第21話
最近の真希が誤魔化しの姿であったことを、亜希には見抜かれていた。
「玲は気づいていそう?」
「玲くんは、多分気づいていないと思う。もし勘付きそうでも心配しないで…わたしが上手く玲くんの心配を取り除いてあげるから」
少し間を取って、寝室に向かう前に亜希が一言残していく。
「明日、絶対病院に行ってね…おやすみ」
窓を濡らすのは夜風に身を任せた雨粒。雨雲は星空を隠し、地面を冷やしていく。
街路灯の灯りが、ほのかに黄色い。月明かりの代わりとして、街を照らす。
夜が深くなるにつれて夜道を奏でる足音の数は少なくなり、それは今日という一日が終わりに向かいつつある時の流れを演出していた。
こんな一日の中で、世界のどこかで命の灯が生まれている。
こんな一日の中で、世界のどこかで命の灯が消えている。
ほとんどの人にとって何気ない一日であっても、そんな瞬間によって日常とは一線を画す時間を泳ぐ人もいる。
誰かが幸福を感じているとき、誰かが不幸を感じている。誰かが笑顔でいられたとき、誰かが涙を流している。
明日、笑顔が消えないように…そう願い眠りにつく人が、この世の中に何人いるのだろうか。
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月のわがままで雲間から姿を見せる群青の空の下、あまりにも目立つ赤色灯が救急病院のへ向けて光を伸ばしていく。日常とは対極にあるサイレンが静寂を突き抜ける。
そんな音に目を覚ました亜希。
いつだって落ち着いていて、おしとやかな姿を崩さない母の姿。どんな状況であろうと、そんな姿を見せ続けた強さ。
真希に対する自分の思っていた不安が的中してしまった事実は辛いものであり、杞憂に終われば良かった。
「今までのままで玲くんには接していかないと…とりあえず、明日お母さんは病院に行ってくれるはず。何がお母さんを苦しめているの?」
考えれば考える程に眠りからの誘いは遠く離れていき、遠のいていったはずのサイレンが近くに感じるようになった。
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ソファに再び腰掛けた真希が、先ほどの出来事を振り返っている。
「亜希には気づかれていた。何とか気づかれずにいたと思っていたんだけど…本当にあの子は人をよく見ているわ。心配を掛けてしまったな…」
もっと取り繕うことは出来なかったのかと後悔をしても、亜希の感じる心配が拭えることは無い。亜希の負担となっている心配を拭う術は、今起きている不調が確実に快方に向かう証を知ること。そして、その証通りに元通りの自分を取り戻すこと。
「治るのかしら…」
手を尽くしても改善が見られない得体の知れない体の異常。本当に治るのか。
真希の不安は、単に自分自身の話だけではないから深いものがあった。
そしてその深い原因は、真希の過去にある。
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真希の母、百合が高校生の頃に更に時計を戻す。
ファッションデザイナーとしての資質を相当に早い時期から開花させて、瞬く間に自身の名を国内に広めていった百合。「高校生デザイナー」という、誰もが背負うことの出来ない肩書き。一流のデザイナーという肩書きだけでも十分な印象を与えるのに、そこに「高校生」という言葉も付け加わる。
高校生という限られた時間の中で一人のインフルエンサーという立場まで登り詰めたからこそ集まる注目の高さ。その期待の大きさに臆することなく、自身の才能を発揮させ期待以上の答えを出し続ける快進撃。順調に前進する中で、様々な依頼が舞い込んでくる。それによって、収入源もいくつか確立させた。
そんな中で、デザイナーという仕事を通じて知り合った一人の男性と恋に落ち、真希を宿した。
早すぎる出産に対し、当然ながら周囲の反対もあった。それでも、「恥ずかしくない一人の娘に育て上げる」と若さゆえの負けん気、気概で周囲の反対を押し切って真希を17歳で産んだのである。
やがて男性とは結婚し、高校を卒業して家族3人で暮らすようになった。確かに周囲の目線というのはあったものの、家庭内においては子育ての大変さ一つ一つを乗り越えていった。
しかし、転機となったのが翌年。百合が20歳になる年のこと。最愛の男性から、別れを切り出されてしまったのである。収入源も人間力も、あらゆる面で何歩も先を行く百合への劣等感と不釣り合いな自分への嫌気。自分の方が年上でありながら、年上の男性としての責務を果たせる自信の喪失。
家族としては幸せに溢れていた。しかし自分自身に目線を向けたときに、幸せに溢れている家庭を作る一人とは思えないほどに多幸感が希薄になっていた。
そんな胸中に耐えかねた男性は、幸せの絶頂期に百合へ別れを告げて出て行ってしまったのである。
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当然ながら父と母という存在があって両親と呼ぶわけで、確かに片親という家庭も珍しくはないものの基本的に人は両親から愛情を受けて育っていく。
物心ついた頃から真希は「なぜ自分には父親がいないのだろう」という疑問があったものの、その質問を百合に問いかけるべきなのかという思いもあって、周りとの違う環境に自分は身を委ねていることだけを理解していった。
幸せではある。百合が注ぐ愛情は柔らかく温かい。そして友だちとも仲良く過ごしている。衣食住にも苦労はない。
それでも、時折「もしも父がいれば、どういった状況であったのだろう」という思いもあった。
津川真希(百合の旧姓である津川を苗字であった真希)というジグソーパズルにとって父という存在を欠けたピースと見るべきなのか、初めから余るはずであったピースと見るべきなのか。そこに正解は無い。
ただ、もしも自分が家族を持つ立場になるとして、その時は両親が存在する家族を守りたい。少なくとも子どもたちが産まれたとして独り立ちするまでは……。
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