第16話
玲の両親は、すでに亡くなっている。その事実は、親友の雫でさえ気づいていなかった。小学生を相手だから嘘で誤魔化しきれたのか…とはいえ、亜希自身も同じ年齢であるわけだから、年齢という意味で言えばフラットである。
「亜希からは、両親は海外を飛び回って中々帰ってこれないという話を聞いたことがありました。それにしては帰ってくる話を聞いたことが無かったので、そんなに忙しいんだと…」
玲も雫と同じように畳の上に座って、当時の頃を思い出しながら言葉を紡いでいく。
「姉さんが小学生の頃…厳密にいえば亡くなる前年に母は亡くなったんです。父は仕事で海外を飛び回り、母の不調に気付けなかったと深く後悔していたと聞いています。それでも母を思う気持ちは母の近くにいた僕らきょうだいと変わらなかった…離れていたからこそ、思いは強かったはずです」
類と真希は大学生時代に付き合い始めた。類は2歳年下であるが、真希が卒業した時に類は退学した。類は、すでにプログラマーとして十分に財を成せていたため、あえて大学へ行く意味というのを見出せずにいたこともあり、真希の卒業に合わせて自身も退学する決断を下したという。
そこから世間がクリスマスムード一色であった12月に亜希が生まれた。
あの頃は…と百合が振り返る。
「大学最後の年に、すでに真希は就職先の内定が決まっていたわ。でも、卒業前にはすでに亜希さんをお腹に宿した状況にあった。類さんの稼ぎだけでも贅沢する程の生活は出来たから内定の辞退という選択肢もあったのだけど、真希は就職をする決意をしたの。社会とはどういう世界なのかを知るためにね」
何を経験するのかというのは、人生の豊かさに直結するものである。経験とは、才能に比肩する程に人生には重要な要素。未来に待つ子育てという大変な道のりを知りながら、あえて真希は困難な選択肢を選んだ。
「類さんは、凄く心配していたのをよく覚えていたわ。わたしも心配していたけど、誰よりも心配していたのは類さんだったんじゃないかしら…。あの人、本当に心配症でね。たまに真希が「そんなに心配しなくても大丈夫だから!」って珍しく強く言ったって話を聞いたことがあるぐらい。あの子が強く言うってことは、類さんも少々干渉し過ぎていたのかしらね」
懐かしむように、心配性であった類の人間性を少し微笑みながら回想する百合。
「亜希さんが生まれた頃、まだ類さんは国内で居座ることが出来たから子育てにも積極的に取り組むことが出来たの。でも、亜希さんが2歳になるぐらいかしら。類さんの仕事ぶりが伝播して世界的な企業から声が掛かったりと、徐々に国外へ足を運ぶ機会が増えていったの」
類の手腕を世界が見逃さなかった。類が示し続けた質の高いプロフェッショナルな一面を世界の企業等が高く評価したのであった。当時、類はプログラマーの他にトレーダーとしての側面もあったので、生活をするという意味でも子育てという意味でも世界からの誘いを断るという選択肢もあった。
しかし、過去に強く真希に心配性な一面で怒りを買ってしまった手前、なかなか判断に悩むところが類にはあった。仕事と子育ての両立は大丈夫なのかと。
自分自身のことを言えば、世界からの誘いという機会は一生にあるかないかという貴重な好機を逃すべきなのかという考えもあった。
経緯を含め真希に話したところ、あっさりと海外へ行くことを後押した。
「子育ても一人で大丈夫…?」と言いかけたが、「いや、真希なら大丈夫だ」と胸の中で言い聞かせた類は、程なくして海外進出したのである。
「この機会は絶対逃しちゃだめ。わたしは大丈夫、類は世界の舞台に進むべき人だと認められたんだから、それに応えるのが類の使命よ」
そんなことを真希は類に伝えていたらしい。
類が百合と同じように世界を飛び回る生活が始まったのは、この頃からであった。
真希は類には迷いなくはっきりと背中を後押しする姿勢を示したが、心の中では判断に悩むところはあったという。
それは、自身が経験した子どもの頃の環境に理由にあった。
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百合はファッションデザイナーとしての資質を相当に早い時期から開花させて、瞬く間に自身の名を国内に広めていった。「高校生デザイナー」という、誰もが背負うことの出来ない肩書き。一流のデザイナーという肩書きだけでも十分な印象を与えるのに、そこに「高校生」という言葉も付け加わる。
高校生という限られた時間の中で一人のインフルエンサーという立場まで登り詰めたからこそ集まる注目の高さ。その期待の大きさに臆することなく、自身の才能を発揮させ期待以上の答えを出し続ける快進撃。順調に前進する中で、様々な依頼が舞い込んでくる。それによって、収入源もいくつか確立させた。
そんな中で、デザイナー業を通じて知り合った一人の男性と恋に落ち、真希を宿すことに。
早すぎる出産に対し、当然ながら周囲の反対もあった。それでも、「恥ずかしくない一人の娘に育て上げる」と若さゆえの負けん気、気概で周囲の反対を押し切って真希を17歳で産んだのである。
やがて男性とは結婚し、高校を卒業して家族3人で暮らすように。確かに周囲の目線というのはあったものの、家庭内においては子育ての大変さ一つ一つを乗り越えていった。
しかし、転機となったのが翌年。百合が20歳になる年のこと。最愛の男性から、別れを切り出されてしまったのである。収入源も人間力も、あらゆる面で何歩も先を行く百合への劣等感と不釣り合いな自分への嫌気。自分の方が年上でありながら、年上の男性としての責務を果たせる自信の喪失。
家族としては幸せに溢れていた。しかし自分自身に目線を向けたときに、幸せに溢れている家庭を作る一人とは思えないほどに多幸感が希薄になっていた。
そんな胸中に耐えかねた男性は、幸せの絶頂期に百合へ別れを告げて出て行ってしまったのである。
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