第4話 裏切り者

 村長への報告を終えると、俺とプリムは一旦プリムの邸宅へと戻ることとなった。本当は一度魔導車に戻らないと、同席していたミリスを始めとした冒険者たちに心配をかけるとは思ったが、強引に引っ張ってこられたのでひとまず後で考えることにした。


「鳥のお兄さん、できたよ!!」


 階下から大きな呼び声がして、俺は手に持っていた絵本を置く。別に俺の趣味が絵本なわけではない。たまたま待合室に子供向け絵本が置かれていただけだ。他の部屋を探索するのも気が引けたので、大人しくこいつで時間を潰していただけである。


 階段を降りると、そこには二人分にしては多く見える食事が用意されていた。既に日が落ちかけていたため、金銀であつらわれた優雅な光源が食卓を彩っている。


「本当にご馳走になっていいのか? この場所じゃ、食料も貴重なんじゃないのか?」


 このような山奥の村では、安定して食糧を手に入れられるとは思えない。彼女の厚意が重たく感じ、俺は遠慮してしまう。


「いーんだって! さ、食べてよ!」


「あ、ああ。そういうことならありがたく」


 彼女に手を引かれて席に座り、勧められるがままありがたく頂くことになった。幼少期から一人で暮らしているという発言を裏付けするかのように、彼女の料理はどれも素晴らしい味であった。幼少期から磨かれた彼女の料理力は、俺の胃袋を鷲掴みにする。


「めちゃくちゃ美味いな。というか、これ塩使ってるよな? 貴重なものは、得体のしれない男性に分け与えるものじゃないよ。塩、美味いんだから」


 なので俺も、幼少期に孤児院のシスターから耳にタコができるほど教えられた、塩の貴重性についてよく説いておいた。


「別にいーって。私、塩なんて普段からそんな使わないし。それにここ最近は、塩もいっぱいとれてるし、そんなに貴重じゃないよ! うちにも大量に残ってるし!」


「マジ? じゃあいっぱい食べるわ」


「うん! ほら、私のもあげる」


 ふんだんに使用された塩の誘惑に負けて、俺はプリムの分すら平らげてしまった。勇者として稼いだ金で、莫大な量の塩を買って返してやろうと心に誓う。


「すまん、君の分まで食うつもりはなかったんだ……」


 俺はテーブルに両手と頭をつけ、誠心誠意謝意を示した。


「いーよ。なんか可愛かったし♡ それじゃそろそろ」


「金はあんま持ってないんだ。すまん」


「聖金貨10枚でいいよ!」


「わかった……鉱山行くから少し待ってくれ、10年ぐらい」


 俺が神妙な顔で告げると、プリムは「冗談だよー」と言って笑った。


「そもそも、これはお礼の一つなんだし。10年鉱山行くぐらいなら、10年私とここに住まない?」


 小首を傾げながらプリムは尋ねてくる。……冗談だよな? 一応、断っておくことにしよう。王都での生活のほうが快適だから、なんて正直に言うのは失礼かと思い、適当に別の理由をつけることにした。


「いや、それは無理だな。俺、戦闘とか無理だし。飛行魔法が得意なだけだ。腰の剣なんて飾りだしな。振ったことすらねぇ」


「そっかー」


 プリムは残念そうに頬を膨らませた。椅子に座って不満げに足を揺らす彼女は、年相応の少女らしさを醸し出している。


「そろそろ話を戻すけど、鳥のお兄さんは今日は家に帰るの?」


「そのつもりだけど」


「じゃあさ、今日は私と一緒にいようよ」


 接続詞を知らないのは驚きだった。


「この後避難するんだろ? 難民は少ないほうがいい。オマケに俺は、戦闘はてんでダメで食いしん坊で人間だぞ?」


 人間の馬車の行列というのは想像以上に大きな問題であったようで、村人全員で避難することになったのである。下手に幻影系の魔法で道を隠したとしても、無理やり道を作ろうとして山が荒らされてしまい、かえって被害が大きくなるだろうとの判断であった。もちろん反対意見もあったが、そもそも、この巨大で危険な山を突っ切ろうとする連中が、下手な幻影魔法を見抜けないわけがないという言葉が決め手となり、村人全員で近くにある別集落のもとへ避難することとなったのが、事の顛末である。


 ――終始、『馬車を襲撃して人間たちを殺す』という意見が出なかったのは意外だった。プリムの恩人である俺だからたまたま優しく接してもらえたのではなく、彼らは人間に対する敵意をそもそも持ち合わせていないのだ。


「大丈夫だよ、お兄さんは私が守るから」


 プリムは俺の両の手を、自分のそれで包み込みながら微笑んだ。殺し文句を確信しているところ悪いんだが――


「いやそれ、デケェ熊から必死こいて逃げてた君が言えることか?」


 俺は脳裏に彼女の全力疾走を思い起こしながら言った。


「う、うるさいよ! お兄さん、空気読めないんだから! それに、あれはあの魔獣がたまたま強い個体だっただけだし! 普通の魔物なんか、私でも楽勝だし! それに私、まだまだ強くなれるし!」


 必死に弁明するプリムを見て、俺は可笑しくなって笑い出した。彼女もしばらく「笑うな―!」なんて喚いていたが、しばらくすると一緒になって笑い出した。


「とにかく、俺は帰るから。またな」


「え、待って!」


 引き留めるプリムをふわりと交わし、軽く手を振ってから玄関を出て、飛び立とうとして――


「おーい! お前ら! 全員ここに集まれ! この村でローレイン王国の勢力を迎え撃つ!」


 閑静な村全体に響き渡るほどの声量。叫ぶ男の声には怒りと、強い闘志が籠められていた。避難の準備をしていたであろう村人たちが、一斉に彼のことを認識し、何事かと集まり始める。


「うるさいなぁ。一体どうし――あれ、バーグさん?」


 玄関から出てきたプリムは男の知り合いだったようで、声をかけた。


「プリム! すまない……」


「……?」


 プリムの存在を認識した男は、彼女の肩に両手を置き、彼女に頭を下げた。男の目には、涙が滲んでいる。プリムは何が何だかわからない様子で、首を傾げているのみだった。男はまもなくプリムから視線と手を外し、今度は集まってきた村人たちに向き直って、大声で報告する。


「第5位階魔族、バーグが報告致します! 『五魔都市』は昨夜壊滅! 魔王勢力は至高の九人のうち、都市に駐在していた――イグリム様を含めた五名が戦死され、その部下の多くも殲滅されました!」


 バーグと名乗った男の報告により、村全体に激震が走る。不安げに旦那らしき魔族を見つめる女、拳を握りしめる男――俺のすぐそばで、糸が切れたかのように、膝から崩れ落ちる少女。


「仇敵である勇者一行は我々の誘導により、現在馬車にて野営中です! 攻撃するなら今です! 至高の九人であるマーメイ様とライド様も急ぎ応援に向かわれるとのこと! これは、魔族史上最大の危機です!」


 バーグは悔しそうに唇を噛みしめ、再びプリムのほうを向いた。


「すまないプリム」


 もう一度、深く腰を折って頭を下げるバーグ。


「え、なん……冗談じゃ、ないの?」


「……本当に、申し訳ない」


 頭を下げたまま、バーグは平謝りする。それを事実であると受け止めたのか、プリムの頬からは、静かに涙が流れ落ちている。


「イグリム様に言われるがまま、私は逃げ、生き延びてしまった。だが、私は必ずイグリム様の仇を討つ。相手は勇者だ。しかし、休息中であればいくら『人類最強』と名高い奴であっても――」


 ――不意に、こちらを向いたバーグと目が合ってしまった。瞬間、凍りついたようにバーグの動きが止まる。しかし、バーグも長年経験を積んできた戦士だったのだろう。すぐに気持ちを切り替えたようで、俺へと剣を向けた。


「プリム後ろへ! そこにいるやつが勇者だ! イグリムの――お前の姉の仇だ!」


「え、え?」


 次から次へとプリムを襲う衝撃の事実に、彼女の心は決壊寸前であった。


「いや、バーグさん。あの人は違うよ! 鳥のお兄さんだよ! 山で私のことを助けてくれたんだよ!」


 必死に俺のことを別人だと主張する彼女に、バーグはゆっくりと首を横に振ってから、


「プリム。今は受け止められなくても仕方ない。だが、俺の指示には従ってほしい。お前のためだ」


「なん……で。違う……違う! そうだ、このお兄さんは、戦えないんだよ! 飛行魔法はめちゃくちゃ得意なんだけど、それ以外はからっきしらしくてさ。きっと他人の空似だって――」


業火インフェルノ


 バーグが前触れなく全力で放った高位攻撃魔法――近くにいるだけで人が焼死しそうなほどの熱を持ったそれは、すさまじい速度で俺目掛けて薄暗い夜を駆ける。プリムの悲鳴が聞こえたのも束の間、俺の身に届く直前で――粉が水に溶けるかのように、小さな太陽は空中へと霧散した。

 バーグは息を整えながら、手に持った剣を構えなおす。


「……」


「お、にい、さん……?」


「クソ、障壁張るまでもないってことかよ」


 俺がそこに先ほどと同じ姿のまま存在するのを見て、プリムは困惑し、バーグは舌打ちする。

 しばらく睨みあう時間が続き、バーグの後続らしき魔王軍が村に侵入し――俺の姿を見て一斉に武器を構えたのを見てから、村人たちは――プリムはようやく現実を認識したようだった。


「お兄さん、違うよね? 勇者じゃ、ないよね? イグリムを――姉さんを――母を、殺してなんか、ないよね?」


「……」


 尋常ならざるプリムの様子に、村人も、魔王軍も、バーグも、口を開くことができなかった。


「お兄さん、違うなら、違うって言わないとダメだよ。お兄さんが違うって言ってくれたら、私がなんとかするよ。だから違うって言って……違うって言えッ!!」


 彼女は、どんな顔をしているのだろう。薄暗くて、直視せずに済んでよかったなと無責任ながら思う。そして、俺はなんと答えれば良いのだろうか。イグリムが君の姉だなんて知らなかったと、俺だってできるなら殺したくなかったと言えば、許して、信じてもらえるのだろうか。いっそ、俺は勇者なんかじゃないと言えば、プリムは、それで救われてくれるのだろうか。短い付き合いながらも、よく俺に懐いてくれていた彼女のことが脳裏に浮かび上がる。可愛くて聡明で、料理上手で優しくて、人間だからと俺を嫌な目で見たことなんて一度もなかった彼女。


 そして昨日のイグリムとのやり取りを思い起こしながら、思う。ごまかすのはダメだ。俺は、イグリムを――命乞いまでした彼女を、それでも無慈悲に、無残に殺してしまったのだから。だから、俺はイグリムを相手取ったときと同じように、


「殺した。俺の手で」


「……お兄さんの、裏切者」


 つい先日、山で逃げ惑っていた少女であったのが噓みたいに、彼女の体から溢れだした濃密な魔力がこの村を覆い、震撼させていた。

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