第22話

深い眠りについた街を照らす月光も程なくして雨に主役を譲り、また雨の粒たちが思い思いのまま地面や屋根、あるいは人々の差す傘の華に向けて舞い降りていた。そして、そんな自由は夜が明けても留まることを知らず、至る所に水溜りを作っている。


真希は病院へ行くことを昨夜に亜希と約束をしたため、この日は有給休暇を取ることとした。とはいえ、子どもたちのために朝食を作るため起きる時間自体はいつもと変わらない。


「予報通り、雨は降り続いているわね…」


窓越しに濡れる景色を眺めながら、真希は一人呟く。すると、ドアの向こうから足音が聞こえてきた。


ガチャとドアの開ける音と共に、亜希が「おはよう」と真希に一言。


「おはよう。今日も早いね」

「いつものことよ。お母さん…今日は病院に行ってね」

「分かってるわ。今日は、お仕事も休んで近くの病院に行ってくるわ」


昨日から続くやり取りは簡単に終わり、二人は朝食の準備を始めた。


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寝起きでふわふわとした玲は、"寝ぼけまなこ"のままで真希と亜希に「おはよう」とぼんやりした声で伝えて、顔を洗いに洗面台へ向かった。


「玲くん、おはよう。もう少しでご飯できるから、もう少し待っててね」


亜希の声に「わかった…」と、まだ夢の狭間を彷徨っているかのような玲が答える。


冷たい水で顔を洗ったことで、少しだけ重たい瞼もはっきりした玲。壁を挟んで真希が呼ぶ。


「玲~、ご飯できたわよ」

「はーい」


どこにでもある親子のやり取り。何もないような空間。でも、そこには確かな愛がある。


確かな愛が浸透しているから、平穏で裏表の無い瞬間がある。


台所から漂うお味噌汁の匂い、その他おかずの匂い。今日も普通に一日が始まったんだと、その空間は伝えている。


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「お母さん、食べないの?」


食卓テーブルを囲む三人ではあるが、箸を勧めるのは亜希と玲。真希の前には何も並んでいない。


「今日はね、お仕事お休みだからゆっくりしているの。後から食べるから大丈夫よ。玲は気にせず食べてね」


そう真希は答えると「そうなんだ」と玲は答え、やがて朝食を食べ終えた。「ごちそうさま」と言い、食器を持って台所へ向かう。すでに食べ終えていた亜希は先に台所で食器を洗っており、玲には「食器は、水につけておいてね」と伝えておいた。


真希は、テーブルに置いてあるおかず数品にサランラップを付けて冷蔵庫に入れていく。


「お母さん、ご飯食べてなかったけど体調大丈夫?」

「ちょっと食欲が無いだけ。大丈夫よ」


不安そうな表情を浮かべながら食器を洗う亜希。そんな表情を見ていると心が痛く、真希も申し訳なく思う。


「食器洗い終わったから、わたしも準備するね」


ぎこちない笑顔と共に残した言葉に、「ありがとう」という言葉しか思い浮かばなかった。


「いつまでも亜希に心配させられない…」


いくら大人びている亜希とは言え、まだまだ小学3年生。これ以上負担をかけては、あまりにも気の毒でならない。


確かに家族とは共に支え合うという側面もあるとはいえ、親が子どもに…ましてや10年も生きていない子どもに支えられ心配を掛け続けている実情というのは、親として許し難いという真希の悔しさがある。


ごく普通であるはずの朝に漂うのは、朝食の匂いだけではなかった。


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亜希は傘をさして小学校へ、玲は幼稚園のバスに乗って、それぞれの場所へ向かった。そして、真希も家の中に掃除機をかけて病院へ。


家から徒歩で行くにはやや距離があるため、真希はタクシーで大学病院へ。


郊外からも通院する人が多いその大学病院は、名の知られた医師も少なくないという。今回来院する内科にも、どうやらそんな医師がいるらしい。


そんなことをタクシーの中でふと思い出していると車窓越しに大きな建物が目に入ったが、それが大学病院であった。


タクシーを降りて、亜希は2階の内科へ足を運ぶ。


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待合室のベンチに腰を掛けていると、しばらくして「星井さん」と看護師が声を掛けてきた。ある程度は早い時間帯に着いたはずであったが、そこそこに来院した人の数がいたため、真希の順番まで数十分は要しただろうか。


真希を診る内科医はSNSでも取り上げられたことのある有名な医師で、真希も「この人、前に見たことある」と顔や名前を見てピンと来た。


最近の状況、症状などを時系列に沿って伝えたところ、その内科医は真希に一度精密に検査が必要である旨を伝える。


「それほどに状態が悪い…ということでしょうか」

「お話しくださった内容を踏まえますと、早期発見という部分も含め検査は必要かと思います」

「…。検査入院をしなければならないと?」

「そうですね、その予定で考えております」


入院とはいえ、以前ならば親戚のところに子どもを預けるという考えもあった。しかし、その頼みの綱であった親戚もすでに病死してしまっており、選択肢として外されてしまっている。


「わかりました…家族もいますので、今後のことも含めて考えてみます」

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