第19話
亜希が寝静まり、夜は深い。
リビングのライトの下、椅子にもたれた類が口を開く。
「ここから近い幼稚園に通う事にしよう。確かに亜希の人間性は秀でているけど、実際に家族以外の子どもたちが集まる集団の中で見つけるものもあると思う。ただ、能力の面については他の子とはレベルが違いすぎるから事前に相談する必要はある」
真希もテーブルに肘をつけながら答える。
「変にストレスを掛けるようなら、都度方向性は調整の必要がありそうね。甘えさせるとは意味が違う。あの子の良さを奪って、更に心に負荷をかけちゃいけないものね」
類は真希などから亜希の話は聞いており、その話を聞く限りでは若すぎるとはいえ自主性を重んじる方針が合うという考えがあった。
「亜希なら知識欲に合わせて学習面も自発的に取り組んでいくはずだ。それは、他の分野でも同じ。それでいながら周囲の環境とも折り合いが取れる。亜希の負担にならないなら、5歳とはいえ幼稚園に行かせる事以外は亜希に委ねるのも手かもしれない。すでに親の手から離れつつあるから、余計な干渉はマイナスに働く可能性もある」
自由という概念は相反する統制があるからこそ本来あるべき姿で存在する。そもそもルールの無い自由は、自由から自分勝手という姿に変えてしまう。子どもに自由を与えるというのは、意外と簡単な話ではない。
類は亜希が自分なりのルールがあり、そのルールをもとに自分の行動を組み立てていると考えていた。それにしても、大人と見紛うほどの落ち着きや対応は普通とは言えないが。
「俺が近くにいないから、いつも真希に育児を任せてばかり…ごめんな。仕事もして育児もこなして。両立が大変なら、休職でも退職でも任せるよ。お金の事は俺一人で大丈夫だからさ」
類が、グラスの水を飲み干す。
二人だけの時間なので、お酒を交えながら…という空間があってもおかしくはないが、亜希の将来を考える重要な話を酔いながらラフに話すのは違うと類は思っている。
また、類自身が下戸ということもあって一切アルコールの類いは口にしない。
「ありがとう。でも、仕事を選んだのはわたしだし、こういう経験はずっと出来るわけじゃないから。まあでも、もう少しで産休には入るけどね」
「二人の育児か…俺も戻れるタイミングがあれば、いつでも戻れるように、これからも準備する。ビジネスマンである前に、俺は一人の父親だから」
時計は、一つ二つと二人の愛を確かめるように進んでいく。
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亜希が入園し、特に何か変わった話もなく順調に成長曲線という名の階段を登っているようだった。
それから数ヶ月して玲が産まれた。
タイミングが合った類と共に、真希と亜希は小さな玲の眠る姿を目に焼き付けた。
「亜希、心配で気が気じゃなかったな…」
優しく微笑みながら類が話すと、
「だって…不安なものは不安だし…。お母さん大丈夫なのかなって。でも良かったよ」
うっすら目元が涙で滲む亜希の優しさに、ベッドで横になる真希は静かに亜希の頭を撫でてあげた。
「亜希…ありがとう。こうして無事に玲を産めたのも、あなたのお陰よ」
そう言うと、亜希は真希の胸の中で静かに涙を流した。
顔を上げた亜希は、視線を真希の横で眠る玲に向ける。そして、とても小さな手へ。
「本当に小さいね…」
すると玲の小さな手が亜希の人差し指を、それはあどけない力でギュッと握った。
「お母さん!今、指を握ったよ!」
あらかじめ名前は決めてあったこともあり、すでに亜希も近い未来に誕生する弟が玲という名前であることを知っていた。
眠りながら無意識に握る指先。姉となる亜希の囁くような声に気付いているのかどうか分からない。
「わたしは、亜希。玲くんのお姉ちゃんだよ…これからよろしくね」
命の光が一つ輝きだしたその瞬間から、星井家は4人家族として新たなスタートを切ることになる。
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驚くほどに手の掛からなかった亜希とは違って、玲はどこにでもいる子どものようだった。よく泣くし、よく寝ている。
異質とも言える子育てから普通と言える子育てへ。
類も真希も2回目の育児とはいえ、その状況が違いすぎるため実質初めてみたいなところもあった。
それだけに、積極的に玲をあやしたり真希へ必要なサポートを行う亜希の存在は大きかった。
「いつも、ありがとうね。お母さんの目の届かないところまで支えてくれて」
「ううん、だってお母さんは玲くんを産んだり大変な時間を過ごしてたでしょ。少しでも休まなきゃ。それに…わたしが小さいときは、お母さん一人で頑張ってくれたんでしょ?その順番が、わたしになっただけ。気にしないで」
嘘一つ無い満面の笑みで真希に答える亜希の姿は、本当に頼もしい限りだと改めて思うのである。
とはいえ、母という立場上いつまでも亜希の頼もしさに甘えてばかりではならないと思った真希は、これまで以上に懸命に育児に励むようになった。
その努力に応えるように、玲は大きな病気を患うことなく健やかに育っていったのである。
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