第1話 好きにも種類がある

 可愛い────。いつからあの人に対して、そんなことを思うようになったんだろう。


 最初は地味でおとなしそうな女の人が入ってきたとしか思っていなかった。おれが入社して4年目の年に、新しく女の人が入るという話を聞いて、少しワクワクしていた。


 おれの勤めている会社は工場を複数持っていて、残念ながらその人はおれとは別の工場に配属になったので、同じ仕事をしているのに顔を見る機会がないという、もどかしい状況だった。


 それから少し経ったある日、打ち合わせがあって分工場に行くことになったおれ。事務所に入って中を歩いていると、ふと見慣れない人の姿が視界の隅に写り、反射的にそちらを見てしまった。


(あ、この人がこの前入った新人さんか)


 打ち合わせモードで来ていたので、新しい人がいるというのを一時的に忘れていて、少し驚いてしまった。


 黒髪ロングの三つ編みで、ふちの細いメガネをかけていた彼女。体型は少しふくよかな感じだったような気がする。チラッと見た感じそんな見た目だった。


 トータル的に、地味でおとなしそうな女の人。それが彼女に対する、おれの第一印象だった。


 そしてそれから3ヶ月が経った。


 人間の出入りもいろいろあって、会社が人事異動を行った。おれの勤務している本社に、彼女がやってきたんだ。


 ◇


 彼女……いや、佐野さんは本社に来ても、おれとは少し離れた島の席に座ることになった。仕事も、おれじゃなくてそっちの島にいる上司の仕事をやっていて、なかなか話す機会がなかった。


 それから数日、数週間と月日が流れていき、おれたちの部署はどんどん仕事が忙しくなってきていた。


 残念なのが、真っ当に忙しくなってきたのではなく、佐野さんの島にいる上司の出来が悪く、被害が広がってそれをカバーするのに皆んなしてかなりの労力を費やしていたことだ。


 そんな状態なのにもかかわらず、事態を招いた上司は開き直っているのかバカなのか、周りの部下たちには理不尽な小言ばかり、息を吐くように言っていた。


(なんだあのおっさんはホントに。おれが新人のときもそうだったけど、言ってること全部ブーメランなんだよ)


「まだ終わらないのか」

 →(お前だよ)

「何でそんなこともできないのか」

 →(だからお前だよ)

「言ってただろ? 何で出来てないの?」

 →(指示出てねぇよ。聞こえない声でゴニョゴニョ言ったのは言ってるうちに入んねぇよ)


 ため息に舌打ちに、根拠のない暴論。自分が出来ていて部下にダメ出しするならまだわかるけど、何も出来てなくて人に文句を言うからイラつくんだよ。


 テメェのマウスのクリック音、10秒に1回しか聞こえねぇぞ。タイピングも初めてパソコンに触れた老人みたいに遅いし。


 ダメだ、この空気は。同じ空間にいる人全員がストレスをふんだんに抱えた表情をしている。特に入ったばかりの佐野さんなんか、これで辞めてもおかしくない。


 ────動こう。まずは佐野さんを救出だ。


 おれは打ち合わせで社長と2人で話す機会があったので、今のおれたちの部署の雰囲気を伝えた。あそこにいると佐野さんが潰れると伝えると、社長も状況を察してくれて席替えを提案してくれた。加えておれの上司に対して説教もしてもらっているが、響いているだろうか。


 翌日、おれの隣にいた先輩には申し訳ないけど、お願いをして佐野さんと席を入れ替わってもらった。

 先輩はおれより歴が長いお姉さん社員で、状況を理解して文句も言わずに受け入れてくれた。本当に感謝だ。


 席替えの名目は「最強の助っ人」ということで、この仕事の上手くいかない悪い現状を打破すべく、隣のしごできお姉さんを投入した、ということにしておいた。


 物理的に距離も置いたし、仕事もおれの分を手伝ってもらうようにしたので、とりあえず佐野さんをあのパワハラ地獄から救うことには成功した。


「宜しくお願いしますね」


 初めて顔を合わせて声をかけてみた。


「こちらこそ。宜しくお願いします」


 マスクをしていて顔の半分は隠れているけど、色白で落ち着いていて、綺麗な人だなと思った。一瞬跳ね上がったおれの心臓は、この人をどう捉えているんだろう……。なんてポエムみたいな考えは恥ずかしいから胸にしまって、仕事に集中しよう。


(量産型じゃないタイプの顔付きだな……。世の中の美人って、大抵同じような顔をしているけど、佐野さんの場合は好みは分かれそうだけど、おれは惹かれてしまう顔だ……)


 全然仕事に集中できてないおれは、今日から佐野さんとビジネスパートナーとしての日々をスタートすることになった。

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