第11話

思い出したくない記憶であろうと、衝撃が強いほどに簡単に引き出されてしまう。頭を埋め尽くす早さというものも圧倒的だ。どうして記憶とは、こうも制御が出来ないものか。


人の心というのは、儚さに弱い。胸を苦しめるのに、また味わおうとする。


その度に目を潤ませ、頬を濡らす。儚さに、緻密な芸術の表現にはない美しさを感じ魅了される。感情の層を重ねることに、人は身を委ねていく。そこに深淵な悲劇があろうとも。


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玲にとってエレンは特別な存在である。しかし彼女という立場としては考えたことが無い。いや、厳密にいえば「考えたくない」のである。


それは、エレンが彼女と呼ぶに足りない人だからということではもちろんなく、特別な存在という位置づけをしている時点で玲にとって重要な人物であることは言うまでもない。


ただ、大切な人が亡くなってしまった経験は、誰かを好きになる、誰かを愛するという感情や結論に強烈なブレーキを掛けるのだ。


昨年ぐらいだろうか。お互い中学生になって、二人がもう一歩踏み込んだ関係になるかならないか、という話で玲が口にした言葉がある。


「いつかまた悲しい思いを抱くことになる。であれば、僕は人と距離を取って孤独のまま人生の歩を歩み続る方が良いんじゃないかって思うこともあるんだ」



人は孤独だけが独占する世界で淡々と生きていくほどに強くはない。しかし、大切な人が亡くなっても心の内側まで平静を保てるほどに強くもない。苦しさばかり印象的に味わうように人の心が出来ているのは、あまりにも欠陥だと玲は思ったこともある。



玲とエレンは一緒にいる時間も長く、周りから見れば二人が付き合っているのではないかという噂も当然あった。その噂が誠だと信じている人も少なくなく、お似合いのカップルだと直接二人に口にした人もいた。


「えっ!二人って付き合っていないの!?」

「うん、わたしたちは友だちなだけ。薄々付き合ってる…なんて噂が広まっているのは気づいているけどね(笑)」

「なんでなんで!」


興味を抱くエレンの友だち。


エレン自身、付き合わない理由を言おうにも以前に玲が口にした言葉を思い出す。


「姉さんのことは、他の友だちには話さないでほしい」


付き合っていない直接的な理由を言うには、どうしても亜希の話は避けては通れないわけで…しかしながら、その話は口留めされているので、


「もう少し大人になったら、付き合わない?って話をしているの」


と嘘も交えながら、友だちとの会話をやり過ごしていた。


「玲君ならエレンのことを大事にしそうだし、話だって面白いし。何より格好良いのに…わたしがエレンの立場なら間違いなく付き合う!」


互いの内情を知らず、そんな簡単な話で人が付き合えるなら恋人関係というのは手軽なものだ。


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特に何か変わったこともなく放課後に。


「じゃあ、僕はこれで」

「また明日ね!」


玲はエレンに別れを告げて学校近くで待っているであろう雫のもとへ向かった。


校門を出て左に曲がって少し歩いた先にあるカフェ。そこは、屋内外どちらでもコーヒーを味わえる人気スポットで老若男女様々な人が訪れる。


雫は外の席、いわゆるテラス席で一人ノートパソコンを開いて何か作業をしていた。


「お待たせしました」

「あっ、玲君!お疲れ様。少し待っててね、すぐに課題を終わらせるから」


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「お待たせ!」

「いえいえ、大丈夫ですよ」

「朝、久々に会った時にも思ったけど、敬語じゃなくても良いんだよ!昔みたいに「しーちゃん」って呼んでも(笑)」

「さすがにあの頃は幼稚園児でしたからね。今とは立場が違いますし…」

「なるほど…ちょっと寂しいけど、それは玲君が大人になったって証ね」


玲が話題を変える。


「ところで、どうして雫さんは、この街へ?」

「春から、ここの大学に進学することになってね。結構時間が空いたから、この街も色々変わったね。引っ越ししてから一度も戻ってこれなかったから」


雫は今年の春から大学へ進学したわけだが、その進学をきっかけにこの街へ戻ってきたという。この地域全てを見回してもトップの大学であり、全国的に見ても偏差値で言えば上位。


「そういえば、姉さんも小学生の時にお試しで受けた試験で全国4位という成績を残したことがあったな」と思い返すと、そんな姉と親友関係にあった雫が壮絶な受験戦争を突破した現実には、納得できるものがあった。


そんなことを思っているうちに、雫は話を進める。


「この街に戻ること、実は怖かった…」

「姉さんのことで、ですか?」


玲はそう言うと、雫は静かに頷いた。


亜希のいない世界が与えた悲しみの大きさを玲の胸の中にある定規で測って玲なりに測ってみたものの、その大きさに対して考えが追い付かなくなっていく。

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