第9話 追う者①

 魔導車の振動に内臓を揺すられて、ウェルドははっと目を覚ました。紅に染まった室内を見るに、長い間眠ってしまっていたようだ。彼専用として割り当てられた魔導車が不快な揺れを大きく軽減していたとはいえ、無様に眠りこけてしまったことにウェルドは一抹の情けなさを感じる。ここからは気を抜くまいと心に誓い、ウェルドは先の戦いへ思いを馳せながら瞑目した。


――これだけ人類が躍進したのは、いつ以来なのだろうか。


 辺境伯であり、王国の剣と名高いブレイア家の三男として生まれたウェルド。幼いころから魔族が人類を蹂躙する様を聞かされ続け、人類があんな化け物どもに勝てる道理などないと、心のどこかで思っていた。

 故にこの作戦の大成功は、彼をして本当に夢みたいな出来事だと、子供のような感想を抱かせるものであった。実際実現してしまえば、至高の九人なんて実は呆気ない存在なのではないかとすら思わせるほどの大躍進。

 ウェルドの脳裏にこびりついているのは、長年の修練を積み重ねた彼が見ても、異質という印象を与える青年の姿。背は自分と同じぐらいだが、自分よりも明らかに細身の彼。正直なところ、初めて勇者に任命された彼を見たときは、また人の命を無駄遣いするのかと王に怒りを覚えたほどであった。加えて、聖剣――いや、あの邪悪な魔剣を使おうとすらしなかった彼。だからこそ、あの底知れない魔力が大気を覆ったとき、見た目と不釣り合いな暴力で魔族を蹂躙していく様を見たとき、ウェルドは思った。


――勇者は、英雄は実在する。


 彼の戦う姿を見たとき、どうしようもない恐ろしさがあった。しかし、それを丸ごとひっくり返してしまうほど、どうしようもなく憧憬の念を覚えてしまった。彼が仲間であることに、深い安心感があった。

 そして、自分たちが魔族へ必死に食らいつき、この国を守っていたことは無駄ではなかったんだなと、自分の今までの努力が報われた気がした。

 それにしても興味を惹かれる少年だ。今まで戦いを共にした勇者たちは、いつも魔族への憎しみで瞳を燃やしていて、その勢いのまま戦場で燃え尽きてしまった。しかし彼は魔族への憎しみなど持っておらず、魔族を蹂躙する彼の瞳にはいつも無機質が宿っていた。そして今朝はあろうことか、魔族を殺すことの是非を問うてきた。人が人に対して持っている当たり前の感覚を、彼は魔族に対しても抱いている。彼は――魔族のことを化け物だなんて思っちゃいない。


――本当に、不思議な方です。


 今までの勇者とは明確に違う。彼には確かな力も、自分の意思もある。きっとこれから、人類の歴史が大きく動く。その瞬間に立ち会えることの喜びと、重大な責任を感じてウェルドの心は心地よい緊張感に包まれた。長生きもしてみるもんだなと、彼が感じた瞬間だった。魔導車の扉を叩く音とともに、扉越しのくぐもった呼び声がウェルドの耳に届いた。


「ウェルド・ブレイア聖騎士団長。少しお話したいことが」


「あなたは……」


 何事かと扉を開くと、こちらを見上げる女性がいた。ミリス・セイクリッド。Sランク到達を目前に控えたAランクの中でも上澄みの冒険者だ。今回の作戦でもその実力を遺憾なく発揮しており、ヒーラーとしての腕は情報通りだと、この目で見たウェルドは確信している。

 しかし、ウェルドが彼女の名前を記憶していたのは、それが原因ではない。今回の作戦ではSランクこそ集められなかったものの、Aランク上位の冒険者はちらほらいる。彼女が異質だったのは――彼女がパーティーを持たない、ソロで活動するヒーラーであったことだ。

 複数名でパーティーを構成するのが至極当然である中、ヒーラーという仲間の補助を担当するはずの彼女が、どういうわけかソロでAランクまで上り詰めるほど実績を積み重ねている。何かしらの力を隠していることは間違いなかった。


「それで、話というのは……」


「実は――」


 ミリスが話し終わるのを待ってから、ウェルドは静かに聞き返した。


「バーンロード殿が、戻ってこない?」


「ええ。私の考えすぎであればよいのですが、念のため私と先頭魔導車の様子を確認しにきてもらいたいのです。万が一彼の身に何かあったとするならば……」


「この馬車は、既に魔族の手に落ちている、と」


 ミリスの言葉にその結論を被せ、ウェルドは腕を組んで情報を整理する。


 彼女の話によると、バーンロード殿は昼頃に先頭の様子を見に行ってから、夕刻に至るまで戻っていないようだ。ここへ来るときは迂回した山の中を、まっすぐ突っ切り最速で王国へ戻ろうという大胆な動きはあの憎らしい指揮官たちの考えそうなところであるし、そこに違和感はない。バーンロード殿の呪いのことを考えるならば、最善とすら思える。

 故に最も高い可能性は、作戦の指揮官たちと話が弾み、彼らと共にいるだけということだ。仮に魔族の手に落ちているならば、あの『勇者』がもう既に解決してしまっているはず。実力のみを考えるなら、私がこれまで出会ってきたあらゆる強者――私がどうしようもなく届かないと悟ってしまった、『剣聖』である兄すらも、バーンロード殿に届く姿が全く見えないのだから。


 しかし、ウェルドは慎重な男である。彼は低い可能性であっても、見逃すことはない。この一行が既に魔族の手に落ちている可能性も考慮し、彼は確認しに行くことを決めた。


「わかりました。確認しに参りましょう」


 組んでいた腕をほどいてから、ウェルドは正面に佇むミリスの提案に乗っかった。


「ありがとうございます。それでは、参りましょうか」


 魔導車を降りるミリスの背中を、ウェルドの鋭い目が射抜く。

 ――ウェルドは、慎重な男である。そんな彼にとって、異質に見えるミリスも警戒対象である。いつでも剣を抜けるよう気を張り詰めておくぐらいは当然のことだった。そして二人は、人目につかないよう少し道を外れつつ、行列の先頭を目指した。




 


 二人が先頭の魔導車に辿りついたとき、辺りはすっかり暗くなっていた。既に魔導車は進行を停止しており、部隊一行は各々が食事と休息をとっているはずである。

 ミリスとウェルドは視線を交わし、警戒を怠らないよう慎重に動き出す。


「すみません、冒険者のミリス・セイクリッドです。指揮官殿と少しお話ししたいことがあるので、扉を開けてもらえますか?」


 ミリスが扉を叩き、中にいるはずの指揮官たちへ声をかける。その後ろで剣を抜き、ウェルドは何があっても大丈夫なように備えておく。


「……」


「返事がないようですな」


 ミリスはおそるおそるその扉を開き、中の様子を確認する。


「誰も、いない……」


 争った形跡はなかった。ただ、生活感のある魔導車の中を、誰もいないという違和感が支配していた。驚き、開いた口を手で覆っているミリスの元へ、ウェルドは剣を抜いたまま歩み寄ってくる。


「えぇ、これでは――なんのつもりですか?」


 そして彼は剣の間合いで足を止め、手に持つ剣をミリスの方へ向けていた。


「よく考えれば、不可思議な点が多い」


「なぜ、仲間同士で争わなければならないのですか?」


 ミリスがはっきりとした怒りを声音に含ませ、ウェルドを強い意志の籠もった目で睨みつける。


「私も争いたくはありません。ただ私は、あなたのことを信用できないのです。ソロのヒーラーでありながらAランク上位。何か力を隠し持っていますな? それに、あなたは彼の行動をよく把握しておられながら、私や他の誰かへの報告はここまで遅れた。ここからお話するのは単なる私の妄想です。

 バーンロード殿を何らかの手段で無力化。その隙に部隊を魔族へ乗っ取らせ、人目につかない場所まで魔導車を移動させてから壊滅させる。

 単に私が、疑り深いだけでしょうか?」


 するとミリスは呆れたようにため息を吐いてから、


「ウェルド・ブレイア聖騎士団長。あなたは何か勘違いされているようですが、そちらがやる気なら、私も手加減はしません」


 ミリスのほうも一歩も引く気配はなく、売られた喧嘩は買うのが筋だと言わんばかりにウェルドを威圧した。


「別に争う気はありませんとも。あなたが本当のことを話してくれるのなら」


「だから、私は裏切ってなどいませ――」


「本当のことを、話せと言っている! バーンロード殿はどこだ!」


 ウェルドの瞳には明確な焦りと不安が覗いていた。『勇者』という人類の希望が突然姿を消したこと。そして、目の前の女があの『勇者』を無力化するほどの何かを持っているかもしれないということ。先の戦いでの達成感が嘘のように消え、底知れぬ不安がウェルドの心を支配していた。


「この、クソジジイが。事実が必ずしも自分にとって納得がいくものとは限らないでしょ? 『勇者』に依存しすぎたせいで、頭が一気に老化したの?」


 真っすぐ向けられる老体の懐疑心に嫌気が差し、ミリスの口調も荒くなる。


「口の利き方に気を付けてください――次は斬る。なに、殺しはしませんとも。バーンロード殿を裏切った分、少々痛い目にあってもらうことにはなるかもしれませんが」


「はぁ? 私が、あの方を裏切るわけないでしょ!?」


 二人が衝突するかと思われた直前。遠い空の下で、夜の闇が不自然に白く照らし出された。


「あの光は……」


 ウェルドも何度か目にしたことのある魔法だ。その白光は、彼がまだ戦っているということの証明であった。

 その事実を受けて、ウェルドの心は急に軽くなり、視界は冴えてくる。目の前のミリスを見ると、彼女もまたその光を視認し、口を開けて驚いていた。その様子を見て、ウェルドは認識を改める――ミリスが敵である可能性は、低い。彼女がもし魔族側であるならば、『勇者』という全勢力をぶつけるべき相手を仲間に任せておく訳がないからだ。彼女は実力があるのだから、必ず勇者の対策に回るはず。

 その白光を見て少し冷静になったウェルドは、剣を鞘に収めた。


「申し訳ない。私は冷静でなくなっていたようだ」


「ほんと、勘弁してよね。全く……これなら、一人で来るべきだったわ」


 ミリスは呆れてため息をつき、再びこちらを見て尋ねてくる。


「それで、聖騎士団長様はどうするの?」


「私は……彼なら、一人で対応できると思うので、魔導車の方を見て回りたいと思います」


「はぁ、彼のことを助けたいとか思わないの? なんでもかんでも押し付けて――あ、イグリムの呪いの件だけど、彼に何かあったらタダじゃおかないから」


 ミリスは話しながら思い出したように、勇者が受けた呪いのことを詰ってくる。その目には昏い何かが渦巻いていた。


「では、私はあの光の元へ向かいますね。そちらも、ご武運をお祈りします」


「えぇ、ミリス殿。そちらも無事であることを祈ります。呪いの件は、必ず我々の力でなんとか致します」


「はい、よろしくお願いしますね」


 ミリスは先ほどまでの荒々しい口調が嘘のように高い声で丁寧な返事をする。そして彼女は、木々の中へ姿を消していった。その後ろ姿を見届けてから、ウェルドも自身の仕事へと奔走するのであった。

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