憎しみという感情の話③

 無遠慮に王城へ入り、堂々と廊下の真ん中を歩く。

 城の中はがらんとしていて、私の足音以外に音はない。

 閉めきられた城の中は空気が淀んでいて、広さに反して息苦しい。うっすらと辺りに漂う黒い靄は……正の感情のようには見えない。見たくなくて、読心の術を無理矢理切った。


 呼吸音さえ聞こえてしまいそうな静けさの中、彼は玉座で項垂れていた。

 乱れた白髪に、長く伸びて絡まった髭。それらは顔を覆い隠しているため、彼がどんな表情をしているかわからない。

 私は、彼に問うた。


「王子、アレキサンダー、ですか?」


 60年前、かつて私はこの国の王子に会った。

 私の魔法具を気に入り弟子入りを願った、変わり者の王子、アレキサンダー。

 彼かと思った。しかし、違った。


「それは、息子の名だ」


 白髪の王は私に顔を向ける。

 髪の隙間から見える群青の瞳は、憎しみを込めて私を睨みつけてくる。

 私はそれに警戒し、身構えた。


「ようやっと現れたか。黒魔女め」


 服の下から覗く手足は随分と痩せ細り、自分の体重さえまともに支えられないだろう。だが彼の声は重く、野太い。何処から出しているのか不思議なほどだ。

 アレキサンダーの父、国王ジョルノ。彼が、魔女狩りを指示しているに違いない。私を見る目付きが、それを証明している。


「どれだけお前を殺したかったことか……!」


 それ程までに恨まれるとは……

 

 心当たりがある。

 かつてこの国を訪れた際、私はアレキサンダー王子に懐かれ、「弟子になりたい」とせがまれた。

 しかし彼は非魔法ノン・スペルであり、病弱だった。魔法は想像力と生命力がもとだ。病弱な彼では、魔法を使うどころか、生命力をつぎ込みすぎて死にかねないと判断した。

 私は、それを本人に説明することなく、「弟子はとらない主義だから」と言って断った。


 何度も何度も断ったのに、アレキサンダーは最後の日まで諦めなかった。

 だから私は、誰にも何にも言わず、こっそりとこの世界を後にしたんだ。


「アレキサンダーは、お前が去った後すぐに、独学で魔法を学び始めた」


 王が語る話を、私は知らない。


「お前は息子に何を見せた。何故息子を誑かした。

 息子は何度倒れても、魔法を諦めなかった。自身の魔力を補う意思の宝石を手に入れても、まともに魔法を使えなかったというのにだ。

 結果、死んだ。学び始めてから2年と経たずにな」


 そうか。私が説明をしなかったばかりに、アレキサンダーは無茶をして、生命力が枯渇したのか。

 彼を殺したのは、私か……


 だが……


「ならば、私を恨めばいいだろう。魔女狩りなんて、なんの意味があるんだ」


 私は声を張り上げる。

 この世界の住人が、まるで八つ当たりのように殺されるだなんて、そんなこと許されるべきではない。


「魔女は敵だ」


「あなたの敵は私だけだ。国民は守るべき対象だろう」


 その時、見た。

 王の腕を飾る禍々しい黒のブレスレット。あれは、意思の宝石を加工したもの。

 袖からずるりと這い出てくる黒い靄は、王の腕に巻き付き、実体を得る。ドロドロとした、ヘドロのような、穢らしい……何か……生き物のように脈打つ様は、あまりにグロテスクで気色悪かった。


「ならば、死ね」


 王は私に手のひらを向ける。同時に、ヘドロが私に襲いかかってきた。

 杖を取り出そうとして、思い出す。今日は魔法具を全て置いてきたのだった。

 杖の代わりに人差し指を振る。指先から光が溢れた。


 太陽光を模した光線を、ヘドロに照射する。ヘドロは弾けるように辺りに散らばった。

 二発目の光線を、王の腕目掛けて撃つ。しかし溢れるヘドロはそれをものともしない。グチャリと水を含んだような音を立てて地面に落ち、こちらへ這ってくる。


「憎しみ、か……くそ」


 あれは、憎しみの宝石だ。王が持つものはあまりに力が強すぎる。魔法使いではない王では制御しきれず、暴発してしまっているんだ。

 王は先程から「憎い……憎い……」と呟いている。誰に言うでもなく、だ。

 王の意思も、宝石の力に飲み込まれて、憎しみで塗りつぶされているに違いなかった。


 ここまで憎しみの宝石に囚われているなら、手の施しようがない。

 私が王を殺すか、王に私が殺されるかだ。


 空の顔が頭に浮かんだ。


『魔女さんは悪いことしないですよね? いなくなっちゃわないよね?』


 昨夜そう言った、空の真剣な顔。濁流のように押し寄せた寂しさの感情。

 空の師匠でいるためには、どちらの選択もしてはいけない。空を裏切ってしまうことになる。

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