執着という感情の話

執着という感情の話①

 空が星降堂ほしふりどうに来て……そうか、だいたい三ヶ月経つのか。

 今日もあれやこれや魔法の質問をしてきて……まぁ、しつこい。流石に掃除中くらいは静かにできないかな、我が弟子よ。


「魔女さん、昨日教えてもらったケガを治す魔法、あれ何で使っちゃダメなんですか?」


 空がたずねてくる。ああ、教えたはいいけど、使うなと言っておいたあの魔法か。

 教えるというのは実に面倒だ。やっていいこと、悪いこと、やらない方がいいことも、満遍なく教える必要がある。治癒の術は、空にとっては「やらない方がいいこと」だ。

 なぜなら。


「ケガを治すには、自分の生命力をかなり使うからね。無闇矢鱈に使ったら駄目だよ」


 見習いの魔法使いである空には、まだ早い、ということだ。子供の生命力は安定しないし、空の熟練度では、生命力をつぎ込みすぎて倒れかねないからね。

 だけど、空にはピンときていないらしい。


「でも、早く治った方がいいですよね。痛くないし」


「君は『天秤にかける』ということをしないね。ケガが綺麗に治っても、生命力がなくなったら本末転倒じゃないか」


 ため息混じりにそう言うと、空は首を傾げてしまった。


「あー…………」


 空の強い感情が、私の視界を埋め尽くす。

 薄く靄がかかり、空の体を覆う。色は灰色。疑問の色。そうだ。相手は十一歳の子供。難しい言葉はわからないだろう。

 咳払いを一つ。ここは易しい言葉で説明してあげるとしようじゃないか。


「つまり、ケガが治っても、生きるための力がなかったら死んでしまうんだよ。ヒトってものはね」


「……? どういうこと?」


「うーん……」


 ニホンでは医療や科学が発展してるから、生命力がないために死ぬということは稀だ。だから、ピンと来てないんだろう。


「とにかく、使っちゃ駄目だよ」


 そういう時は、師匠という役割を振りかざして黙らせてしまうに限る。空は納得できてないものの、「わかりました」と言って掃除に戻った。


 他人の感情を覗く、読心の魔法。二百年ほど前に習得したものだけど、習得するべきではなかったと今は思う。私は、魔法のコントロールがやや苦手だ。必要でない時にも、うっかり魔法が漏れ出てしまう。そのため、この魔法を習得して以来、ふとした瞬間に他人の感情が視界にちらつくようになってしまった。

 空はどうも、感情が忙しなく揺れ動く子のようだ。空に初めて会ってからは、彼の感情が色となって、いつも私の視界の中で明滅する。何とも煩わしくて、自分一人の時間が欲しいと思うことさえある。

 まぁ、弟子をとってしまった時点で、静けさを捨ててしまったようなもので。仕方ないと割り切ってはいるけれど。


「ブラウニーは閉心の魔法が上手くて助かるよ」


 ちょうどコーヒーを持ってきてくれたブラウニーに礼を言う。感情すら見えないブラウニーは、コーヒーカップをゆっくり横に動かして返事をしていた。

 カップを二つ受け取り、空の名前を呼ぶ。


「ブラウニーがカフェオレ持ってきてくれたよ。ちょっと休憩しよう」


 掃除をしているであろう空に呼びかける。

 しかし、売り場を掃き掃除していた弟子は、姿を隠してしまっていた。


「外に行ったのかい?」


 再度、呼びかける。

 きらりと、視界に色が煌めく。トゲトゲしい銀の針が漂っている。拒絶か、困惑か……空の感情に違いない。困り事でも起きたか。

 カップをカウンターに置いて、店の外まで向かう。


「どうしたんだい」


 店の外に顔を出す。そこにいたのは、困り顔の空と、一人の男。


「魔女さん、あの……」


 空は私を見上げる。助けを求める時の空はいつもそうだ。私の顔を見るけれど、幼い故に感情の言語化ができない。助けてくださいと言えばいいだけなのに。


「私が代わりに話を聞こうか」


 空を後ろに隠して、私は男と向かい合った。


 男は黒い長髪。オッドアイ。片目は黒色で、片目は……


「……おや……?」


 義眼だ。黄色の宝石が、眼窩に埋め込まれている。

 この黄色の義眼は、もしや……


「君が店主さん?」


 男はニッと笑って私に問いかける。私は「そうだよ」と返事して、改めて彼を見た。

 長めの黒髪を一つに結って、肩に垂らしている。風貌は普通のヒトであったけれど、彼の義眼がどうも気になる。意思の宝石を、それも、他人の嫉妬の宝石を体に埋め込んでいるだなんて、珍しい。


「何かお探しかな?」


「僕、意思の宝石を集めてまして」


「意思の宝石を?」


 珍しいどころか、おかしな奴だ。 

 私は、彼の義眼を再び見つめる。


 元が誰のものかはわからないけど、それは嫉妬の宝石だ。負の感情は力が強すぎて手に余る。暴発しないように抑え込むので精一杯のはずだ。

 それなのに、それ以外にも、意思の宝石が必要だっていうのか?


 そう考えていると、突然、ぞわりと不快を感じた。

 これは……感情を読まれている……?

 この男は、どうやら読心の術を使うらしい。何のために?


 私は咄嗟に心を閉ざした。他人から感情を覗かれないための、閉心の術だ。

 男の眉がぴくりと動く。不快感はなくなったが、男の表情が気になって仕方ない。 


「ああ、これもそうですけどね。僕、コレクションしているんですよ」


 男は表情を変えない。私を警戒し始めたか……


 ……そもそも、負の意思を宝石として手に入れるなんて、理性ある魔法使いならしないことだ。

 強すぎる魔法は、生命を脅かす。生命力を根こそぎ吸い上げてしまうからだ。

 だから、手練の魔法使いでも、負の意思の宝石を手に入れようだなんて、そんなリスクを負うような真似はしないんだ。なのにこいつは、嫉妬の宝石を義眼にして、眼窩に埋め込んでいる。

 魔女としての直感が、こいつとは関わるなと言っている。


「残念ながら、意思の宝石は取り扱ってないよ」


 私は鼻で笑ってそう返事する。

 この客には早々に立ち去ってもらいたい。だから、わざと失礼な態度をとって男を追い払おうとした。


 くいくい、と。空が私の袖を引く。

 私は空を振り向いた。


 空が私に感情を見せつける。黒い棘は恐怖心、そして、疑心。

 この子は、私が心の声を完全に読み取れると思っているのだろう。だが、私の読心は見る術だ。完璧じゃない。だから、空が怖がっていることしかわからない。

 何を伝えたいんだ、この子は。


「いえ、意思の宝石を買いに来たのではなくて。

 貰いに来たのです」


 男の言葉に、私は眉をひそめた。

 貰いに来た、とは……


「その子から、希望の宝石をね」


 希望の宝石、か。

 まあ、驚くようなことじゃない。この男は読心の術が使える。そして彼は、空の感情を読み取ったんだろう。

 私も初めて会った時に思ったものだ。空の心の奥底にある希望は、他人より大きい。空に接触した理由もわかる。


 しかし、空が怯えている理由はなんだ?

 この男、空に何かしたのか?

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