第20話
今でこそショートスリーパーである玲ではあるが、成長と共に泣くことが無くなっても眠りについている時間は非常に長かった。半日寝ていることなど珍しくなく、長い時に至っては20時間近く目を開けないことも。
あまりにも眠り続ける玲に心配はあったものの、それ以外の身体面で言えば何一つとして心配することはなかった。
玲は弟らしく甘え上手なところや自由奔放なところはあったが、真希や亜希の言うことには従順な一面も見せていた。
思い起こせば、暇さえあれば玲は亜希と遊んでいたような気がする。
どんな時でも亜希は玲の要望に応え、楽しませることに注力していた。ただ、それは姉としての義務感によるものでもなく、純粋にきょうだいの時間を楽しみたいからという理由で共に過ごしていた。
そういった経緯もあって、しっかり者の姉とやんちゃな弟といった、どこにでもいるような家族の姿というものがあった。
そして、そんな誰もが受け取れるはずの幸せに陰りが見え始めたのは間もなくの話である。
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真希は子どもたちの前では気丈に振る舞い、いつも通りの姿を見せていたものの、明らかに以前には無かった倦怠感などの症状を感じるようになっていた。
仕事と育児の両立による疲労の蓄積が原因であるのだろうと、日常生活の見直しを行う事で改善を図っていたものの、なかなか症状が改善しない。
摂取する栄養バランスを変えたりもしたが、思うように結果に反映されない。その間にも症状が悪化の一途を辿っていく。
ソファーで横になったりと、出来るだけ楽な状態になれる時間を探す日々。かろうじて残る気力で仕事と育児に励む自分を俯瞰で見た時に、真希はかつての日常が遠退いていく気がした。
「わたし、大丈夫なのかしら…」
これ以上悪化するようなら、さすがに検査が必要であると真希は自分の中で線引きを設けていた。
ただ、入院となれば玲はもちろん、特に亜希は自分の体に潜む異常に対して過敏になるかもしれない。入院すれば子どもたちが心配する。
日を追う毎に確かな成長への一歩を進める我が子二人を支えるために。そして鋭い勘と洞察力を持つ亜希に気付かれないように、せめて気持ちだけでも負けてはならないと思い続けてはいたが…。
「お母さん、大丈夫……?」
その声は亜希の、どこか力のない響きであった。
ソファーに肘を付きながら頭を抑えていた真希の姿に、たまらず亜希は声を掛けた。
その声に、迂闊にも油断してしまったと焦る真希は、
「大丈夫よ、ちょっと居眠りしていただけ」
と、優しい笑顔で母親の姿で答えた。
「ソファーじゃ疲れは取れないわ。眠かったらベッドで寝てね」
「ありがとう」
「亜希に気付かれてなかったかしら…」と不安になりながら、今出来る演技で親子としての何気ない会話を終えた…と思ったところであった。亜希が自室に戻ったと思っていたところ、後ろから亜希の声が___
「ねぇお母さん…。最近調子悪いでしょ?」
いつも通りを演じていたつもりであったが、突然の言葉は真希の図星を鋭く突くものであった。 いつどこで見抜かれたのか…特に亜希の前では細心の注意を払っていたつもりであったが、亜希の洞察力が一枚上手であったようで悪化する状態を見逃すことを許さなかった。
「ううん、大丈夫よ。そう見えた?」
「嘘よ、明らかに前とは違う!心配かけたくないからって、何か隠してない?」
怒ることも大声を出すことも無い穏やかな亜希が口調を強めたその声に、その姿に真希は驚いた。
「亜希…どうしたの?」
「ごまかさないでよ!わたし、知ってるの。わたしや玲くんがいないとき、いつも横になったりしているでしょ。でも、言うべきか難しかった。変にお母さんの時間を邪魔するんじゃないかと思って…。でも、最近は顔色も悪いし…もしものことがあったらと思ったら……」
さっきまでの勢いに任せた姿とは打って変わって、ぽろぽろと涙を落とし出した亜希。裾で目をこすっても涙は溢れるばかり。
良くも悪くも喜怒哀楽が無い亜希。母である真希ですら泣いている姿も怒っている姿も見たことがなく、この数分間に見せた怒りと悲しみ。それは、それだけ母である真希を思う亜希の愛情の深さを如実に表したものである。
初めてといっていい感情を露わにした姿への驚き。我が子が自分に向けた思いへの嬉しさ。そして大事にしてきた我が子に心配を掛け続けた申し訳なさ。
「亜希…ずっとわたしのことを…」
立ち上がって泣いている亜希の傍へ寄る真希。そして、静かに亜希を抱きしめた。
優しく頭を撫でながら、伸びた身長を感じ、どこまでも深く大きくなっていく心を感じる。
「亜希は本当に優しいね…。ありがとう…」
亜希の涙に釣られるように、真希も涙を流しながら抱きしめ続ける。
「ごめんね…心配は掛けたくなかったの。あなたは、優しすぎるから…。玲の相手もしたり家事も手伝ってくれて、なかなか自分だけの時間を作れなかったでしょ。せめて、お母さんの心配に割く時間があるなら、亜希が自分だけに使える時間を作ってあげたかったの」
涙に飲み込まれそうな声を一度整えて、亜希は言葉を続ける。
「でも、お母さんが気丈に振る舞う度に亜希の心配を増やしていたのね。あなたが、あんなに感情を表に出す姿は初めて見たわ。それだけ苦しめていたのね…。こめんね…」
「ごめんね…」という言葉に、真希に体を預けた亜希は言葉を出さずに首を横に振った。
そして、顔を上げて真希の目を見つめて亜希は答える。
「ううん、お母さんがわたしたちを思ってくれていたから、いつだって元気そうに見守ってくれていた。それなのに…分かっていたつもりだったのに…お母さんに強く言っちゃった、ごめんなさい…」
真希を見つめた目は、もう一度潤み出した。目尻から流れる涙。
二人が流した涙。それぞれが抱えた思いの重さを携えきれなくなった心の限界があった。家族相手だから、その愛の純度は最高点に達するのである。
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