星降堂の魔女と弟子
LeeArgent
憂慮という感情の話
憂慮という感情の話①
「38.3度。風邪かな」
空の口から、体温計を抜いて確認する。
発熱し、顔を真っ赤に火照らせている我が弟子は、私の顔を弱々しく見上げた。
「さむい……」
ベッドに寝転がり、布団をかぶり、それでもガタガタ震えている。
空は、つい三週間前に
一応、目が届くところにと思って、私の部屋で寝かせているんだが、この子は随分と行儀がいい。寝相は悪くないし、勝手に私のものを触るようなことはしないし。
大切に育てられた子なんだろう。よく躾られているよ。
「妖精の鱗粉を嗅いで、体がびっくりしたんだよ。今日はゆっくり休んでなさい」
こういう時には、癒しの術で無理矢理回復させるより、空自身の治癒力に任せた方がいい。マンドラゴラの煎じ茶でも飲ませて、寝かせておくか。
腰を上げて、部屋を出ていく。
「魔女さん」
後ろから空の声がして、私は振り返った。
空の顔の周りを、光の幕が漂う。
濃い青色をした、透き通った幕。空の感情を表すかのように、ゆらゆらと揺れている。
悲しみと寂しさが綯い交ぜになった色。これは、空の感情の色だ。
二百年前に習得した、読心の術。私の場合は、他人の感情を色形として見ることができる。空のような子供は、ころころと感情が変わるから見ていて煩わしいくらいだけど、今は……青一色から変わらない。
「何処に行くんですか……?」
ああ、私が部屋を出ようとしているから、放っておかれるとでも思ったのか。全く、甘えん坊だね。
「キッチンに行くだけだよ。空に、苦い苦いお茶でも飲んでもらおうかと思ってね」
ニヤリと笑う。つい癖で、「くひゅひゅ」と引き笑いした。
空は目を見開いて、私の顔をじっと見ている。青い幕に黒の斑が混ざる。警戒、かな?
「マンドラゴラの根を煎じたお茶さ。かなり苦いけど、妖精由来の体の不調にはよく効く。かなり苦いけど」
「薬?」
「そうそう。魔女の秘薬、魔法薬さ」
魔法薬だと言うと、空は少しだけ目を輝かせる。単純で助かるよ。
「寝て待ってなさい。すぐに作って持っていくよ」
キッチンに行くと、ブラウニーが準備を始めていた。
月の光を十分に浴びた夜露、乾燥したマンドラゴラの根、モーリュの葉と、ドクダミの葉。
「ブラウニー、ありがとう」
ブラウニーは、乾燥マンドラゴラの茎を振って返事する。マンドラゴラは死にかけのような「ヴァ……」という声をもらした。
「さて、やろうか」
夜露を溜めた鍋を火にかける。沸騰するまでに、材料全てを細かく刻み、まずはマンドラゴラの根から鍋に投入。一分後に、モーリュとドクダミを投入。
マンドラゴラの土色と、モーリュの若草色が混ざり合い、泥のような色になる。
「あー……これじゃ流石に飲まないか」
この煎じ茶は、色も味も最悪だからね。相手は子供だ。手心を加えてやろうじゃないか。
甘みの強い、黄金の林檎を一欠片。魔法で果汁のみ絞り出して、鍋の中に入れる。
泥のようだった鍋の中身は、掻き混ぜると透き通った金色になる。とろみがない、蜂蜜色の液体だ。
「ブラウニー。飲むかい?」
ブラウニーは、甘味を加えたマンドラゴラ茶が好きだ。私を急かすようにティーカップを振る。ブラウニーの体は透明で見えないから、カップが自立して動いてるようだった。
「そんなに慌てなくても、お茶は逃げないさ。危ないからティーカップを貸しなさい」
白地に金装飾が施されたティーカップに、金色のマンドラゴラ茶を注ぐ。まだ温かいそれは湯気を立たせた。
「はい。飲んだらカップは洗っておくんだよ」
聞いているのかいないのか。ブラウニーは受け取るなりティーカップを傾けた。マンドラゴラ茶は溢れることなく、空中に消えていく。ブラウニーが飲んでいるんだ。しかし、熱いんだろう。ブラウニーが「アチッ」と声をもらしている。
やがて、ティーカップの中はなくなった。そして、じわりとブラウニーの姿が現れた。
マンドラゴラ茶の効果だ。妖精の魔法を無効化してしまう。
今のブラウニーは、ブラウニー本来の姿を見せている。
空と同じくらいの背丈。性別は男の子。
土色の髪と、褐色の肌、そして煌めくエメラルドの瞳。
可愛い子なんだがね。ブラウニーは、人前に出ることを恥ずかしがる。だから、くらましの術で姿を隠し、閉心の術で感情を隠しているらしい。
「美味しいかい?」
尋ねると、ブラウニーはニコッと笑った。そして、恥ずかしそうに目を伏せて、顔を真っ赤にする。
「魔法が戻るまで、キッチンにいるといい。私は空にお茶を飲ませてくるよ」
マグカップにマンドラゴラ茶を入れて、私はキッチンを後にする。ブラウニーを振り返ると、ひらひらと片手を振っていた。
空はというと。
甘味を加えても、マンドラゴラ茶の苦味は苦手らしい。
「んぐっ……」
一口ふくむなり、変な声を出して固まってしまった。
飲み込もうとさえしない。
「飲み込んでしまった方が楽だよ」
空の様子がおかしくて、笑いながらそう言った。
空は涙を目に浮かべながら、ごくんと喉を鳴らして飲み込む。ぷるぷる震えて、「うげ……」なんて呻いて。
「苦い……」
「これでも甘くしてあげたんだよ?」
「でも……苦い、です。ピーマンよりずっと苦い……」
「おやおや」
まぁ確かに、林檎一欠片の甘味だけでは、とても打ち消せない程の苦味だろうね。でも、飲んでもらわなきゃ治るものも治らない。
「異世界の子供達は、みんな喜んで飲むのに」
ニヤニヤ笑ってみせながらそう言うと、空の周りは驚きの黄色で彩られた。
「えぇ! ほんとですか!」
「ああ、本当さ。飲まないなんて勿体ないよ」
半分嘘だ。魔法による体の不調が治るなら、喜んで飲む、ということであって、普段から飲むものじゃない。
ブラウニーの舌がおかしいだけだ。
「じゃあ、飲みます」
負けられないのだろう。空は覚悟の顔でマグカップをあおった。
ああ、可哀想な空。悪い魔女の嘘に騙されるなんてね。
ま、私のことだけど。
「全部飲んだなら、明日か明後日にはきっと治っているよ」
空からカラになったマグカップを受け取ってそう言ってやる。これは本当。明日にはきっと治っているだろうさ。
だから、今日はもう、大人しく寝ることだね。
「魔女さん」
「…………ん?」
空は、布団に顔をもぐらせながら、小さな声でこう言った。
「ありがと」
「……くひゅひゅ」
…………なんて返したらいいかわからなくて、つい笑って誤魔化してしまった。
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