第2話 勇者

「それじゃ、『仲良し会』結成二年を祝って、乾杯!!」


 喧騒に包まれた酒場の隅で、四人の男女が話に花を咲かせていた。


「でも、お酒なんて飲んでいいの? 私とアルなんてまだ15歳だよ? リーダー的にはどう思うの?」


 藍色の髪の少女――シルヴィが、なみなみ注がれた酒をじっと見つめながら問いかける。


「そんなお堅くならなくていーのいーの。私たち、Aランク冒険者様なんだよ? 超すごいんだよ?」


 リーダーと呼ばれた少女――ローラは、自分たちがAランクであることを自慢気に語り、免罪符とした。


「年齢と冒険者階級は別でしょう。それに、『Aランク冒険者』と『Aランクパーティー』はきちんと使い分けないとだめですよ? ねぇ、アルフレイ君」


 金色の髪をたなびかせる少女――ミルが、ローラの揚げ足を取るように言った。そのついでに、俺のほうへ同意を求めてくる。


「こっちに飛び火させないでくれ。ちなみに俺のはただの水だ」


 『俺』はミルから顔を背けながら、ぐいっと水を飲み干した。


「ミル、あんた空気読めないこと言ってたらアルに嫌われちゃうわよ」


 そこへシルヴィが首を突っ込んできて、ミルを挑発する。そんな様相を見て、俺は不自然な懐かしさを覚えた。どうも、どこかで見たことがある映像なのだ。その記憶通りなら、確かこの後は――


「あら、アルフレイ君は淑やかな子が好みらしいですよ? ガサツなあなたこそ、嫌われちゃうんじゃないかしら?」


「情報源どこよ。温室育ちの王女様は、わかりやすい嘘にも簡単に惑わされてしまうのね」


「ッ、言ってくれますね。平民というのは、王族に対する敬意すら払えないものなのですか?」


「お忍びで平民のフリして来てるあんたに払う王族への敬意なんかないわよ。そもそも、なんで王女なのにこんな集まりに顔出せるのよ」


「まぁまぁ二人とも。今日は楽しくいこーよ」


 そうそう、白熱したミルとシルヴィをこうしてローラが宥めるんだった。何かにつけていつも喧嘩する二人と、それを仲介するローラ。そして基本的に我関せずを貫き通し、時折喧嘩する側へと巻き込まれる俺。

 いつも通りなはずなのに、俺の心を支配している違和感は何なのだろう。これは違う、何かがおかしいと、心臓をうるさく鳴らして訴えかけてくる。


「ね、アルも今日は楽しく過ごしたいよね?」


 わずかに酒で紅潮した頬。そしてその頬よりも赤く、照明を反射して明るく輝く髪。大きな目をくしゃりと潰した笑顔。彼女がこちらにジョッキを突き出してくる。

 違和感がすっと消えた。いや、気にならなくなった。

 魅力的な彼女の姿が、違和感の代わりに俺の心を支配する。


「ああ、そうだな」


「あ、では私も」


「私も乾杯する!!」


 俺がジョッキを突き返そうとすると、ミルとシルヴィが素早く加わってくる。三個のジョッキが並んで待ち受け、俺は満を持してジョッキを突き出した。


「乾杯!」


 ――瞬間、崩れ落ちて塵となり、風に舞う砂のように吹き流されてゆくローラ。騒がしいはずの酒場は静まり返り、ミルとシルヴィも死んだように動かなくなった。世界から色が落ちて、俺は一人ぼっちになる。


「おい、二人ともどうしたんだよ? それにローラは? なんでいきなり」


 誰かに殴られたわけではないのに、頭に鈍い痛みが走る。痛くて、怖くて、この先を見たくなくて。気づけば涙が流れ出していた。視界に映るすべてのものがぐにゃりとねじ曲がり、深い深い湖の底へと沈んでいくような感覚に陥って――


「あ……ぁ?」


「バーンロード殿?」


 目が覚めると、心配そうにこちらを見下ろしているウェルドさんと目が合った。既に日が昇っているのか、周りを見渡すと、うっすら明るくなりつつある。夢、だったのか。


「驚かせてしまったのなら申し訳ない。部隊の馬車へ来られるのが遅かったもので、様子を確認しに来たのです。ぐっすり眠っておられたもので、起こしてしまうのも良くないと思いまして」


 既に鎧を脱ぎ、軽装に着替えていたウェルドは俺の隣へと腰を下ろす。


「あー、いや、全然驚いてないし、大丈夫です。それより、死体のほうは……」


 周囲を見渡したとき、一番に気になったことがそれだった。


「死体の近くで眠らせておくというのも縁起が悪いかと思いまして、既に部隊のほうで回収・処理しておきました」


「あ、そうですか。面倒な後処理押し付けてすみません」


「いえ、お気になさらず。むしろ、そちらが我々の役目ですので」


 うっすらと気怠さが残っているが、調子は悪くない。死体の近くの床という過去最悪の環境下ではあったが、意外にもよく眠れたようだった。


「それより、体調のほうはいかがですか?」


「ちょっと気怠さはありますが、大丈夫です」


「そうですか……」


 何か思うところがある様子であるウェルドの視線の先には、やはり俺が腰につけている聖剣があった。


「やっぱり、聖剣が変ですか?」


「えぇ、少し気がかりです。私の勘違いであればよいのですが……」


 ウェルドの目は何かを見抜いているのだろう。心当たりは一つ――イグリムから受けた呪いだ。士気に関わるため、今しばらく秘密にしておくつもりであったが、ウェルドさんはその辺りを承知して周りには黙っておくだろうし、俺自身気がかりではあったため、話しておくことにした。


「ウェルドさん、実は俺――」


 不安そうな瞳で切り出す俺が珍しかったのか、ウェルドさんは一瞬少し驚いた顔をするも、すぐにいつもの真剣な顔になって俺の話を聞いてくれた。イグリムから渾身の一撃をもらったこと。彼女はそれを『呪い』であると話したこと。そして、目立った外傷はなかったこと。実際に体の状態も見てもらいながら、話していく。

 話が一段落すると、ウェルドさんは真剣な表情で腕を組み、考え込み始めた。


「現状では何とも言えませんな。一度馬車のほうで専門の者に見てもらうのが良いと思いますが、相手はあの死神イグリムです。大事に備えて、一度国のほうへ帰還し、聖女様に診てもらうべきかと」


 ウェルドの提案は尤もであった。しかし、この大人数での遠征を俺一人の体調で断念させるのは申し訳ない。


「いや、さすがに一度国へ帰るのは……」


「あなたは、自分の価値に気づくべきだ。至高の九人の討伐。それはこの50年間、誰一人として成し得なかったものなのです。それをあなたは、たった一夜にして半分も壊滅させてしまった。あなたも、それがどれほどのものなのか、わかるはずだ」


「……」


「ともかく、王都への帰還はもはや決定事項です。経緯は私のほうから伝えておくので、馬車のほうへ戻って安静にしておいてください」


 我ながら、大事にしてしまったなと思った。まさか、王国へ帰還するところまで話が飛躍するとは思わなかった。


「……あの、ほんとにすみません」


「バーンロード殿が謝ることはない。むしろ、魔王軍直属の部下を半壊させたことを誇ってほしいぐらいです。なに、嫌味を言う輩がいれば、私が叩き斬っておきましょう」


 肩を落とす俺に、ウェルドは笑いかけながら励ましてくる。


「……ありがとう。叩き斬ったらダメですよ」


 お堅い気質のウェルドが言うと冗談に聞こえなかったので、念のため釘を刺しておく。すると、ウェルドさんは珍しく大笑いしながら、


「なに、老人のつまらぬ冗談ですよ」


 と言って俺の肩に手を置いてから、「まあ、半分本気ですが」と洒落にならない言葉を付け足した。その言葉にもう一度しっかり釘を刺しておいてから、立ち上がって二人魔導車の元へ向かう。


 思えば、ウェルドがこうして大笑いしているところを見るのは初めてのことであった。いつも難しい顔をして、素を出そうとしない男だった。それが性格によるものかと思えばそういうわけでもなく、聖騎士団の連中とは親しげに話しているところを俺はたびたび目撃していた。

 そんなわけで、ウェルドは勇者という存在と深く関わり合いになることを避けているような印象があった。


「ウェルドさんって、過去に勇者と何かあったりしたんですか?」


「……いえ、特にいざこざなどを起こしたことはありません。なぜ、そのように思われたのか聞いても?」


 ウェルドが眉を吊り上げて、不思議そうに聞いてくる。俺は、まとまらない考えを紙に書き出すように、おぼつかないまま話し始めた


「なんか、こうして俺の前で曝け出したふうに笑ってるの、よく考えたら初めてだなと思って。勇者に対して、なにか思うところがあるのかなって考えたんすよ」


「……あなたは、よく人を見ているのですな。そうですね、勇者に対して思うところはありました。ですが、あなたはそれに当てはまらないなと思った。だからこうして笑えているのだと思います」


「へー、色々あるんすね」


 それ以上は聞かなかった。ウェルドの哀愁漂う顔を見ると、そうする気が失せたからだ。だから、代わりに俺は明るい話をすることにした。


「ウェルドさん、俺夢があるんすよ」


「夢ですか?」


「そう、夢っす。いつか昔みたいに、仲の良いみんなで笑いながら、楽しい日々を過ごすことっす」


「それは素晴らしい夢だ。あなたならきっと叶えられるでしょう」


 笑って背中を押してくれるウェルドさんに、なんだか気恥ずかしい気持ちになって、


「ウェルドさんは、この魔族討伐って正しいことだと思いますか?」


 俺は、唐突にそんなことを口に出していた。昨日のイグリムとの戦闘中も頭にちらついていたことだ。昔はそのことに疑問を抱き続けていたのに、勇者になってからは、彼女――ローラを失ってからはいつの間にか薄れていた疑問であった。


「それは難しい質問ですな。バーンロード殿のおっしゃりたいことはわかりますとも――罪のない魔族を殺すことも、果たして正しいことなのかということですな?」


 俺が頷くと、ウェルドさんは言葉を続けた。


「少なくとも私は、正しいことだと思ってこの仕事を続けてきました。私の見てきた限り、魔族の多くは強力で凶悪で狡猾だ。人の命を虫けらと同程度としか思っていない。これは覆らない事実なのです。しかし、すべての魔族がそうでないのも事実。友好的な者もいるでしょう。しかし、他人の思考を読み、その本質を見抜くことなど不可能。大多数がいがみ合っているのならば、残りの少数も巻き込まれる他ないのです」


「そう、ですよね」


「ただし、力を持つ者は違う」


 ウェルドさんの双眸はこちらをまっすぐ見据えていた。


「力を持つ者は、その力に見合う分だけ意見を強く主張できるのです。だからあなたのように、心優しい人に力を持っていてほしいと思う」


「……」


「申し訳ない。少し話しすぎましたな。それに、これは我々が考えるべき問題で、あなたに押し付けることでもない。あなたは自分の夢のため、走り続けてください」


 ウェルドさんは近くにいた騎士に俺のことを説明して預けると、魔導車の行列の前を目指して軽やかに走り去っていった。そして俺は騎士の人に案内され、Aランク冒険者を名乗るヒーラーたちに体の様子を見てもらうことになった。


 しばらくすると、魔導車たちは進行方向を反転させてから前へ進みだす。向かうは、ローレイン王国。

 幸い、ヒーラーたちの診断でも、特に異常は見つからなかった。しかし、相手はあのイグリムだ。

 俺は呪いのことに一抹の不安を抱き、それを忘れるために、備え付けの良質なベッドで体を休めることにした。

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