憂慮という感情の話②
一日明けた。
おかしい。空の様子が変わらない。
「40.2度……」
空の体温は、昨夜からじわじわと上がり続けている。今は目を開けるのさえ怠そうで、荒い息をしながら眠っている。
魔法にあてられて体調を崩しただけなら、マンドラゴラ茶で治るはずだ。しかし実際は、全く効いた様子がない。
モーリュとドクダミには解毒作用がある。例え魔法由来の不調ではなかったとしても、ただの風邪なら、私の対処は間違っていないはず。
と、なると……もしや、呪いか……?
「空、ちょっと見せて」
空に断りを入れて、服をめくる。
胸の左側、ちょうど心臓の上、そこに痣ができていた。
三本の筋。まるで、獣の爪痕のような痣。
呪いだ。
「全く……私は馬鹿だ」
空の症状だけを見て、呪いの可能性を除外していた。本当に、愚か者だよ私は。
しかし、いつ呪いをかけられた? 空は、妖精の世界に来てまだ三週間だ。誰かといざこざがあったなんて聞いてないし、大抵私が近くにいるのだから、妖精は私を警戒するはず。妖精が悪さをしたとは考えにくい。
いや……マーヤの家から帰る際、一人で夜道を歩かせた。
まさか、その時か?
「空、マーヤの家から帰る時、どんな道を通った?」
尋ねる。そして、空の額に片手で触れる。
空は説明しようとしたのだろう。小さく口を動かすが、残念ながら声は聞こえなかった。
声が聞こえずとも、イメージしてくれればそれでいい。空の想像を、私が見ればいい。
目を閉じて、集中。
空の額から、イメージを掬い上げる。
私の頭に、空のイメージがそのまま浮かび上がる。
夜の森。
フクロウの声。
光るキノコ。
木々に覆われた星空。
歩く道は、土と草。
……段々と、宝石と岩肌に変わっていく。
空は、あまりよく覚えていないのだろう。イメージはぼんやりとしている。
だが、宝石が転がる道でわかった。あの地には気難しい奴が住んでいる。縄張りを無断で通ってしまったとしたら、あいつなら怒るだろう。
そして、遅延型の呪いを振り撒いて、今更呪いが発症した。
呪いならば、私が何をしても治らない。
空が呪いを跳ね返すか、呪った本人が呪いを解くかのどちらかしか、方法はない。
私にできることがあるとしたら、あいつに頭を下げて、解呪を頼むことだけ。
善は急げだ。今からあいつに会いにいく。
空から離れて、部屋を出ていこうとした時。
空がうっすら目を開けて、私をぼんやり見つめた。
「魔女さん、どこ行くの……?」
不安の色が、灰色のもやが、空を覆う。
さて、どう答えてやろうか。
幼い子供だから、呪いにかかっていることを知れば怖がるだろう。泣いて騒いで、行かないでくれと懇願するだろう。それは、非常に困る。
私は、子供の扱いなんて知らない。我儘を言われたら、説き伏せることなんてできない。
だから、嘘をつくことにした。
「昨日の煎じ茶で、乾燥マンドラゴラを使い切ってしまったからね。採取しに行くのさ。随分と妖精の鱗粉を吸い込んだみたいだから、また飲んでもらわないと」
ニヤリと、笑ってみせる。
空は怯えて、布団の中に潜ってしまった。
それでいい。
「じゃあね」
ひらりと手を振って、部屋を出る。
扉を閉める、その瞬間。
「早く帰ってきてね」
弱々しい声で、空が言った。
✩.*˚
二階の一室。夢渡りの鏡を置いた部屋。
その床に、チョークで魔法陣を描く。
歩いて行けば、一時間はかかってしまう。しかし、瞬間移動の術を使えば一瞬だ。魔法陣を書くのも、そんなに時間は使わない。ほんの十分あれば、十分だった。
「ブラウニー、空を頼むよ」
ブラウニーは私からチョークを受け取って、見えない腕でぶんぶんと振ってみせた。
魔法陣の中心に立つ。竜王の杖で床を叩き、呪文を唱える。
「
唱え終わると同時に、魔法陣に描いた
景色は、生成の壁紙から宝石の岩壁に。
足元は、木材から岩肌に。
術は問題なく成功した。私は今、ニューニが住まう崖下にいる。
せり立つ岩壁には、孔雀石の原石が埋まっており、緑のマーブル模様が浮かび上がっている。ここを縄張りとしている幻獣・ニューニは、私の来訪を感じ取っていることだろう。
自身より格上の幻獣に会うには、相手を敬わなければならない。神格を得た幻獣は、総じて気難しいものだ。
だから私は、その場に跪く。そして、縄張り奥地で待っているであろうニューニに対し、許しを請うた。
「突然の訪問をお許しください。
私はシュヴァルツ・リトヴェスト。賢母・ニューニ様に御用があって参りました」
あんな気難しい化け物鳥を『賢母』だなんて。そう思いはしたが、私の感情は「閉心の術」によって隠してしまう。幻獣に頭を覗かれないための予防魔法だ。
暫くは何も起こらない。だが、何も起こらないわけがない。跪いたまま、ニューニからの返事を待つ。
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