愛情という感情の話④

「君が焦ってるのは、それが理由か」


 内面を気取られないように、いつもの調子で呟く。


「変だと思った。いつもの君なら、他人にあんな態度は取らないし。ほんと君は、私が関わると駄目になるんだから」


 私のせいで不満を抱えるなら、いっそ私を諦めればいいのに。


「そりゃ、駄目になるだろ。お前に惚れてんだから」


「……私は、君につり合わない」


 そう言って口を閉じる。

 唇を噛む。


「いつもそれだ。

 俺は、お前を全部受け止める覚悟ができてる。お前の過去はわかんねーけど、それがお前を諦める理由になると思うな」


 タクは私を真っ直ぐ見つめる。その真っ直ぐさが愛しくて、とても、苦しいんだ。


 先生と彼、両方選べたらいいのに。

 そしたら、こんなに悩まなくて済むのに。

 彼のプロポーズを拒否するなんて、したくないんだ、本当は。


 でも、先生から許されたい自分もいて。

 だから、私は……


「ごめん……今は無理だ」


 また、引き伸ばすのか、私は。

 よくこんな残酷なことをできたものだ。私はどうやら、本当に幸せになってはいけない人種らしい。


 タクは深くため息をつく。驚きも、落ち込みもしない。まるで、最初から私の答えを知っていたかのように。

 感情を盗み見る。水面のように揺れ動く桃……槿花色むくげいろ。この、感情は……?


「まぁ、そう言うと思ってた」


 それは、どういう意味なんだろう。


 ✩.*˚


 ブラウニーからもらったコーヒーを飲みながら、私達は空を待っていた。

 ブラウニーは、久しぶりにタクと会えて嬉しいらしい。クッキーやガナッシュ、フィナンシェといった焼き菓子をタクに次々渡している。タクはブラウニーから焼き菓子を受け取って、美味しそうに食べていた。


 先程の会話なんてなかったかのように、タクは笑って、ブラウニーと話している。でも、先程の槿花色むくげいろはまだ彼の周りを漂っていて、感情に変わりがないことを私に知らせる。

 怒りではない。失望ではない。あんな色の感情、見たことない。

 いや、昔、ちらっと見たかもしれない。その時もやっぱり、タクの周りを煌めいていたような気がする。

 優しい色だから、正の感情であることは、間違いない。と、思う。


「なぁ、空のやつ、遅くね?」


 タクが言った。私は懐中時計を取り出して、時間を確認する。

 空が探索に出かけて、45分経っている。そろそろ戻ってきていい頃合なのに、空は顔を出さない。

 まだ時間に猶予はあるけど、ちょっと心配だな。


「夢渡りの扉を見てくるよ。タクはここで待ってて」


 私は立ち上がり、階段に向かう。

 タクも椅子から立ち上がって、私の後ろを着いてきた。


「空のことだから大丈夫さ。待ってていいよ」


 私はタクに言うけど、タクは首を振って呟いた。


「いや、何となく胸騒ぎがしてな」


「胸騒ぎ?」


 階段を上がり、夢渡りの扉がある部屋へ。


 部屋のドアを開ける。

 そこにあるのは姿見。成人男性の高さ程の、楕円形の鏡だ。

 これが、夢渡りの扉。ただの鏡ではなくて、他人の夢に入るための魔法具だ。

 本物の姿見であれば自分の姿を映す鏡面、そこには空が入り込んだであろう夢の景色が写っていた。


 空は赤黒く、蝙蝠が飛ぶ。地面にはマグマの川が流れていた。

 溶岩が冷えて固まった不安定な足場を伝い、空と少女が走ってくる。その後ろからは、悪魔のような姿をした化け物が二人を追いかけていた。


「空!」


 ここは悪夢だ。空が手を繋いでいる傷だらけの少女、その子の悪夢に入り込んでしまったんだろう。

 優しい空のことだ。少女を放っておけず、一緒に逃げ惑っているに違いない。夢渡りの扉こちらに走ってくるということは、少女を夢から逃がしたがっているのだろう。

 だけど。


「空、ダメだ! そいつは連れて出られない!」


 タクが叫ぶ。

 彼の言う通りだ。ここが少女の夢の中なら、少女自身を連れて出ることはできない。それをしてしまうと、少女の体から魂が抜けてしまうからだ。

 空は立ち止まる。泣きそうな顔で、「でも……」と呟く。空は少女を助けたいのだろうけど、如何せん時間が足りない。

 私は声を張り上げる。


「空だけでも戻って来るんだ。早く!」


 他人の夢に入って一時間が計画したら、夢渡りの扉は閉じてしまう。空を、母に会えないまま悪夢の中に閉じ込めるだなんて、私は嫌だ。


「これ以上は時間の猶予がない! 今回は諦めて、自分を優先しなさい!」


 手を伸ばす。

 空は手を伸ばさない。少女を振り返り、首を振る。


「空君、いいよ。私は大丈夫」


 少女は首を振って空に言った。ぎこちない笑みを浮かべて。

 空は首を振った。


「イヤだ! 目が覚めたら終わるんだとしても、僕は君をここに置いて行きたくない!」


 空を叱ろうと口を開ける。どんな理由があるにせよ、自分を粗末に扱うのは駄目だ。

 

 私よりも先に口を出したのは、タクだった。


「いいこと言うじゃねーか」


 タクは夢渡りの扉をくぐった。悪夢に降り立ち、すれ違いざまに空の頭をなでた。

 タクが両手を握る。手の甲を覆う篭手から鉤爪が伸びる。


「そうだよなぁ。ここで諦めるのはちげぇよな!」


 タクは猫のように身を屈め、地を蹴って飛び出す。鉤爪を真っ直ぐに突き出して、化け物を貫き、切り裂いた。

 化け物は叫び声を上げる。しかし先の攻撃は致命傷にならない。化け物は、懐に潜り込んできたタクを捉えようと、長い腕をしならせた。


「護れ!」


 呪文は省略する。

 私の魔法により透明な盾が浮かび、化け物の腕を跳ね返した。タクは、盾と地面との隙間を抜けて、化け物に体当たりを食らわせた。


「空、今だ!」


「ぼ、僕?!」


 タクに言われ、空は慌てる。そりゃ慌てるだろう。攻撃の魔法は、数えるほどしか教えてない。


「空、唱えなさい」


 だから、私が手本になろう。


「降り注げ流星、光を散らし、かの物を打ち滅ぼせ」


 難しい言い回しかもしれない。しかし、空なら大丈夫だ。『空』の名を持つならば、少々呪文が乱れようとも、星が力を貸してくれるはず。


 空がニワトコの杖を掲げる。杖先に光がともる。


「降り注げ流星! 光をちらし、あの化け物を打ちほろぼせ!」


 杖から溢れた光は天を貫く。

 呼応した流星は光を放ち、化け物に向かって落下していく。

 化け物はその身に光を受け、叫び声を上げながら霧散して、消えた。


「……すげぇ」


だからね。星が味方してくれた」


 悪夢は取り払われた。

 マグマの川は、水の川に。

 溶岩の大地は、花が溢れる大地に。

 赤黒い不気味な空は、晴れ渡る青空に。

 

 少女の怪我は取り払われ、笑顔を取り戻した。


 本来の夢は、美しい情景だった。化け物の影がなくなったその夢は、とても、とても穏やかだった。


「空君、ありがとう!」


 少女は空に礼を言い、花を差し出す。

 それは、美しいガーベラの花だった。

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