどう思う?」
「え? あぁ、悪い。聞いてなかった」
突然話の輪に引き戻され、内容を聞いていなかった俺は言葉に詰まってしまう。
「もう、ちゃんと聞いててよね。もっかい言うよ? 私――」
それからは、自分でも想像できないぐらい自然な談笑が始まった。
久方ぶりに、友人と話した気がした。最後にかつての仲間と、こんな風に他愛のない話をしたのはいつだっただろうか。
その日、俺たちはダンジョンの三層まで潜り、お金になりやすい魔物を職員さんに教えてもらいながら狩りをした。狩りと言えども、張り切ったプリムが一人で暴れまわったので、俺と職員さんはほとんど横でその様子を見ているだけであったが。職員さんはプリムの見た目からは結び付かない実力に驚き、終始目を見開いていた。プリムはあの夜片鱗を見せた力の一部を、使いこなすことができるようになっていた。
そして肝心の稼ぎはおよそ金貨2枚。時間の都合ですぐ切り上げることになったにしては、かなり良い進捗だった。この調子ならば、あと半日ほどダンジョンに潜ればプリムの入院代を十分支払えるだろう。
「職員さん、今日はありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
互いに感謝を述べ、軽い握手を交わす。そして俺は、微かな不安を振り払い、次の約束を取り付ける。
「よかったら、また一緒にどうですか? それこそ、明日にでも」
「そうですね。明日であれば、昼間から大丈夫です」
俺の不安は杞憂に終わり、職員さんは快く了承してくれた。
「じゃあ、また明日。ギルド内で待ってますね」
「はい、また明日」
「レイルちゃん、また明日ね!」
職員さんはプリムの挨拶に笑顔で頷いてから、ギルドを後にした。
「今日は楽しかったね」
「そうだな。俺と職員さんは、横で見てるだけだったけど」
「あはは、ちょっと張り切りすぎちゃった」
手を頭に当ててプリムは苦笑した。そして、俺とプリムもギルドの喧騒を抜け、宿へと二人で歩き出した。
「明日はもっと深くまで行きたいね」
「そうだな、なんなら最奥まで行きたい」
「そこまで行ったら半日じゃ終わらないでしょ?」
「間違いないな」
職員さんの話によると、ギルドは俺が想像していたよりずっと深かった。定期的に数十名ほどの合同パーティーがギルド主催で編成され、下層への遠征が行われているらしい。現段階でも、72層までは存在が確認されているようだ。
「そういえば、宿のことなんだけど」
「?」
「私たちの部屋、二人で一つにしといたから」
プリムはいたずらっぽい笑みを浮かべてそう言った。俺が気を遣って部屋を分けていたのに、台無しである。そういえばこんな会話を以前もしたことがあったなと思って、俺は懐かしい気持ちになった。
「まぁ、お金大切だもんな。助かるよ」
「えー! ここ動揺するとこじゃないの?」
プリムは心底驚いた様子だった。元々人に似た容姿の彼女だが、蓋を開けてみれば、その見た目だけではなく色んな部分が等身大の少女だった。
「明日、楽しみだな」
「うん。ずっとこんな風に時間が過ぎればいいのにね」
ここに長くはいられないことを、プリムも察しているのだろう。俺は勇者としてローレイン王国に戻らないといけないし、そうなればきっとプリムは村へ戻るしかない。
「そうだな」
色々と話し合っておきたいことはあったが、今はこの時間を楽しむことにした。
俺とプリムは宿に戻った後、遅めの食事をとってから次の日に備えてよく眠るのだった。
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