憎しみという感情の話②
空が明るくなってから、私は行動することにした。
普段の黒いワンピースではなく、
いつもの杖は、目立つから置いていく。魔法具も持っていけない。まあ、いざとなれば自分の魔法で何とかするさ。
「外には出ないこと。自分の部屋で大人しくしてること。いいね」
空に何度も言って聞かせる。魔女狩りが本当に行われているのなら、空も危険なんだ。隠れているのが一番いい。
空は何度も頷いて、不安げに辺りを見回していた。ブラウニーを探しているらしい。
「ブラウニー、空のこと、頼んだよ」
ブラウニーは私のそばに居たようだ。カウンターに置いてあった『魔法のマッチ』の小箱が三つ、ふわふわと空の元へと移動していく。
「昼までには帰るよ」
空は、ブラウニーから受け取ったマッチ箱を握りしめ、泣きそうな顔で私に言う。
「早く帰ってきてくださいね」
私は笑って片手を振る。そして、星降堂を出た。町外れから、町の大通りへと歩いていく。
町は陰鬱とした雰囲気だった。
大通りを歩いているというのに人気がない。人はまばらで、挨拶はない。耳障りなヒソヒソ声が、時折耳に入るだけ。
煉瓦で覆われた大通りは温かみのある橙色、しかしそれがくすんで見えてしまうくらいに、町は全体的に煙っていた。
この煙は……おそらく、私にしか見えていない。
多数の不安や恐怖、そして憎しみが、煙となって町を覆いつくそうとしている。
「おい、あんた」
声をかけられ、振り返る。そこには、昨日星降堂に来た騎士がいた。
相変わらず鎧に身を包んでいて、動くとやたらカシャカシャうるさい。
「迂闊に出回るな。死にたいのか」
小声で話しかける騎士に、私は伝達の術を使った。
『私を心配してくれるとは、ありがたいねぇ』
騎士はぎょっとして私を見る。
『私は魔女だ。昨晩私を見逃したということは、君は魔女狩りに反対しているんだろう?』
騎士は目を泳がせる。
魔女狩り反対だなんてこと、大っぴらに言えないのだろう。騎士は迷っている。どう答えるべきか。むしろ答えないべきか。
ようやく騎士は頷いた。小さく、一度だけ。
「処刑だ! 処刑が行われるぞ!」
カン、カン、と。鐘を鳴らしながら練り歩く男が現れた。
大通りに疎らに散らばっていた人々が、肩を震わせて男を振り返った。男は顎をしゃくって人々を誘う。
踵を返す男の後ろを、人々はおそるおそるついて歩く。断るわけにはいかない。着いていくしかない。
子供はいなかった。まぁ、当然だろう。処刑だなんて物騒なもの、子供には見せられないから。
大通りを進んだ先、大広場までやってきた。
広場中央に木材が積み上げられ、そこに一人の女性が縛り付けられていた。複数の兵士に囲まれて、頭を垂れてうなだれている。暴行されたのだろう。顔は腫れ上がり、手足は傷だらけ。服には赤黒い血が滲んでいる。
男性が叫ぶ。「マリー!」と、女性の名を呼んでいる。しかし誰も助けようとしない。兵士が恐ろしいのか。
鐘を叩いていた男が、羊皮紙を広げて罪状を読み上げる。夫がいる身でありながら、魔法を行使し、一人の兵士を誑かしたとか。よって、火炙りの刑だとか。
馬鹿らしい。本物の魔女ならば、こんなに大人しく縛られているはずがないじゃないか。
「火をつけよ」
兵士の一人が、松明を掲げて女性に近寄る。女性は金切り声を上げ、身をよじって逃げようとする。
『助けないのかい?』
騎士にテレパシーを送る。騎士は歯を食いしばるけれど、動こうとはしなかった。
怒りの色である赤い棘は見えているんだけどね。
『なら、本物の魔女である私がどうにかするけど、それでいいね?』
騎士はなおも口を開かず。
実に情けないね。
「水よ」
一言、唱える。
空中に水の球が生まれる。それを指先一つで動かして、兵士の頭にぶつけてやった。
「ぶべっ! な、ん……」
水の球は兵士を包み、松明の火を消してしまった。
続けて水の球を生み出して、女性の頭上で破裂させる。彼女の周りは霧雨で覆われ、全ての木材をぬらしきってしまう。
兵士も、町の住人も、私を見て目を丸める。私は魔女のテンプレ通り、怪しく笑ってみせた。
「くひゅひゅ。その女が魔女なもんか。魔女ならこのくらいはできるはずだからね」
あえて、悪役然として、魔法を振り撒く。
想像する。この大通りを通り抜け、王城まで安全に向かうには、どう切り抜けたらいいか。
辺りに霧雨を降らせる。それが触れた人間から、次々に深い眠りに落ちる。住人全て、例外なく。
縛り付けられた女性は解放し、地面に寝かせてやった。
「さて……」
王城に進む。緊張と少しの恐怖が、私の中で燻っている。
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