第15話
「さよなら」という言葉は別れを意味する。ただ、その意味が一時的な別れなのか永遠の別れなのかは、人それぞれである。
共通する部分としては、亡くなった人に対しては「永遠」の別れを意味することになる。
雫は、ただの一度も「さよなら」を告げなかったという。もしも亜希に別れの言葉を告げてしまうと、たとえ輪廻転生があろうとも天国へ上ることがあろうとも、どんな形が現実になっても二度と会えなくなるのではないかという思いや恐怖があったからだ。
そこに亜希はいないものの、こうして再び会いに来ることが出来た。それは、「さよなら」を口にしなかった雫の思いが形になったことであるとも言えるのだろう。言霊とは言うが、やはり言葉には何か見えない力というのがあるのかもしれない。
蝋燭の火が揺れている。その光景に、
「あら、亜希さんも喜んでくれているらしいわ」
と百合が一言。
「ここへ来れたのは偶然にも朝に玲君に出会ったからで、それが無かったらこうして仏壇を前に手をあわせることは出来ませんでした。もし偶然が無ければ、胸の中ではもやもやと言いますか心残りを抱いたまま生きていくことになったと思います」
「そうかもね」と百合は言葉をしながらも、雫の言葉の一部を否定しながら話をする。
「でもね、雫さん。今日いらしたのは、単なる偶然じゃないと思うわ」
「えっ…?それは、どういう…?」
あくまでもわたしの考えであると百合は前置きしつつ、話を続ける。
「分からないけど、亜希さんがここへ来るように誘ったんじゃないかしらって。もしかしたら、ずっと亜希さんは雫さんを天国から見守っていたかもしれない。でも、より近くで…そして対面で話したかったという思いが、玲君とあなたを引き寄せたんだとも思っているの」
そこに玲も、補足するような形で自分の思いを伝える。
「雫さんが長年抱いていた「会いたい」という願い。それは、姉さんも同じで共通の願いとして、時が流れようとも同じ思いの強さで共鳴し続けていた。親友だから引き寄せられた運命であったとは思います」
目線を雫から遺影の方へ移して、玲が続ける。
「テラスでご自身を責められていたことを話していましたが、やはり姉さんは「雫さんに非は無い」と考えていた…確かに姉さんの考えを明らかにする術はありませんが、これは間違いなく言えることでしょう。たった一人の弟として、これは確信をもって言えます」
雫よりも近いところで亜希を見てきた弟として、より心の内側を知っている玲。いつだって優しく、人を侮辱したり悪く言うようなことを見たことが無かった。もしかしたら、心の中で思うところがあったのかもしれないが、そんな素振りは一切見せたことはなかった。
「姉さんは、人を責めるような人じゃない。そんな姉さんに、僕は守られ続けてきたし憧れ続けていた。そして、その憧れの思いはこれからも変わらない」
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時間を止めることも出来ない。巻き戻すことも出来ない。何が起きようとも、時間とは淡々と正確なリズムを刻み、その波に人々は抗うことを出来ずに命の終わりまで背中を押され続ける。
砂浜に残した足跡を波が消し去るように、生んでしまった後悔が時間と共に綺麗に消していくのならばまだしも、人という生き物はそう単純ではない。
後悔があろうとも生きていかなければならない。後悔があろうとも時の波が後退を許さない。
巻き戻して後悔の種を取り除くことが出来ない以上、その思いを胸に生きていく覚悟を持つか、その思いを拭える瞬間を待つか。二つに一つ。一番辛いのは、その狭間を彷徨いながら生きていくこと。雫は、まさにその狭間という溝に落ちてしまっていた。
もがき苦しむ雫の状況を変えたのが、亜希と出会った街にある大学への進学。そして、玲との再会。目に見える範囲での展開はそんなところであるが、手を差し伸べたのは目には見えない亜希であったのだろう。
「亜希…あなたは、天国でも気を遣ってくれるのね。もう良いんだよ…自分の思うままに生きても」
「父と母、そして姉さんの3人で、家族としての時間を思う存分過ごしていてくれると嬉しいですね…」
玲が合わせるように発した言葉に雫の時だけが一瞬止まった。
「それは、どういう…?」
雫は改めて並べられてある遺影を見上げると、亜希の横には母の真希、そして父の類の遺影があった。
雫は最初、亜希のことで頭がいっぱいで亜希の遺影にしか目が行っていなかったが、冷静に一つ一つ見てみると、彼らも写真に収められていた。
「僕たちの家に来た時や授業参観の時、もしかしたら不思議に思っていたのかもしれません。ただ、姉さんのことだから両親のことは言っていなかったのだと思います」
写真立てに写る星井家の両親を眺めた時、雫は「お母様を見たのは初めて」と言っていたが、それもそのはずであった。真希は、その写真を写した時から3年後に白血病で亡くなってしまったからだ。
「姉さんは、僕にとって姉という立場でもあって母親代わりという立場でもありました。10歳に課せられる役割としては、あまりにも大きすぎます。僕は、その重責の意味を亡くなってしばらくは分からなかった。でも、姉さんは十分…いや十二分に果たしてくれました」
玲の目には、うっすら反射する光のような眩しさがあった。
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