星降堂の魔女と弟子

LeeArgent

憂慮

憂慮という感情の話①

「38.3度。風邪かな」


 空の口から、体温計を抜いて確認する。

 発熱し、顔を真っ赤に火照らせている我が弟子は、私の顔を弱々しく見上げた。


「さむい……」


 ベッドに寝転がり、布団をかぶり、それでもガタガタ震えている。

 空は、つい三週間前に星降堂ほしふりどうに来たばかり。確か十一歳と言ったっけ。そのくらいの年の子で、魔法に初めて触れるのであれば、非日常性に体が驚いて体調を崩してしまうのは珍しいことではない。異世界転移にはつきものだ。

 一応、目が届くところにと思って、私の部屋で寝かせているんだが、この子は随分と行儀がいい。寝相は悪くないし、勝手に私のものを触るようなことはしないし。

 大切に育てられた子なんだろう。よく躾られているよ。


「妖精の鱗粉を嗅いで、体がびっくりしたんだよ。今日はゆっくり休んでなさい」


 こういう時には、癒しの術で無理矢理回復させるより、空自身の治癒力に任せた方がいい。マンドラゴラの煎じ茶でも飲ませて、寝かせておくか。

 腰を上げて、部屋を出ていく。


「魔女さん」


 後ろから空の声がして、私は振り返った。

 空の顔の周りを、光の幕が漂う。

 濃い青色をした、透き通った幕。空の感情を表すかのように、ゆらゆらと揺れている。

 悲しみと寂しさが綯い交ぜになった色。これは、空の感情の色だ。


 二百年前に習得した、読心の術。私の場合は、他人の感情を色形として見ることができる。空のような子供は、ころころと感情が変わるから見ていて煩わしいくらいだけど、今は……青一色から変わらない。


「何処に行くんですか……?」


 ああ、私が部屋を出ようとしているから、放っておかれるとでも思ったのか。全く、甘えん坊だね。


「キッチンに行くだけだよ。空に、苦い苦いお茶でも飲んでもらおうかと思ってね」


 ニヤリと笑う。つい癖で、「くひゅひゅ」と引き笑いした。

 空は目を見開いて、私の顔をじっと見ている。青い幕に黒の斑が混ざる。警戒、かな?


「マンドラゴラの根を煎じたお茶さ。かなり苦いけど、妖精由来の体の不調にはよく効く。かなり苦いけど」


「薬?」


「そうそう。魔女の秘薬、魔法薬さ」


 魔法薬だと言うと、空は少しだけ目を輝かせる。単純で助かるよ。


「寝て待ってなさい。すぐに作って持っていくよ」


 キッチンに行くと、ブラウニーが準備を始めていた。

 月の光を十分に浴びた夜露、乾燥したマンドラゴラの根、モーリュの葉と、ドクダミの葉。


「ブラウニー、ありがとう」


 ブラウニーは、乾燥マンドラゴラの茎を振って返事する。マンドラゴラは死にかけのような「ヴァ……」という声をもらした。


「さて、やろうか」


 夜露を溜めた鍋を火にかける。沸騰するまでに、材料全てを細かく刻み、まずはマンドラゴラの根から鍋に投入。一分後に、モーリュとドクダミを投入。

 マンドラゴラの土色と、モーリュの若草色が混ざり合い、泥のような色になる。


「あー……これじゃ流石に飲まないか」


 この煎じ茶は、色も味も最悪だからね。相手は子供だ。手心を加えてやろうじゃないか。

 甘みの強い、黄金の林檎を一欠片。魔法で果汁のみ絞り出して、鍋の中に入れる。

 泥のようだった鍋の中身は、掻き混ぜると透き通った金色になる。とろみがない、蜂蜜色の液体だ。


「ブラウニー。飲むかい?」


 ブラウニーは、甘味を加えたマンドラゴラ茶が好きだ。私を急かすようにティーカップを振る。ブラウニーの体は透明で見えないから、カップが自立して動いてるようだった。


「そんなに慌てなくても、お茶は逃げないさ。危ないからティーカップを貸しなさい」


 白地に金装飾が施されたティーカップに、金色のマンドラゴラ茶を注ぐ。まだ温かいそれは湯気を立たせた。


「はい。飲んだらカップは洗っておくんだよ」


 聞いているのかいないのか。ブラウニーは受け取るなりティーカップを傾けた。マンドラゴラ茶は溢れることなく、空中に消えていく。ブラウニーが飲んでいるんだ。しかし、熱いんだろう。ブラウニーが「アチッ」と声をもらしている。

 やがて、ティーカップの中はなくなった。そして、じわりとブラウニーの姿が現れた。


 マンドラゴラ茶の効果だ。妖精の魔法を無効化してしまう。

 今のブラウニーは、ブラウニー本来の姿を見せている。


 空と同じくらいの背丈。性別は男の子。

 土色の髪と、褐色の肌、そして煌めくエメラルドの瞳。

 可愛い子なんだがね。ブラウニーは、人前に出ることを恥ずかしがる。だから、くらましの術で姿を隠し、閉心の術で感情を隠しているらしい。


「美味しいかい?」


 尋ねると、ブラウニーはニコッと笑った。そして、恥ずかしそうに目を伏せて、顔を真っ赤にする。


「魔法が戻るまで、キッチンにいるといい。私は空にお茶を飲ませてくるよ」


 マグカップにマンドラゴラ茶を入れて、私はキッチンを後にする。ブラウニーを振り返ると、ひらひらと片手を振っていた。


 空はというと。

 甘味を加えても、マンドラゴラ茶の苦味は苦手らしい。


「んぐっ……」


 一口ふくむなり、変な声を出して固まってしまった。

 飲み込もうとさえしない。


「飲み込んでしまった方が楽だよ」


 空の様子がおかしくて、笑いながらそう言った。

 空は涙を目に浮かべながら、ごくんと喉を鳴らして飲み込む。ぷるぷる震えて、「うげ……」なんて呻いて。


「苦い……」


「これでも甘くしてあげたんだよ?」


「でも……苦い、です。ピーマンよりずっと苦い……」


「おやおや」


 まぁ確かに、林檎一欠片の甘味だけでは、とても打ち消せない程の苦味だろうね。でも、飲んでもらわなきゃ治るものも治らない。


「異世界の子供達は、みんな喜んで飲むのに」


 ニヤニヤ笑ってみせながらそう言うと、空の周りは驚きの黄色で彩られた。


「えぇ! ほんとですか!」


「ああ、本当さ。飲まないなんて勿体ないよ」


 半分嘘だ。魔法による体の不調が治るなら、喜んで飲む、ということであって、普段から飲むものじゃない。

 ブラウニーの舌がおかしいだけだ。


「じゃあ、飲みます」


 負けられないのだろう。空は覚悟の顔でマグカップをあおった。

 ああ、可哀想な空。悪い魔女の嘘に騙されるなんてね。

 ま、私のことだけど。


「全部飲んだなら、明日か明後日にはきっと治っているよ」


 空からカラになったマグカップを受け取ってそう言ってやる。これは本当。明日にはきっと治っているだろうさ。

 だから、今日はもう、大人しく寝ることだね。


「魔女さん」


「…………ん?」


 空は、布団に顔をもぐらせながら、小さな声でこう言った。


「ありがと」


「……くひゅひゅ」


 …………なんて返したらいいかわからなくて、つい笑って誤魔化してしまった。

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