執着という感情の話④
一閃、煌めく。
体を仰け反らせて避ける。
ぱらりと髪が落ちた。
「へぇ……」
コンラッドが笑う。
「俺と同じじゃないですか、店主さん」
前髪を手で撫で付ける。先程、コンラッドが振るったダガーは私の前髪を刈り取っていった。
右目が、視界が、明るすぎる。額がチリチリと痛む。
「その目」
「生憎、これは自前だよ」
見られようと、言い当てられようと、別にかまわないことだ。だけど、奴が笑うのは気に食わない。嘲笑っているみたいじゃないか。お前のそれは借り物のくせに。
一度、二度。奴が腕を振る度、ダガーが閃く。
魔法で光の盾を作り出し、防御する。見た目に似つかわしくない、鋭い音が耳をつんざく。
ダガーが届く距離なんて、近すぎる。どうにか離れられないものか。
「店主さん、慌ててるでしょ」
コンラッドが笑う。
閉心で感情を隠しているというのに、奴はそう言った。
私は、口の端を持ち上げ、へらりと笑う。
「さあ、どうだか」
拳を突き出す。
コンラッドは咄嗟に身をかわし、私の拳を避けた。
生憎、ね。殴ることが目的ではないんだよ。
「光れ」
拳を解き、握っていた妖精の鱗粉を解放する。そこに、私の想像力を、ほんの一滴。
パァン……と音を立て、鱗粉が膨張した。辺りには、目を突き刺す程の眩しい光が広がる。
コンラッドはたまらず顔を両手で覆った。
私の赤い
「水の眷属よ、我が声に合わせ、踊り給え」
大気中から、四匹の青蛇が生まれる。それらは踊るようにコンラッドへと飛びかかり、細い体で奴の手脚を締め上げた。
「あぁ、店主さんが慌てる理由、わかりました」
ヤバい。そう感じて、私は地面に伏せた。
「大地よ!」
呪文は省略する。
土が盛り上がり、簡易の盾が出来上がる。
出来上がると同時に、強風が襲いかかる。風だけではない。不可視の刃が、土の盾に叩き付けられた。
土の盾はバラバラと砕け散る。すんでのところで間に合ったことに、私は安堵した。
「人を殺す想像、したことないですか?」
コンラッドは言う。目を何度か瞬かせていたが、既になんでもないような顔をしていた。おまけに、奴に向けて放ったはずの四匹の青蛇は、先の鎌鼬で切り刻まれ、見るも無惨な姿で転がっていた。
「店主さん、人殺しの魔法、苦手でしょ」
コンラッドが中指を立て、私に見せつけた。
こいつ……中指の先に意思の宝石を埋め込んでるじゃないか。黒に近い緑……憎しみとは……また、趣味の悪い宝石だ。
大気が荒れる。強風が林を抜ける。朽ち落ちた葉を巻き上げて、つむじ風が私に襲いかかる。
慌てるようなものじゃない。そう。落ち着いて対処すれば大丈夫だ、おそらくは。
「来たれ
呪文は省略する。
頭に描いたのは、いなさの風。力強い風は、向かい来るつむじ風にぶつかり、両者かき消される。
かに思えたのだが。
「呪文はしっかり唱えないと駄目ですよ」
コンラッドがニヤリと笑った。
「ディアスポラの竜よ、命散らされた風竜の意思よ。
今我が命ずる。かの者を討ち滅ぼし給え」
つむじ風は、大きさも勢いも増していく。
私が作り出したいなさの風は、つむじ風を打ち消すどころか、勢いを殺されてしまった。
言霊だ。
言葉には力が宿るんだ。
魔法を使うには、想像力と生命力が必要。その結びつきを助けるのが呪文だ。
呪文を唱えることで魔法は強まる。攻撃魔法であれば、威力が高まる。
だが、呪文を唱えるには時間がかかりすぎる。だから普段から呪文を省略していたんだが……今はそうも言ってられないようだ。
あのつむじ風は、辺りのものを無差別に飲み込んでいる。木の葉も、岩も、木の枝さえもむしり取って、かき混ぜている。まるで、ニホンにあるミキサーとかいう機械みたいじゃないか。
巻き込まれたら、命はないだろうね。
仕方ない。
私は、竜王の杖を強く握った。
千年生きると言われる魔女の生命力、好きなだけ取っていくといい。
「紺碧の海よ
光り輝く泡沫よ
水鏡に封じたる星の意思を解放せよ
水面を揺蕩う銀鱗よ
海神の暴君となり、具現せよ」
竜の赤眼が煌めく。
大気中から水を吸い上げ、作り上げたのは
つむじ風はようやく勢いを無くし、辺りに木片と岩を撒き散らして消えた。
「わあ、すごいですねー。流石は魔女といったところでしょうか。
ですが、やはり俺に対して直接何か仕掛けるのはお嫌いなようで」
気付かれている。私が、攻撃らしい攻撃をしかけていないこと。
「魔法は、あれでしょ。想像力が大事でしょう。店主さんは一向に、直接的な攻撃をしかけてこない。それって、想像してないからですよね?」
この時、私はコンラッドの言葉に気を取られた。
「駄目ですよ。他人を見くびるなんて」
突然、私の足に何かが巻きついた。
驚いて足元を見る。なんだ、これは。茨か?
「デリーの竜よ、かの者に呪いを。
恨みつらみを向けるに相応しきは、かの黒魔女」
茨が、あっという間に脚に絡みついていく。
まずい。非常にまずい。
「四肢を縛れ、傷付け、血を流せ。
その血で憎しみの心を潤せ」
奴は唱え続けてる。
茨が両腕に絡みついて、ほどけない。
「舞え焔よ」
炎で茨の表面を炙ってみるものの、茨が怯むはずがないし、火力を強めたら私まで燃えてしまう。
「風よ」
鎌鼬を呼び出してみるが、茨が切れるよりも、茨に縛られる方が早い。
かくなる上は、術者であるコンラッドの命を奪うか、気を失わせるか。
奴の首が飛ぶところを想像する。
奴の勝ち誇った間抜け面が、鎌鼬によって体から切り離されて吹き飛んでいく様……
村を逃げ出した、あの日。
私の首を狙って、振るわれた剣は。
私を庇った母の首を……
「ぐ、ぅ……」
喉奥にせりあがってきた、胃液の酸味に嘔吐く。
思い出した。思い出してしまった。
だめだ。だめだ。思い出すな。
「あ、なるほど。店主さんが戦闘苦手な理由、わかりました」
思考がトラウマに塗り潰される。
茨に引っ張られ、地に伏せる。
頭を垂れて、許しを乞うかのような、情けない姿で屈服させられる。
全く……屈辱的だね……
「見くびられてたんじゃなくて、怖がられてたんですね。家族の死に様を思い出すから」
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