憂慮という感情の話③

 ややあって、「通れ」と声が聞こえた。私は立ち上がり、孔雀石の崖下を歩く。

 片側は岩壁、片側は森に挟まれた、岩肌の道。暫く歩いていると、岩壁にぽっかりと開いた洞窟を見つけた。

 ここが、ニューニの住処。


「失礼いたします」


 私は、注意深く目を凝らしながら、洞窟の中へと入る。中もやはり、孔雀石が足元に転がっていた。

 さほど歩かないうちに、が現れた。


 顔は人間、首から下は緑色の羽に覆われている。足は火食鳥のように太く、爪が鋭い。そして尾羽根には、幾つもの目玉模様が描かれていた。

 鳥の幻獣、ニューニ。気に入った子供の魂を奪い、腹の中に隠す。魂を隠された子は気が触れたようになってしまう。


星降堂ほしふりどうの黒魔女よ。此度は何用で参ったか」


 ニューニは、首をぐるんと回し、首を真横に傾けて尋ねてきた。人間の顔でそんな仕草をされると、不気味で仕方ない。

 そんな感情は閉心ですっかり隠してしまう。そして、再び跪いてニューニに請うた。


「空の魂を返してください」


 私は、多くのニューニがするように、空の魂を隠されてしまったのだろうと考えた。


「魂を……?」


「魂を抜き取り、隠す魔法をかけた。違いますか?」


 ニューニは翼で口元を隠し、クスクスと笑った。

 貴婦人がするように、仕草は優美。だが、その顔は夜鷹のように不気味に目を見開いている。


が魂を隠すのは、気に入った子だけ」


 何だって……?


の弟子は無礼者。故に呪った」


 ……そうだ。

 殆どのニューニは、の魂を隠し、自分のものとする。だから、縄張りにうっかり足を踏み入れ、ニューニを怒らせたのだとしたら、嫌われることはあろうが、気に入られはしないだろう。

 だから、ニューニは空にをかけたんだ。空の魂じゃなくて、体に。死の呪いを。


 ただ縄張りをかすめただけだろう。雄叫びによる主張テリトリーコール魔法の印ルーンも無いのに、縄張りだとわかるはずがない。自分で目印マーキングをしない癖に、縄張りに立ち入ることは嫌うのか

 そんな身勝手な理由で、年端もいかない子供を、呪うだなんて。


「弟子を助けたい?」


 ニューニが尋ねてくる。私は頭を垂れ、ニューニに言う。


「お願いします。許してやってください」


 暫く跪いていた。ニューニは気味の悪いガラガラという声を出しながら笑う。


「黒魔女は、に何をしてくれる?」


 私は顔を上げた。

 ニューニの顔が、私の目の前にあった。それこそ、鼻と鼻がぶつかりそうな程の近さだ。私は無表情を徹して、決して閉心を崩さず、ニューニの金色の目を見つめ返す。

 ニューニは、私の感情を読もうとしているだろう。しかし、そう易々と読ませるわけにはいかない。


 私の怒りや焦りを、相手に読まれてはいけない。


は、の宝石を欲す。拒否をするなら、手か足を寄越せ」


 ニューニは私の右目を見つめた。


 私の赤い右目は、私の意思――虚しさ――の宝石だ。自身の右目を失った幼少期、自前の宝石で代用したものだ。だから、これを失ったら、私は右の視力を失うことになる。

 右目を拒否するなら、私の手足。手も足も、失うのは困る。特に手は、魔法具を作るために失うわけにはいかない。


 拒否は、できない。

 私がニューニの要求を拒否すれば、空はすぐにでも死んでしまう。今こうして悩んでいる間にも、死んでしまうかもしれない。


 ……別に、ただの他人じゃないか。

 弟子にしたのは成り行きだ。あの子が私の杖を出鱈目に使ったために、星降堂ほしふりどうに閉じ込められたんじゃないか。私は、空にさっさと帰ってほしいから、サポートしているにすぎないんじゃないのか。


 なんで、あの子のことを心配する必要があるんだ。

 あんな小さい子供……私がいなければ、ころっと死んでしまいそうな程に幼くて、小さくて……一生懸命で、健気で……


 可愛い、私の弟子……


 あー、くそ。


「弟子が大事か?」


 ニューニは再び、私に尋ねてくる。


「ああ。大事らしい。自分でも驚くことにね」


 動揺して仕方ない。

 五百年の間、私は先生を生き返らせることに全てを費やしてきたはずなんだ。何で空のことを気にかけて、自分を犠牲にしようとしてる。

 空のことが、心配で仕方ないからだ。空が私の弟子だからだ。

 頭では理解しても、まさか自分が姉を気取るとは思ってもみなかった。


「……その宝石でもいい」


 ニューニが言った。

 宝石って、意思の宝石か?


「黒魔女の、憂慮ゆうりょの宝石」


 膝をついたその先に、薄紫色の宝石が落ちていた。

 意思の宝石だ。私の、憂慮ゆうりょ――心配――か。


「……は」


 まさか、これが転がり出る程に、空のことを心配してたなんて。

 閉心も忘れて、空に対する思いに動揺して、私はなんて滑稽なんだ。


 憂慮ゆうりょの宝石を拾い上げる。

 小さいけれど、美しい宝石だった。内部に見える黒いインクルージョンは、おそらくは私の動揺か。

 悪い気はしない。私の憂慮ゆうりょが、それなりに美しいものだと知れたのだ。

 そして、それを代償にすれば、空は助かる。私の心配もなくなる。

 理想的な取引だ。


「……わかりました」


 ニューニに、憂慮ゆうりょの宝石を差し出す。ニューニはそれを足の爪でつまみ上げ、しげしげと眺めてから羽の中にしまい込んだ。


 ニューニの体が、薄紫に淡く光る。実に嬉しげに笑みを浮かべ、私にこう言った。

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