第10話 追う者②

 ミリスがそこに辿りついた時、彼女の求めた者はもういなかった。追いつけなかった。そこに残されていたのは、むせ返るような焦げた匂いと未だ熱を持つ大地。神がスコップで掘り起こした跡のような、巨大なクレーターには『死』が濃厚に漂っていた。


「大事な時に限って、私は何も……」


 超遠視テレスコープにより、アルフレイ・バーンロードによる鏖殺を見ていたミリスは、顔を手で覆い隠しながら己の無力さを嘆く。痛む右目に気休め程度の治癒魔法を施しつつ、ミリスはその瞬間を頭の中で再現した。


(彼が抱えていた女性……あの子に操られていたと考えるのが妥当か)


 怪しい女だった。見たこともない顔なのに、アルフレイに大事そうに両腕で抱えられていた女だ。人の見た目をしていたが、こんな場所に人間がいるのはありえない。間違いなく、魔族だとミリスは結論付けた。あの顔を思い出そうとするだけで、腸が煮えくり返りそうになる。


(にしても、精神支配系の魔法なら厄介ね)


 あの彼を手籠めにしてしまうほどの精神支配だ。万全を期しても、どうしようもないかもしれない。


(とにかく、もはや私一人ではどうしようもない。今追いかけてもどうしようもない。一旦、部隊の方へ戻って報告しないと)


 ミリスはその悔しさに唇を噛みつつも、どうするべきか頭を働かせた。彼女は冷静であった。今すぐにでも彼のことを追いかけたい衝動に突き動かされそうになっていたが、それをすんでのところで飲み込み、来た道を引き返す。

 操られた彼をミリスがなんとかするなんてできないし、そもそも彼が全力で飛行魔法を行使すれば、自分なんかが追いつけるわけがない。龍に小動物が競争で勝とうとするぐらい無謀なことである。本当に、苦しいほどに悔しいことだが。

 

 道中複数回魔獣と遭遇するも、その拳一つで軽々払いのけて見せる彼女は、十数分ほどで先頭魔導車の元まで無事に戻った。そこからは魔導車の列を辿りながら道なりに進むと、ウェルドが眉間に皺を寄せて腕を組み、難しい顔をして佇むところを発見する。


「ミリス殿! バーンロード殿は」


 ウェルドの大声にミリスは首を横に振った。途端、ウェルドの顔から血の気が引いていくのを感じたので、彼が再び暴走しだす前にミリスは状況を正確に報告した。


「彼は連れ去られました。いえ、正確には飛び去りました――そのとき周囲にいた魔族たちを皆殺しにしてから」


 ウェルドは何も言わず、ミリスの報告に傾聴する。


「彼は女性――おそらく魔族を腕に抱えていました。ここからは私の個人的な見解ですが、精神支配系の魔法により彼を傀儡としていたのではないかと思います」


 言いながら、ミリスは飛び去る彼の姿を思い出し、悔しさを再び噛みしめることとなって顔を歪ませた。


「方角は?」


「正確には言えませんが、少なくとも魔族領土ではないかと」


「そうですか……とりあえず、王国へ帰還するのが最善でしょう」


 ウェルドは冷静に現実を受け止め、これからの方針を立てる。


「ところで、魔導車のほうはどうでしたか?」


 ミリスはウェルドの担当していた魔導車の状況を尋ねた。


「先頭から数えて十台ほどは、中に誰も乗っていませんでした。おそらく、バーンロード殿が葬った魔族たちなのでしょう。それから、残っていた複数名の魔族は我々で処理し、現在も聖騎士団員複数名により、残りの魔導車を調査中です」


「そうですか……」


 ミリスは消え入りそうな声で頷いた。流れで聞いたはいいものの、正直なところ今のミリスに話の内容など入ってこなかった。また彼のことを――ミリスがこれまで追いかけてきた彼のことを失いそうになっているのだから。


「彼の件は私の方から報告しておきましょう。ミリス殿は、ご自分の馬車へ戻って休息をとると良い」


「ありがとうございます」


 ウェルドの気遣いに感謝し、ミリスは自分の魔導車へ戻ると疲れに身を任せて眠りに落ちるのだった。






 ローレイン王国へ帰還したのは、それから四日後のことであった。ウェルドは消えた指揮官に代わって信頼できる団員たちに魔導車の管理を割り振り、山道をそのまま突っ切るという判断を下した。結果としてその判断は正しく、魔族の援軍に追いつかれずに王都まで最短で辿り着くことに成功した。


 部隊一行が王都に到着したとき、やはり勇者は帰還しておらず、そのことは大きな波乱を巻き起こした。本来極秘情報であるそれは、どこから流出したのか国民の間で大きな話題となり、勇者は戦死した、勇者は人類を裏切ったなどという憶測も飛び交うようになっていた。


 王はすぐさま王国内を人海戦術により捜索するとともに、国外に対しても勇者の捜索部隊を編成した。――彼は絶対に生きている。何としてでも探し出し、連れ戻してこい。彼は部隊の前で深々と頭を下げ、切実に頼んだ。

 そしてその部隊の片隅。ラプラス王国へ向けて出立する魔導車の中には、ミリスとウェルドの姿もあり――


「なんであなたがいるのよ」


「おかしいですか?」


「おかしいに決まってるでしょ?」


 ミリスは目の前に悠然と佇む王国の第三王女――ミル・ローレインに向かって言い放った。


「ミリス殿。お気持ちはわかりますが、言葉に気を付けてください。王女様、今からでも遅くはないので、此度の遠征への同行はご遠慮いただけませんか?」


「嫌です」


 ウェルドの願いをミルは一刀両断する。その瞳には炎を宿し、彼女のやる気がどれだけのものかを如実に示していた。


「アルフレイ君は私が必ず見つけ出して見せます。王族の責務として。そして、かつての仲間として」


「彼を勇者に仕立て上げる原因を作った分際で、かつての仲間だって? あの時何もできなかったくせに、よくそんなことが言えるわね」


 ミリスは王女を鼻で笑う。それに対して王女は片目を瞑り、


「その件に関しては、私も弁明できません。しかし、私自身いつまでも引きずって遠慮するわけにもいかないのです。彼はもう十分役目を果たした――もう勇者を引退して、幸せに過ごしてほしいと切に思っています」


「あなたはそうでも、他の王族は違うでしょうが。第三王女では、どうせ何もできることなんてないのよ」


 涼しい顔をしていた王女だったが、ミリスの容赦ない言葉を受けて徐々に血管が沸き立った。それでも上品な笑みは崩さずに王女は皮肉を返す。


「あの時仲間として加わることすらできず、指を咥えて見ているどころか後から人伝に聞くしかできなかったあなたが言うと言葉の重みが違いますね」


「黙れ雑魚ヒーラーが……!」


「お二人とも、今は冷静にお願いします」


 威嚇しあう二人を宥めつつ、ウェルドは先が思いやられて頭を抱えた。ミリスが裏切者ではない、ただの実力者であったことはよかったものの、王女様の後輩で犬猿の仲であるということは、もっと早くに知らせて欲しかった。そうでなければ、この二人を同じ班に編成することなどなかったのに。


「ところで。ラプラス王国にアルフレイ君はいるんですか?」


 王女の鋭い視線がウェルドを射抜く。当然そこにいるとは言い切れないので、ウェルドは正直に答えた。


「……わかりません。他の班と分担しておりますので、ご理解ください」


「あなた、弁えるって言葉を知らないの? この作戦に同行するって決めたくせにいつまで王女気分なわけ?」


「ミリス殿、そのような物言いはお控えください」


 ウェルドは宥めることを諦めないが、それでも心のどこかで感じ始めていた。この二人のいがみ合いを、統制する術などないのだと。喧嘩するほど仲が良いという言葉はあるが、そんな言葉を生み出した人間に目の前で起こっているものを見せつけてやりたいなと思う。


 それにしても、この二人は何故これほど仲が悪いのだろうと、ウェルドは思案する。ミリスは本性を現したときこそ言葉の荒い人間になるが、あれだけ失態を晒したウェルドに対しても、基本的には丁寧な言葉で普通に接する。そんな彼女が息を吐くように悪態をつき続ける相手。王女様とミリスの間に、一体何があったのだろうか。

 考えても仕方のないことだとウェルドはその思考を切り捨てると、次は勇者である彼のことに思いを馳せた。少なくとも彼が死んでいるはずなどない。それだけは確信している。しかし、もしミリスが言ったように精神支配されてしまっていれば、我々はどう対処すればよいのだろうか。我々に――ひいては王国の勢力に、勇者を制圧できる戦力なんて存在しないのだから。


 ウェルドはまたしても無為なことを考えてしまったと一人苦笑した。その様子を見ていたミリスと王女の変なものを見るような視線を受け、ウェルドは軽く咳払いして襟を正した。不意に、ミリスに言われた言葉を思い出す――お前は『勇者』に依存しすぎている。これは私だけではなく、王国全体で取り組むべき問題だ。彼に頼りすぎている現状は危ない。事実よして、彼一人がいなくなってしまっただけで国中がその話題で持ちきりである。


 魔導車は、そこらの馬車をぐんぐん追い抜きながら目的地を目指して軽快に走り続ける。ウェルドは二人の仲を取り持つことを諦め、少年のときそうしていたように魔導車の窓を開けて顔を出す。涼しく心地よい風を頬に感じながら、右から左へ流れる景色に視線を預け、ラプラス王国に到着した後どのようにして捜索するかをウェルドは考え始めるのであった。

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