第62話 彼女は決意し、駆ける

 翌日、いつもの学校が始まる。

 私は普段通りに少し早く起きて、そして学校へと向かった。


(お弁当を作るかどうかを休日の前には優木にRINEで聞くのに、聞けなかったな……)


 そんな事を思いながら廊下を歩く。

 それは今日だけじゃなくてこれから先ずっとなのかなと考えて、胸が痛んだ。


 教室の後ろの扉を開けて中へと入る。

 見渡してみたけど、優木はまだ来ていないようだった。

 来ている知り合いは委員長である栗原さんくらいか。


 その後ろ姿を見て私は自分の席へ。

 窓際最後尾の席に座り、ヘッドフォンを装着して、チャイムが鳴るまで顔を伏せた。

 途中、視線を感じた気がしたけど、意図的に無視した。




 ◆◆◆




 午前中の授業はなるべく左側、つまり優木の方を見ずに過ごした。

 私の少し後に教室に来たであろう彼は藤堂君や東川さんと短い休み時間にはいつものように話していた。


 でも聞こえる限りだとその声に元気はあまりなかったように思える。

 それに対して、藤堂君や東川さんも聞いて良いか迷っているような声を出していた。


 そして迎えた昼休み。

 昨日あんなことがあったので一緒に昼食を取る気にはなれなかった。

 だからどこかで食べようとお昼ご飯を持って立ち上がったとき。


 私に目を向けていたのか、優木と一瞬だけ目が合った。


「…………」

「…………」


 互いに無言。

 そしてその後すぐに優木は目線を外した。

 酷く辛くて悲しそうな表情で、でも仕方ないという表情をしていた。


 どうして? なんでそんな顔をするの? 泣きたいのは私の方なのに。

 少しだけ憤りを感じた私は、早足で教室を後にした。




 ◆◆◆




「……私……最低」


 いつも昼食を取っている校舎裏、ではなく、人気のある中庭の隅っこで私は独り呟く。

 自分でも何を思っているんだろう、感じ悪いなぁ、なんてことを思って、自己嫌悪していた。


「はぁ……」


 昼食を食べて、というよりも無理やり流し込むようにして口に入れる。

 美味しいと感じる筈の食事も、今は何故か全く思うところはなかった。

 買ったパンの味は変わらない筈なのに、美味しいのに……美味しくない。


「はぁ……」


 もう何度目か分からないため息を吐いて目を瞑る。

 脳裏には辛そうな表情を浮かべたさっきの優木が浮かんでいた。




 ◆◆◆




 一日が立つのは早いもので、もう放課後。

 これまでは文化祭の準備があったけど、それももうない。

 飯島先生のHRが終われば学校に残る意味はない。


 次にあるのは期末試験だけど、勉強する気も全く起きなかった。

 そうしてHRが終わって、日直のゴミ出しを終えたら帰ろうかなと思ったとき。


「夜空、今日はどうする?」

「あー、ごめん、ちょっと今日は遠慮しておくよ」

「そっか、了解」


 藤堂君と優木の声が聞こえて、思わずそっちの方を見てしまった。

 見るつもりはなかったけど、本当に無意識だった。


 優木は帰る準備をすでに済ませていて、帰るところだった。

 彼の席に来た藤堂君の誘いを断って、教室の後ろの扉へ向かうところだった。

 そしてその間に、私とまた目が合った。


 まただ、また優木は辛そうで、悲しそうな顔をしている。


 でも彼は何も言わないまま、その場を去ってしまった。

 彼が出ていった扉をじっと見た後、私はため息を吐いて藤堂君に近づく。


「藤堂君、ゴミ出し」

「あ……う、うん、わかっているよ嵐山さん……」


 優木を見送っていた藤堂君は振り返って私の姿を認めるなり、罰が悪い顔をした。

 今日の日直は私と藤堂君。

 その最後の仕事としてゴミ出しが残っていたけど、まさかサボるつもりだったのだろうか。


 そんな事を思っていると、東川さんが呆れたように私に声をかけた。


「しっかりやりなさいよ蓮。あ、嵐山さん、もしサボってたら怒っていいからね?」

「……別に怒らないけど」

「いやいや、そもそもしっかりやるから! ほら嵐山さん、さっくり片付けようぜ!」


 藤堂君は東川さんにそう返すと、教室の後ろにあるゴミ箱へ足を向けた。

 そして比較的重くなりがちな燃えるごみを手に取って、重いな……と呟いていた。

 私も私で担当のゴミ箱を持って、藤堂君と一緒にゴミ収集場へと向かう。


「…………」

「…………」


 優木とゴミ出しをした日とは違い、私と藤堂君の間に会話はない。

 いや、優木以外とゴミ出しをするときはいつもそうだ。


 結局、私と藤堂君は一言も言葉を交わさないままゴミを出し終わり、空のゴミ箱を持って教室に戻ることになった。


「あー……あのさ……」


 帰り道、雰囲気に耐えられないのか藤堂君が口を開いた。

 声をかけられたので彼の方を見ると、少し気おされるような雰囲気を出される。


 怖がる人が最近は減ってきてくれたけど、藤堂君はまだのようだ。

 それでも修学旅行や文化祭の準備を通して比較的接触回数が多いからか、私に慣れてきてくれているみたいだけど。


「その……夜空となんかあった?」


 その言葉に、胸の奥がズキリと痛んだ。


「ううん……別に」

「そ、そっか」


 そっけない返事になってしまい、ごめんねと心の中で藤堂君に謝罪する。

 ようやく皆とも少しずつ打ち解けてきたのに、これじゃあ前に戻ってしまったみたいだ。


「で、でもさ、優木の体調が治って良かったよ。昔から結構無理をするタイプだったんだぜ? 他の人の負担を減らすために頑張ってるっていうかさ」

「…………」


 それはよく知っている。

 体育祭や修学旅行、文化祭、そして私の事も含めて、優木は尽力してくれたから。


「でも無理しすぎることがあるんだよなぁ。……前も程々にしとけよって注意したんだけど、なーんか聞き入れてくれなくて」

「…………」


 なんだろう、なぜか分からないけど、藤堂君の話がすっと頭に入ってきた。

 優木に関する話だからって言うのもあるけど、どうしてか……気になる。


「そういや変なこと言ってたな」

「……変な?」


 そして思わず、立ち止まって聞き返した。


「ら、嵐山さん?」

「その話、詳しく教えて?」

「え、えっと……去年も同じクラスだったけど、優木が他の人のために頑張ってくれてたんだよ。それで他人のためにってのも大事だけど、自分の事も大切にしないとダメだろ? って言ったんだ。そしたらあいつ、めちゃくちゃ真顔で、俺はしないといけないから、って言っててさ。……まあすぐに、なんてな、って冗談のように言ってたけど……」

「…………」


 藤堂君の言葉を聞いて、いつかの優木の言葉を思い出した。

 あれは確か、私にお母さんと一緒に話をしようと言ってくれた時の事だった筈。


『お母さんとこのままの関係なのは、嵐山さんも望んでない筈だよ。それにまだ取り返しのつかない事にはなっていない。まだ間に合うから、だから二人で……』


 あの時の言葉は私の背中を押してくれたんだと思った。

 それ自体は間違いじゃないと思うけど、でも優木はあの時、「まだ」という言葉を使った。

 まだ取り返し返しのつかない事にはなっていないって、まだ間に合うって。


 まるで、優木は「もう」取り返しがつかない事があったみたいじゃないか。


「っ!」

「あ、ら、嵐山さん!」


 藤堂君の声を耳に残しながら、私は走って自分の教室へ向かう。

 教室の中にはまだ生徒が残っていたけど、その中には優木の姿はなかった。

 彼が帰ったのは私が日直の作業をする前で、少し時間が経っている。


 でもそんなの、どうでもよかった。


 ゴミ箱を所定の位置に戻した私は自分の席に走って、机の横にかかっている鞄をひったくるように手に取った。

 いつもなら持ち帰るべきものを机の中から出したりするけど、そんなのどうでも良かった。

 ぶつかる勢いで後ろの教室の扉へ、勢いよく扉を開いて教室を出る。


 そして、すぐに気付いたようにポケットからスマホを取り出した。

 素早くRINEを起動して、一番上の優木のアイコンをタップ。

 そして忙しなく指を動かしてメッセージを打った。


『話したいことがある』


 既読が付くかどうかの確認もせずにスマホをポケットに仕舞い、私は廊下を走り出した。


「あ、嵐山さん!?」

「ごめん藤堂君、埋め合わせはするから、後はよろしく!」


 途中、教室に帰ってくる藤堂君と鉢合わせしたけど、そう言って脇をすり抜けた。


 階段を降りながら、どうして気付かなかったのかと自分を責めた。

 今までだって不思議に思うことはあったはずだ。

 少しの違和感はあったはずだ。


 そもそも。


 どうして自分に暗い過去があるのに、優木にはそれがないと思っていたのか。

 彼にだってそれはきっとある。

 そしてそれはおそらく……彼の行きすぎな他者への貢献や気遣いのきっかけなんじゃないか。


「ならっ……ならっ!」


 返したい。

 今まで私は多くの事を……本当に多くの事を優木から貰った。貰い過ぎた。

 だからもし優木が暗い過去を抱えているなら、それを何とかしてあげたい。


 優木が自分にしてくれたような大きなことが出来るかは分からないけど。

 それでも私は精いっぱい、優木に返したい。


 階段を降りきって靴を履き替え、校舎を飛び出す。

 そして自転車に乗って私は優木を追いかけた。

 力の限りに自転車を漕いで、彼を追いかけた。

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