最強勇者の衰退記

ヤギ執事

第一章 死神の呪い

第1話 死神の呪い

 彼我の実力差は歴然だった。

 

 たった数発の『魔力砲』によって、目の前の人間は為す術もなく追い詰められていた。


「ま、待ってッ!」


 いや、人間ではない。魔族としては姿形があまりにも人間に酷似しているだけである。彼女は魔王直属の配下――至高の九人と呼ばれた中でも最強と名高いイグリム。そんな彼女が命乞いする様を見て、俺は自分の目を疑った。


「……」


「ねぇ、待ってよッ! 私、降参するからッ! あなた、アルフレイ・バーンロードでしょう!? 最強の勇者様なんだったら、私ぐらい見逃してくれてもいいじゃないッ! 私がやり返そうったって、何回やってもあなたの圧勝なんだから!」


「それはできない……君に戦意がなかったとしても、見逃すわけにはいかない。君の力は危険だ」


 死神のイグリム。ローレイン王国に住む子供達であれば、誰もがその名を知っているだろう。曰く、悪いことをすると、イグリムに襲われる。曰く、彼女につけられた傷は、どんな治癒魔法を以てしても治すことができない。

 王国に住む親たちは、子供をしつけるための脅し文句として愛用している。


 そんな御伽の世界から飛び出してきた彼女が、こうもあっさり命乞いをしている。いくら強力な能力を持っているとは言え、これではあまりに弱すぎる。


「最強の勇者様なのに? 冗談にしか聞こえないけど。そんなに私の力が怖い?」


 しかし、それでも怖いことに変わりは無かった。俺自身、幼少期からイグリムの恐ろしさはよく教えられて育ってきた。今こうして彼女と対面してみて、ここまで有利に戦いを運べているというのに、尚も恐ろしい。


「というか、私を最初に選ぶなんて随分大胆じゃない? 至高の九人の中でも一番強いって言われてる人から倒そうとするなんて」


 イグリムは話を広げようとしていた。時間を稼ごうとしているのだろうか? 彼女の真意が読めない。


「いいや、君は最初じゃない。五番目だ」


「え、どういうこと!? そんな報告、来てないけど?」


「今日一日でやってきたからな」


 イグリムは驚愕の表情を浮かべる。無理もなかった。50年人類の手が届かなかった至高の九人が、たった一夜にして半分葬られたなんてこと、俄に信じられる訳が無い。


「ありえない……ちょっと待って、一体どうやって……いや、それはどうでもいい。あなた……フユって名前に聞き覚えはある?」


 震える声で、希望に縋るように、イグリムは尋ねてきた。その仕草で直感的にわかった。彼女にとって、大事な誰かなんだろうなと。相手は魔族だからと、今まで目を背き続けてきたことに直面し、俺の良心は痛む。


「ああ、もちろん」


 そして、俺はその名前を知っていた。倒してきた至高の九人の中に、そんな名前の魔族がいたはずだ。


「その子、私の妹……なんだけど。もう、殺しちゃった?」


 聞きたくない話だった。俺は基本的に、魔族のことを倒すべき敵としてのみ認識している。それ以上の認識をしてしまえば、命を奪うことに抵抗を覚えるようになるからだ。戦場で躊躇ってしまえば、人として在るための『何か』より、ずっと大切なものを失ってしまう。そんなことは、もう絶対にあってはならないことだったから。


「殺した。俺の手で」


 だから、強く言い切った。俺は魔族に同情などしないと、今一度自分に言い聞かせるために。


「……そう」


 イグリムは俯いた。息が荒くなっている。泣いているのだろうか。

 俺は、なんてことをしてしまったのだろうか。そんなことが頭に浮かんできては、俺はそれを考えないように、何処かへ追いやろうとする。


「……妹は、何か言ってた?」


「悲鳴すらあげなかった。一撃だったから」


 せめて苦しまずに逝けたと、そう伝えようと思った。しかし今思えばこれは、挑発しているように受け取られても仕方ない。


「……そう」


 イグリムはゆるりと立ち上がり、両手に短剣を構えた。纏う雰囲気は先程までとは別人のものであるかのように荒々しく、彼女の激しい怒りが肌身を通して伝わってくるようだった。


「許さないから。苦しんで死ね」


 目の端に涙を浮かべながらイグリムは俺を睨めつける。その目は光を写さず、ひどく不気味であった。

 飛びかかってくるイグリムに対し、俺は虚空から大盾を取り出すと、その攻撃を全て受け止めつつ、距離を取ろうとする。彼女につけられた傷は治らない。

 俺は、顔も、手も、足も、全てが大事だった。まだ失うわけにはいかなかった。俺にはまだ、やらなきゃいけないことが残ってるから。

 そして、やらなきゃいけないことが終わった後も、長い人生が続くから。だから――


「……『魔力砲』」


「『死神の呪い』」

 

 だから、顔も、手も、足も、その全てをこの勝負に勝つために賭ける覚悟のあった、イグリムに隙を与えてしまった。

 イグリムは俺の魔力砲なんて意に介さず、その半身を灼かれながら強引に右手を掲げて接近する。慌てて後退しようとするも、そこは既に彼女の領域。イグリムは、俺に最期の一撃を食らわせることに成功した。彼女が身につけている指輪が光り輝き、俺は胸に強い衝撃を受けた感覚に陥った。

 慌てて退避し、イグリムの様子を窺いながらも俺は自身の体に異常がないか確かめる。その様子を見て、イグリムは息も絶え絶えながら、快活に笑った。まるで、自分の勝ちを確信しているかのように。


「私の奥の手、勇者サマにも、効いたでしょ?」


 火傷で爛れた顔を痛々しく歪めながら、イグリムは続ける。


「それは『呪い』。お前の力、全部奪ってくれる……ほんとなら、即死のはずなんだけど、化け物が。精々、苦しんで死ぬが良いわ」


 憎しみの籠もった視線をまっすぐに受け、俺は嫌になって視線を逸らす。支えきれなくなった体が、その場で勢いよく転倒する。

 もう体をほとんど動かせないのか、イグリムは首だけを起こしてこちらを睨み続けていた。


「何か、言うことはないの?」


「……ごめん」


「謝るなよ。い、まさら、人間面、してんじゃないわよ」


 瀕死であるせいか、彼女の言葉は弱弱しく、今にも消えてしまいそうだった。


 申し訳なく思う自分がいた。今にも泣き崩れてしまいたくなる自分がいた。勇者の任務を免罪符に、敵対する魔族を容赦なく殺し続けてきたツケが回ってきた。

 彼女が人間の見た目をしているから、心の奥底で麻痺させていたはずの罪悪感がよみがえったのだろうか。こうして命の奪い合いをしている中で、対話していることさえ異常である。普段の俺なら、確実にトドメを刺しているはずなのに。


「ごめん」


「許さない。ぜっ、たいに」


 そう言い残してから、彼女は糸が切れたように倒れ、まもなく息を引き取った。呪いを使った代償なのか、俺の『魔力砲』が致命傷になったのかはわからない。念のためトドメをさしておくか迷ったが、無惨に焼かれ、どう考えても息絶えている体を見ると、その気も失せた。


 もう、見たくない。


「呪い、か」


 現時点で、体に違和感はない。ただのハッタリだったのだろうか? しかし、それにしては彼女のあの決死さと、勝ちを確信したかのような笑みが気になる。

 なんにせよ、今は後回しだ。少しでも魔力を回復させ、次の戦いに備えなければならない。


「……遅いな」


 待ちくたびれた俺がその場に寝転がり、体を休ませていると、しばらくして特殊部隊の仲間の一人――聖騎士ウェルドが追いついてきた。


「あ、ウェルドさん。お疲れっす」


「バーンロード殿、残党処理が終わりました。そちらも、上手くいったようで何よりです」


 ウェルドはイグリムの無惨な焼死体を眺めながら、座って息を整える。鍛え上げられた老躯が呼吸に合わせて膨らんだり萎んだりしているのを見るに、相当消耗したのだろう。額には汗が滲んでいる。


「まあ、なんとかなりました」


「頼もしい限りです。早速次の相手を討ちに参りたいですが、バーンロード殿も相当お疲れのようですね。本日はここらで休息といたしましょうか」


「いや、俺は全然大丈夫です」


 呪いを受けたことを話すべきかどうか迷ったが、勇者である俺の状態はそのまま部隊の士気に直結する。だから、今は黙っておくことにした。今のところ、体に違和感もない。


「いえ、しかし……あまり、ご無理なさらないようにしてください」


「……?」


 ウェルドの様子がおかしい。本当に無理をしているつもりはないが、妙に心配されている。


「え、俺、そんな疲れてるように見えます? まだ20歳なんすけど」


「いえ、顔ではなく……そちらの聖剣が」


 言われて自分の腰を見やると、そこにはいつも通り鞘に収まった聖剣があるだけだ。勇者の称号を与えられた際に王様に貰って以降、俺が魔法愛好家であるため、なんだかんだで一度も出番のない聖剣である。


「え、なんか変なことになってますかね?」


「勘違いでしたら申し訳ないのですが……聖剣から輝きが失われているように見えるのです。おそらく、バーンロード殿も魔力を消耗されたのでしょう」


 神妙な顔つきで語るウェルドには、確かな説得力があった。俺には剣の輝きなんてわからないが、彼にしか見えない何かがあるようだった。

 聖騎士として長い人生を歩んできた彼が言うことなのだから、自分でも気が付かないうちに疲れてしまったのだろう。


「確かに、そう言われると疲れた気がします」


「では、今日はここまでし、明日万全の状態で臨みましょう。他の奴らにも知らせて参りますので、一旦失礼します。馬車のほうでお待ちしております」


 ウェルドはそう言ってから、この場を後にする。

 ようやく、一人の時間になった。ひんやりした夜の風が通り抜けるだけで、一切の生物が存在しない空間。こうして広い場所に一人取り残されると、世界に自分一人しか存在していないような、不思議な孤独感と、戦いが終わったかのような安心感があった。


「『死神の呪い』か」


 不安になって、服をめくって自分の全身を確認していく。特に、衝撃を直接受けた胸は重点的に、ぺたぺたと触って確認するが、特に異常は見当たらない。


「何もなかったら良いんだけど」


 窓から見上げた月は、いつも通り白く輝いているはず。

 なのに俺は、それがどうしようもなく不吉で不気味なものに見えた。

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