執着という感情の話③

 欠伸を噛み殺しながら、魔法具の梱包をする。

 澄み切った青空が窓から見える。天気がいい。

 

 私は空を連れて、日中に配達を行うことにした。

 昨日コンラッドとかいう狂人が来たのは、日が傾いて暫くしてのことだった。星降堂ほしふりどうの営業が夜だと知られている可能性が高い。となると、日中おちおち寝ていられない、というわけだ。寝首をかかれるかもしれないからね。


「空、準備はできたかい?」


 空を呼ぶ。

 空は今にも落ちそうな瞼を必死に開けて、眠気と戦っている。なんとも呑気なものだ。


「ほら、手つないで」


「……はい……」


 いつもはしないけど、今日ばかりはね。

 魔法具が入ったトートバッグを肩にかけ、店を出る。


 陽光が町に降り注ぐ。

 小さな町だ。木造の小さな家がひしめいて、大通りには露店が立ち並ぶ。時折、荷台を引く小柄な馬が足音を立てながら通り抜け、砂ぼこりが舞い上がる。

 空は、うっかり砂を吸い込んだらしい。ゲホゲホと咳き込んでいる。


「うぇ……口ざらざらする……」


「ポカンと口を開けているからだよ」


 手書きの地図を眺めて、お客様の家を確認する。町の外れにあるらしい。かなり歩くかもしれないね。


「空、しっかりしなさい」


「あ、うん……いや、はい……」


 賑やかな大通りを歩いて、市場を抜ける。

 脇道にそれる。かなり狭く、急勾配な道だ。上り坂になっている道を、しっかり踏みしめて歩く。

 空に歩幅を合わせていると、普段以上に疲れてしまうね。まぁ、気疲れもあるけれど。

 一時間ほど歩いたところで、空はギブアップした。


「魔女さん……ちょっと、休憩したいです」


 空が言う。

 私は……休憩したくない。早く配達を終わらせて、帰り次第すぐにでも姿をくらませてしまいたい。


「おやおや、もうギブアップかい?」


「だって、もう一時間も歩いてますよ」


「時間よりも距離を見るべきだ。あと、たったの1マイルじゃないか」


「マイルって何ですか?」


「聞いたことないかい? 飛行機に乗るとよく聞く言葉だよ」


「飛行機に乗るほど、マイルが貯まるって聞きます」


「そうそう。乗れば乗るだけマイルが貯まる。マイルが貯まると得だと言うじゃないか」


 あえてズレた会話をしながら、空の手を引く。

 たわいないお喋りで気を引かないと、疲れや眠気で倒れてしまうだろうからね(それに、説明が面倒だし)。


「えっと、それで、マイルって何ですか?」


 ……誤魔化せなかったか。


「距離の単位だよ」


「距離……」


 うーん、これ説明しないと駄目かなぁ。


「あとどのくらい歩くんですか?」


 仕方ないね。


「1マイルは、だいたい1.6キロメートル。メートルはわかるかい?」


「え、1キロ……以上……」


 あ。困惑の色だ。黄色と赤色がくるくると回ってる。

 まぁ、1マイルなんて大した距離じゃない。30分もかからないじゃないか。


「だから、あの林を通っていくよ」


 私は前方を指さした。

 上り坂を上がった先、木の葉が鬱蒼と茂る林が目の前に現れた。林とは、人の手が入った森林だ。この林も例に漏れず、地面も木々も綺麗に整えられていた。


「この林の奥に、お客様の家がある。もうひと頑張りだよ」


「えぇ~……」


 いつも素直な空が、珍しく抗議の声を上げた。

 寝ていないし疲れているし、仕方ないのだろう。


「おんぶしようか?」


 声をかけると、空は首を強く振った。

 たまには優しくしてやろうと思ったのに。


 ✩.*˚


 弟子を背負って林を歩く。

 空はやはり疲れていたらしく、林に入るとすぐにフラフラし始めた。仕方ないね、等と言いながら空を背中に。寝息を立てることはなかったけれど、小さな声で「お母さん」と呟いてる。寝ぼけてるのか?


「私は君のお母さんではないんだけどね」


 自嘲する。

 母親に間違われるなんて、ギャグじゃないんだから。


 そういえば、故郷から逃げる時も、こんな道を通ったっけ。いや、ここよりもうんと暗くて鬱蒼としてたけど。


 背後から飛んでくる攻撃魔法をかわしながら、力の限り走った。

 攻撃魔法なんて私は苦手だ。

 魔法は想像力。想像力は攻撃力に直結する。つまり、攻撃する瞬間、それによって得られる結果を想像しなければならないから。


 想像力が強い私には、それは酷だったから。

 

 だから私は、ただ走って逃げたんだ。身を守ることもせず、ただ遠くへ。


「店主さんの感情は、随分と苦くて深いのですねぇ」


 声が聞こえた。肌が粟立つ。

 咄嗟に閉心の術で感情を消した。


「誰だ」


 立ち止まり、警戒する。

 聞かずとも、誰かはすぐに分かった。コンラッドとかいう、あの狂人だ。


「出てこい」


 その瞬間、足が掬われた。

 逆さに吊られそうになり、私は空を手放した。即座に空を包むバリアを張る。

 光と共に現れたバリアは空を包んで、ゴム毬のように地面を跳ねる。空はバリアの中で「ぎゃっ!」と悲鳴を上げていた。

 まぁ、大丈夫だろう。怪我はしないはずだ。


 一方私は、片足がロープに縛られて、逆さ吊りという不名誉な状況になっているわけだが。


「残念」


 大木の枝からコンラッドが見下ろしていた。

 どうしてくれようか、こいつ。


「お遊びに付き合ってる暇はないんだ。他所をあたってくれないか」


 ロープを魔法で解いて、風を身に纏う。ふわりと落下し、着地した。突然引っ張られた衝撃で足首が痛い。

 コンラッドは、ひょいひょいと枝を伝って地面に降りると、私に詰め寄り見下ろした。


「生憎、お遊びじゃないんで」


 金に煌めく義眼が不気味だ。

 ちらりと空を振り返る。空は立ち上がって杖をかまえている。戦うつもりか?

 確かに簡単な攻撃魔法は教えているけど、それは自衛のためだ。戦うためじゃない。

 何より、魔法使い見習いである空がかなう相手じゃない。


「空、これを」


 空にトートバッグを投げる。空は慌ててそれを受け止めた。

 中身は繊細な魔法具だ。だから、空がそれを落とさないことはわかっているし、それを受け取ったなら、私の指示を守るはずだ。


「空は配達に行きなさい。いいね」


「え、でも……」


「私は、こいつと戯れ合ってから行くよ。その間、魔法具が壊れてはいけないだろう」


 口の端を吊り上げて、ウィンクしてみせる。なんてことはないという風を装う。

 装うのは得意だ。だから、行きなさい。頼むから。


「魔女さん……ごめんなさい!」


 空は走る。

 コンラッドがそれに手を伸ばしたが、そうはさせない。奴の手を掴み、捻り上げる。

 空は振り返らず、林を駆け抜けていく。それでいい。


「えー……めんどくさ……」


 コンラッドの目がこちらを向いた。

 めんどくさいのはこっちの方だ。

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